いじめと戦おう!〜対策と克服法〜
100.小5〜6、中2女子・・・学校でのいじめ(現在、18歳)

 ご本人からのメール

〔いつごろ?〕
 小5〜6と中2

〔いじめグループは何人?〕
 小学校は一クラス34人で、女子19人だった。その19人のうち16人。

〔どんな悪口を言われていたか〕
 バカ、ブス、死ね、役立たず、気持ち悪い、糞、あほ

〔いじめのくわしい内容〕

【小学校5〜6年生】
 初めていじめを体験したのは小学校5年生の時。きっかけは普段一緒に行動していた子から、メモ書き程度の手紙が引き出しに入っていたところから。その手紙を開くと、「私は友達だと思っていないし、そう思わないでほしい。気持ち悪い、調子に乗るな。もう私に話しかけないで」といったところだった。
 当然ムカついた。私がその手紙を発見したとき、その子と、いじめの主犯格の子が私を見てニヤニヤしていた。ああ、私の反応を見て楽しもうとしているんだ、実際楽しんでいるんだろう、これは本気なんだ、いじめの対象になったんだ、と思った。負けず嫌いだったし、当然ムカついて、その子たちが見ている前でびりびりに破いてゴミ箱に捨てた。その子たちのほうを見ると、さらに面白そうに見ていた。

 その日から、いじめが始まった。当然話しかけられることはなくなった。私には、心からの親友がいたから乗り越えられた。私をいじめなかった子が二人いた。その子とはずっと仲良しのままだ。
 いじめなかった子とずっと同じクラスだったからよかったものの、授業中前から回されるプリントや、体育で使う道具などは私には渡そうとしなかった。私が「ちょうだい」って言えば仕方なく、先生にはバレないように偶然を装って破いたり、ちぎったりしてから渡された。

 殴る、蹴るなどの暴力はなかったし、男子が直接いじめに加担することはなかった。けれど、陰湿なことばかりしかけられたし、男子は女子のやることに対して基本かかわろうとしなかったため、いじめがあったことをなんとなく感じ取ってはいたものの、確証はなかったらしい(後日談より)。
 たぶん手を出そうとしなかったのは、私が空手と合気道を習っていたことを知っていたから。やり返されることが怖くてできなかったんだと思う。その代り、物をよく捨てられたり、陰口を言われたり、していた。

 だんだんいじめられている状態に慣れてきて、心の対処ができるようになっていた。そう感じたのは図画工作の時間。私に、絵の下書きに使う鉛筆を貸してほしいと授業中に言ってきた。特に断る理由もなかったので貸してやったら、返さないばかりか、ゴミ箱に捨てられた。次の時間も借りに来た。私もバカじゃないのでまた捨てるんだろうな、と思って、ぎりぎりまで使って短くなった鉛筆を貸してあげた。「どうせ捨ててくれるなら、もう使わない、使いにくいやつをあげればいいや」と思うようになったから。

 はじめこそ手紙とかにはムカついて捨ててしまったけれど、「もらったもの」はすべてきれいに保存して、ボイスレコーダーも常に持ち歩くようにした。そろそろいいだろう、と思って、いじめっ子が「ゆうこには何をしても先生にチクったりしないだろう、何をしても大丈夫だろう、」と調子に乗り始めてきたころに、保存しておいたすべてを担任の先生に提出しに行った(途中で怪しまれて取り上げられないように、ノートなどの提出物と一緒に)。そしたら、そのいじめっ子が2、3日後に私に謝りに来た。おそらく先生がその子の保護者や本人に直接、証拠とともに報告したんだろう。これで小学校時代は終わり。


【中学2年生】
 中学校に上がった時、別の子にいじめられた。小学校と中学校は持ち上がりで、転校・転入もなかったので、小学校のメンバーがそのまま中学生になった。

 次は保育所からずっと一緒で、私に付きまとっていた子だった。何をするにしても私のマネをし、私の顔色をうかがっていた。嫌な気持ちにされるのがいじめというのなら、むしろそのころから私はいじめられていたと思っている。
 その子はいきなり、私がいじめたのだと先生に言い、あげくに不登校になった。私の筆跡をまねて絶交するなどと書かれた手紙を書き、私がそれを書いたのだと、だから学校に行きたくないなどと喚いた。ちょうどいじめに敏感な時期だったから、すぐに私は先生に呼び出され、その子と親に謝罪するように言われた。どうせ反抗しても、悪あがきしているようにしか見えないんだろう、この人はもう私がいじめたんだときめているから何を言っても無駄だろうと思って、さっさと謝って終わらせようとした。
 その子が学校に来るようになって、周りの子は何もしなかったけど、その子から殴る、蹴るをよくされるようになった。バカだとか間抜けだとか言われた。私が武道に通じているにも関わらず、よく私を動けなくして、暴力をふるっていた。 最初はそのうち飽きるだろうと思っていたけど、だんだんエスカレートしていった。

 まわりは「何も」しなかった。私が頑張るしかなかった。不登校になったら負けだと思って、絶対に休まなかった。バカだと言われたから、そのころから定期考査や模擬試験は全国一位を狙って勉強した(もともと頭はいいほうだったからその子よりは確実に成績が良かったし、ちゃんと勉強すれば全国の順位で一桁は余裕だったけれど)。その子から見て、たとえその子がどんなにバカでも明らかに私のほうが出来はいいんだとわからせてやるようにした。同じ吹奏楽部で同じ楽器(偶然)だったけど、コンクール出場をかけた部内オーディションでは必ず受かるように練習し、実際にレギュラーメンバーだった。

 あるとき、暴力がさらにエスカレートして、首を絞められたことがあった。思わず、禁止されていたけど、試合では失格になる技を仕掛けた。その子の骨を折る寸前でとめたけど、私はよくその子に指の骨を折られそうになった。勉強できないように、楽器をふけないようにって。まあ毎回勝っていたけれど。


【今、どう思うか】
 二回、いじめを経験して、やはり最初はつらかった。なぜ嫌われるのか、私が何をしたのか、なぜ私なのか、なぜ誰も私を助けてくれないのか…。初めのころはしばらく悩んでいた。いじめ相談の手紙も何度か書いたりした。けれど、直接的な助けにはならなくて、自分しかいないんだ、と思うようになった。そこからは、感情を消すようになった。悪口を言われても、何も感じなくなった。むしろ、自分でもサイコパスなんだろうな、と思う思考回路が出来上がった(今でも自分はサイコパスだと思う)。

 たくさん泣いたけど、「泣く」という行為はとても無駄なことなんだと感じた。一時は心がすっきりするけれど、解決したわけではない。意味がない。かわいい、とかかっこいい、とか、すばらしい、とかの感情はちゃんとあると思うけど、死に対して何も感じなくなった。どうやっていじめっ子を殺してやろうかと、手段をできる限り具体的に何通りも考えることで、そいつの死をイメージして、心を落ち着かせていた。

 でも、大学生となった今でも、女子や女子の集団は怖い。いつ裏切られるかわからない。だからはじめから信用しない。秘密など作らないし打ち明けるなどあり得ない。


【いじめられているときに心がけたこと】
 いじめを克服したのはどうやって?と聞かれたら、私は、吐かれた暴言の逆になってやろうとした。バカと言われたので模試で全国一位になったし、超進学校にも進んだ。演奏がヘタだと言われたから、練習してそいつよりも、(目に見える形で)上手くなった。不細工と言われたから美容に気を使った。卑下する気はないのではっきり言うが、普通よりは美人だと思っている。あと、(もともとデブじゃないけど)デブと言われたので運動して体にいいものだけを食べて、細身になった。ウエストや足の細さには自信があるほどに。
 ちゃんと、克服したといえるのは、中学校の卒業式の日だ。なんとなく私に対するいじめは消えていて、話しかけはしないが危害を加えられることがなくなっていた。その当日に、そのいじめっ子に対して、「さて、ほかに、あなたが、私をバカにできるところはあるのかな?」と笑顔で言って黙らせたこと。これを境に、いじめを克服したのだと思う。

 けれど私の中から、いじめの経験は絶対に消えない。私をいじめたやつのことは今でも殺したいと思うほどに絶対に許さない。バカな演技に騙された当時の教師やそいつの親のことも絶対に忘れない。
 同窓会では平気で私に話しかけてくるけれど、いじめられた子は、たとえいじめた子が忘れても、絶対に忘れることなどないということを、全国のいじめっ子は覚えておいたほうがいいと思う。将来ないが起こるかわからないのだから。




 たくさん質問させていただきました。ありがとうございました。

Q1.小学生のとき、ご両親に相談しようとは思いませんでしたか。

 思わなかったです。そもそも、いじめでなかったとしても、両親を頼る、ということが嫌だったんです。両親が嫌いだったのではなく、むしろ好きだったから、手間をかけさせたくない、心配させたくないと思いました。
 あと、「いじめられている」と話せば、絶対「なぜ?」と聞かれるでしょう。詳しく話しているときに絶対に泣いてしまうと思いました。両親に涙を見せるのが嫌でした。両親だけでなく、親友にも、誰にも泣いている弱い自分は見せたくなかったんです。
 いじめられている期間が長くなると、後半はもう、意地でした。


Q2.お父さんは仕事で忙しくて相談しにくかった…などということはありましたか。

 先に父の性格をできる限り説明しますね。
 父は基本寡黙で、悪く言えば何を考えているのかわかりません。あと、感情を表に出しません。ツンデレだと思いますが、「心から」何かをする父は見たことがありません。
 日常的に、父とはたくさん話しますし、冗談も言い合います。けれど、ネガティブな話だけはなぜか話しにくい人なんです。決して悪い人ではないんですが、誰かを心配していたり、泣く姿を見たことがなくて、だから余計に父にも私が泣く姿を見られたくなくて、相談しなかったんだと思います。


Q3.お母さんはどのような性格の方でしょうか。

 優しい人だと思います。スキンシップが好きで、どちらかというと母が私たち子供に甘えています。母も常日頃からストレスを感じやすい人なので、発散できるのが子供だけなんでしょう。昔からそうでした。だから、甘えた姿を見せたくなかったんです。
 父や母の前では絶対に弱った自分は見せず、隠し通してきました。


Q4.ご兄弟はいますか。小学生の頃、あなたの様子を見て心配していたりはしませんでしたか。

 4つ上に姉が、2つ上に兄がいます。私が隠すのがうまかったのかもしれませんが、態度は全く変わっていなかったと思います。年が離れているので、同じ学校にいても教室が遠いのでまず会いませんし、下の年のクラスの情報は上には行きにくいものなんです。上から下へは、喜んで広める者がいるものですが、下の年のことに関しては、興味がなければ広まらない思います。なので私がいじめられていたことは今も知らないと思います。


Q5.小学校のときのいじめ主犯格の子は、どういう性格の子でしたか。

 とてもキツイ性格の子でした。簡単に言えばジャイアニズム。「私が中心なの」と顔に書いてあるような子でした。女子バレー部の子で、小学生のころは、私も身長が高くて、私と同じくらいでした(当時158p)。クラスでは私とその子が一番高くて、列に並ぶときは必ず二人並んでいました。きっといじめやすかったんでしょう。一番近くにいることが多かったですから。


Q6.親友の子は、どういう性格の子でしょうか。何か励ましの言葉をかけてくれましたか。

 底抜けに明るい子です。聞き上手でもありました。わたしがいじめられていようが構わず一緒にいてくれました。特に励ましの言葉をもらうよりも、いつもどおりにいてくれたことのほうが、うれしかったです。
 実際印象に残るような励ましの言葉はもらっていませんし、何をされたのか、女子が愚痴を言う程度で聞いていてくれました。それくらいがちょうどよかったんです。


Q7.後日談で「男子側からすると、いじめの確証はなかった」とありますが、それはどのようなときに聞いたのでしょうか。

 中学生の時に付き合った元彼が、大学生になったときいきなり会いたいといってきて、そのとき話していて、いじめの話になったときに聞きました。その元彼も、なんとなく付き合ってみたかったとか、彼女という存在がほしかったからとかいう阿呆な男でしたが、馬鹿ではないので、そのころ何も言わないなりに色々感じ取ってはいたそうです。


Q8.空手と合気道は、何歳のときからされていたんでしょうか。

 小学校3年生あたりからしていました。10歳かそこらですね。高校も、吹奏楽部だったんですが、さすがに頻度は減りましたが大学受験期までは続けていました。面倒で昇段試験は言っていなかったんですが、黒帯までは行っていたと自負しています。


Q9.武道を習うことのメリットを教えてください。

 まず心を落ち着けやすくなります。あと喧嘩に強くなります。その強さが身のこなしに現れていて、脅し文句も効き目が出ますよ。見た目の、身のこなしの強さですが、実際師範や先輩方は、習っていることを知っていることを抜きにしても、この人には勝てないと思わせる何かがあります。
 あと脅し文句ですが、一度だけ、首を絞められて反撃したときに、床に取り押さえて、もう少しで折れるってところで寸止めにして、「痛い?痛い?もう少しで折れちゃうよ?手の甲とか肘とかの骨って、折ったらどうなると思う?複雑骨折っていうんだよ、知ってるかな、骨が細かく砕けちゃって、なかなか治らないんだ。分からないなら今折ってみる?」って言ったら結構おとなしくなりました。本当に折れてしまうかもしれない、折ってしまうかもしれない、という気持ちが、言葉からだけじゃなくて、感覚からも伝わるんです。
 合気道はツボや関節を狙って、人体がその動きに逆らえないようにコントロールするんです。決して自分からは攻撃せず、相手から受けた力をそのまま受け流しつつ、勢いを利用してつぶすみたいな。だから、中身のある言葉を話せるようになるというか。実行力を伴っているため、ただの脅し文句にはならないと思います。


Q10.証拠を集めて先生に提出したのは、小学校6年生のときでしょうか。何月くらいから集めはじめ、何月頃に提出したんでしょうか。

 提出したのは、小学校6年生の、晩秋のごろだったような…。集め始めたのは夏だったので、小学校6年生の、6月ごろからでした。春は比較的おとなしかったんですが、私が先生に何も言わなかったので、何をしても大丈夫と思ったのでしょう。夏ごろからひど くなってきたのでその時から集めました。


Q11.提出された証拠を見て解決してくれた、小学校の担任の先生はどういう方でしたか。

 良い教師だったと思います。いじめは先生にバレないように大抵隠して、隠れて行うものですから、たとえ先生が気づいていなかったとしても、まったく恨みはありません。
 先生は、厳しい女性の先生でした。普段は普通に優しいですが、きちんと期限を守らせたり、あるルール(たとえば校則など)について何人かが不満を持っているならば、ちゃんと理由を聞き、正当な理由であればクラスで話し合ってルールを変えたりさせてくれる人でした。学級崩壊が起きているのでもなく、いじめっ子たちも授業中はおとなしくしていました。むしろおと なしく「させる」ことができる先生でした。


Q12.中学校のときの、いじめっ子のガセ情報にだまされた先生はどのような性格でしたか。

 この先生も、特に理不尽だというわけでもなく、これといった特徴はないです。もう先生に関することはあまり覚えていないので。
 ただ、正義感だけは無駄に持っていました。無駄に。変に実行力があったせいで、突っ走った正義感を止めることができず、「○○(投稿者)が悪い」「K(いじめられたと喚いたやつ)を守るべきだ」と思い込んでしまったかわいそうな人です。


Q13.中学では、武道の心得があるのによく耐えましたね・・・。なぜ首を絞められるところまでガマンできたのでしょうか。動けなくして、というのは、いじめっ子の友達に抑えられていたからでしょうか。

 私が通っていた道場の決まり事で、できる限り道場以外の場所で一般人には技をかけない、ということがあったんです。ただし不審者だったりとか、自分に命の危険があった場合は構わずヤレと言われましたが。
 たぶん友達ではないでしょうが、何人かに抑えられていました。彼女らはきっと、協力しないと、いうことを聞かないと次は自分がいじめられるんだとでも思ったんだと思います。いじめではよくあることです。


Q14.勉強は独学でしょうか。コツがあったら教えてください。

 独学です。ただし、小学校の時は公文で数学を勉強していました。公文の制度はご存知でしょうか?自分の学年に対応する範囲から始めるんですが、自分の進度に合わせてどんどん先に進めることができるんです。私は小学校6年生の時点で高校3年生の範囲まで終わらせていたので、中学校に上がった時、もうすべてわかっていたのでいつもほぼ100点は取れていました。
 国語は本を読むのが好きだったので得意なほうでした。漢字や文法など基本的な問題は覚えてしまえばできるものです。いろんな本を読めば語彙力は向上 し、漢字の読みにも強くなります。漢検は2級まで、中学校の間でとりました。
 英語もほぼ暗記です。読む、書く、聴く、話すを繰り返していました。音読することで発音なども覚えやすくなります。あと、洋楽を聞いて歌っていました。洋楽は歌詞が流れるのが早いため、「聞こえたように話す」訓練の手助けになります。
 社会は好きなので無駄に知識を持っていました。現在は社会科教師を目指しています。
 理科は理論と法則をおぼえたらいけます。


Q15.吹奏楽部と勉強の両立はすごいですね。睡眠時間を削って勉強されていたんでしょうか。

 私はどうしても、0:00就寝6:00起床の生活リズムを変えることができなかったので、睡眠時間は削れなかったです。夜更かししようにも、0:00を越えて起きていることができなかったのです。
 睡眠時間は削らなくても、効率よくすることが大切です。学校の休み時間は意外と長いので、学校にいる間に宿題は終わらせました。家ではほかの勉強ができたので、時間については問題なかったです。中学校ですし笑。


Q16.部活も含め、仲のいい友だちもたくさんいましたか。

 そこ まで仲良くはないけど、会ったら普通に楽しく話すし嫌いじゃない。という関係の子が多かったです。もともと集団でいたり、誰かとずっと一緒にいたりするのが嫌なので、基本一人でいました。で、たまに休み時間に隣の子と少しおしゃべりする、みたいな。
 ずっと味方してくれていた親友二人は、同じクラスでしたが、私の基本スタイルが↑こんな感じなので、二人も特に寄ってくることはなく、ちょうどよい距離感?を保っていました。


Q17.女子との付き合いよりも、男友だちのほうが楽という感じでしょうか。

 まあ楽です。大学でもそこまで仲のいい子はつくらないと決めたので、挨拶は交わすし 誘われたら遊びに行くけど、毎日一緒にご飯食べたり〜とかはないです。大学生に一人行動が多いので気にも留められませんし。高校までと違って、各自で異なった授業時間割を組んでいるので、自然と一人になることが多いです。
 男でも女でも、話が合う子、話ができる子と話すので、どちらのほうが楽だとは言い切れないです。


Q18.仕方なく、女子たちと行動しなくてはいけないとき、たとえばどんな会話をして乗り切りますか。ドラマの話などでしょうか。

 完全に聞き役に回っています。どうでもいい話しかしていないし、合わないので。ドラマは海外ドラマか、国内ならサスペンスにしか興味がなく、恋愛ものとか、月9とかは全く見ないので何も言えないですし。たとえ勉強ができても性格はバカっぽいので相手に話させています。「会話の相手」は無理です。


Q19.もし、あなたが中学校の頃に戻り、いじめられている子がいたとしたら、どのように助けますか。

 話し相手になります。その子が助けてと言ったら、または言えなくても助けが必要だと分かった時、遠慮なく職員室に乗り込むか、ボイスレコーダーで言質を取ったのちにいろいろします。その子が望む方法で仕返しをします。あ、殺しはなしで。
 それもいじめっ子と同じことをしているんじゃないのか?と聞かれたことがありますが、同じことをして何が悪い、と思っています。陰に隠れて人を痛めつけることをする人間が、生半可なことで更生なんてするはずがありません。同じくらいの恐怖と痛みで返すべきです。


Q20.あなただったら、いじめられていた時、どんな言葉をかけてもらったら一番うれしかったでしょうか。

 私は、特に応援してもらったりするよりも、変わらずに接してくれるほうがうれしかったので、「かけてもらった言葉」はないです。ただ、一度だけ、私と一緒にいないほうがいいよ、と親友に行った時、本気で私が何を考えてそう言ったのか分からない、みたいな表情で、「なんで?いやだ。」と言われた時はとてもうれしく感じました。


Q21.同窓会で、かつてのいじめっ子たちは、どのようになっていましたか。

 たぶん毎日をエンジョイしていた方だと思います。見事に見た目ただのチャライやつになっていました。高校中退することもなく、というか、中退にまでならないような偏差値低い高校に行ったので。


Q22.同窓会で元いじめっ子たちに話しかけられたとき、普通に答えましたか。

 はい。あちらが、いじめなどなかったみたいな顔で話しかけてきたので。いじめられていたとき、私もそれなりに傷つきましたし、つらいときもありましたが、けっこうやり返したので。いつまでも、こんなクソゴミ虫のことを考えてやるのも嫌だと思って、そいつらのことを忘れようとしていましたから。忘れるなんて無理でしたが。


Q23.今は大学生ということですが、どんなことを専攻されていますか。

 教育学部の社会科です。世界史専攻、に一応なっていますが、2年生まで変更可能なので、地理と迷っているところです。


Q24.今、何か夢中になっていることはありますか。

 そもそも夢中になることがないのでそこまでのものはありませんが、今時間をかけているのはアカペラです。吹奏楽の経験をいけして、(というか、バンドの中で楽譜をかける可能性があったのが私だけだったので)楽譜も書いています。音楽とコーヒーは結構好きです。


Q25.将来の夢などがありましたら、教えてください。

 はじめは教師でしたが、今は公務員か書店の店員で迷っています。勝木書店か紀伊国屋書店で働きたいです。


Q26.最後に、いじめられている子供たちに向けて、メッセージをお願いします。

 考え方を変えることが大切です。私が悪いからいじめられるんだと考えるのではなく、そもそも誰かを傷つけよう、いじめようと考えるバカが悪いんだと考えましょう。
 暴力を受けているようでしたら、その傷を隠すのではなく見えるようにすることで、先生など周りの大人に気づかせます。それか武道を習ってはいかがでしょうか。鍛えることは裏切りません。努力した分、体はそれについていきます。
 いじめをしている奴らが世界の中心と思ってはなりません。そいつらは低能で善悪の判断ができない阿呆どもだと思うようにして みてはどうでしょうか。


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