いじめと戦おう!〜対策と克服法〜
107.中2女子・・・学校でのいじめ(現在、19歳)

 ご本人からのメール

〔いつごろから?〕
  中2

〔いじめグループは何人?〕
  リーダーの女の子は小さくて雰囲気かわいい子でした。頭も良く、なんでもオールマイティにできたため友人も多く、教師からも信頼されていました。
  あとその子の親友が1人と後ろから付いてくような子が3人いました。5人はクラスの中ではいわゆる1軍という存在でした。


〔どんな悪口を言われていたか〕
   悪口というよりは陰口や周りから固められたような精神的苦痛がありました。一度「教壇の前で私に謝れ」とクラスメイト全員の前で言われたことはあります。みんなも見て見ぬふりでした。


〔いじめのくわしい内容〕
  中学2年生の夏に起こりました。

  その日はプール開きで、私はクロール25mも危ういほど運動音痴でした。なので、その日も友達(6人グループでした)に「プールやだーサボりたい」と言っていました。みんなも私の運動音痴は知っていたので「一緒にがんばろー」と笑いながら励ましてくれました。また、(6人グループの)2人くらいの子が「私もめんどくさいから体調不良って事でさぼろうかな」と言い始めました。

  私はその時は冗談で言っていて本当にさぼるつもりは一切ありませんでした。

  そして、5限の体育の時間になりました。男子が教室で着替えるため女子はプールの着替え室で着替えました。私は休み時間に先生と話していたため、少し遅く着替え室に行くことになりました。私が向かった頃にはほとんどの人が着替えており、1、2人ほどしかいませんでした。なので、急いで着替えるためにタオルを付けずに着替えようと全部脱ぎ、プール道具から水着を出そうとしました。

  ですが、水着の上のみありませんでした。焦って水着を探しているとクラスメイトの女の子が扉を開けて入ってきました。もちろんその子は私を見るなりびっくりして「ごめん!」と言ってすぐに出ていきました。私は仕方なく先生に水着の上のみがないことを説明し、見学になりました。グループの子2人も休んでおり(サボり)、私に「本当は水着ないの嘘なんじゃないのー?」と茶化されましたが必死に否定しました。

  そして、帰宅後すぐに母に水着の上だけがなかったことを伝えました。すると母は、「え?ちゃんと入れたよ?」と言いました。私はもう一度プール道具の中身を確認しましたがありません。

  私は前にもいじめられたことがあり、物を隠されたり盗まれたりしたことがありました。(小学2、4、5年生といじめの過去があり)そのため、母は過敏になっており私が「明日探してみるよ」と言いましたが聞く耳を持たず、「今なら先生学校にいるはずだから聞いてみる」と言い、学校に連絡しました。


  後日、朝のホームルームで担任がクラスメイトに話しました。「昨日○○の水着がなくて見学になったみたいで、家に帰って探してもなかったそうだ。もしかしたらどこかに紛れてる可能性もあるから、今から一度机の中とかロッカーを探してもらってもいいか?」
その後、みんながまわりを探し始めました。すると、一人の女子生徒が「昨日家に帰ったら私のプール道具の中にありました。」と手を挙げました。

  その子がいじめの主犯です。(Aさんと呼びます)
  Aさんは私に「○○さんのこれ?」と私に確認するように言いました。たしかにその水着は私のだったため、「ありがとう」と言い受け取りました。私は一件落着したと思い、ほっとしました。


  ですが、翌日学校に登校すると他のクラスの子や同じクラスの子達にちらちら見られるような変な感覚がありました。私は何か髪型がおかしいのか、服装がおかしいのかと理由のない不安感がありました。そして、教室に着きいつものグループの子に話しかけてもなんとなくよそよそしい感じがしました。

  私は、「なんか今日おかしいとこある?」と正直に聞きました。すると、「○○は携帯持ってないもんね。今すごい話題になってるよ。」と言われました。「え、どういうこと?」と聞くと、「Aが○○が私を嵌めるために私のバッグに水着を入れてきたってLINEとかSNSで拡散してる。」

  最初聞いた時はよく分からず、なにも言葉が出ませんでした。


  一日中その疑われているような蔑んだような視線が続き、私を見るなりコソコソ言われ過ごしました。

  帰りのホームルームで、担任に「○○はちょっと話があるから残れ」と言われました。他のみんなは帰宅し、担任(男25)、副担任(女45くらい)、私の3人になりました。

  担任が私に、「ちょっと小耳に挟んだんだけど、、○○が意図的にAのプール道具に入れたんじゃないかみたいな噂があるんだけど、、そうなの?」と聞きずらそうに質問されました。
  「私はそんなことしていません。着替えようとして中身を見たら上だけありませんでした。」
  私が否定すると担任は、「そっかそっか、またこれもちょっと小耳に挟んだんだけど、仲いい子達と一緒にプールサボろうみたいな話をしてたって言うのも聞いたんだけど、、それはほんと?」と聞いてきました。
  「はい、、たしかにサボりたいとは言っていました。けど、本気でそんなことしようとは思ってなかったです。」と否定しました。
  すると、副担任が、「でもねー、そんなわざわざあなたの水着をAのプール道具に入れてやろうと思う子なんていないと思わない?」と完全に私を疑ってるいよな目で問いかけました。
  私は、「それは分かりません。でも、私はしていません。授業を受けるつもりだったから更衣室で裸になってもいました。着替えている途中にクラスメイトの子も入ってきたのでその子に聞けばわかると思います。」と言いました。

  けれど、副担任に「サスペンスドラマとかでもよくやるんだけど、容疑者、、って○○さんの事を言ってるわけじゃないんだけど、容疑者っていうのはやってないっていう物証と状況証拠って言うのが必要なの。○○さんが裸になってたって言う証人の人がいても、○○さんが入れたんじゃないかっていう物証と状況証拠がある以上こちらも○○さんを疑わざるを得ないの。」と言われました。

  私はもう何を言ってもどんなに否定をしても信じてもらえず「はい、、。」としかいえませんでした。
  また、副担任は続けて、「Aも今職員室で勉強して待ってるのよ。はやく○○さんが言ってくれたらお互いはやく帰れるの。」と言いました。
  私はそれでも「私じゃない。」と言い、否定し続けました。
  すると、担任が「まぁAは一旦帰らせようか。○○さん、お母さん家にいる?」と聞いてきました。私が「はい、います」と答えると、「じゃあちょっとお母さん呼ぶね」と言われました。

  お母さんが呼ばれ、学年主任も来ました。副担任が私に「お母さんにあなたが話しなさい。」と言ったため、すべて話しました。
  その後、母は真っ直ぐな目で「相手の子には巻き込んでしまい申し訳ないと思っています。でも、○○はたしかに運動が苦手で友達とのノリで冗談は言いました。けれど、だから人のプール道具に自分の水着を入れようとするようなそんな子ではありません。」と先生に向かって言ってくれました。

  私は涙が出ました。小学生の時もいじめで酷い目にあっても我慢して我慢して家で泣いて、先生に「いつも笑ってるから相手も嫌じゃないんだろうって思うんじゃないか?」と言われるほど、友達にも先生にも誰にも涙を見せたことはありませんでした。
  すると担任が、「なんで今泣くんだ?」と聞いてきました。その言葉がよく分かりませんでした。さっき泣けば良かったじゃないかということだったのか、泣けば済むと思ってるのかということだったのか、、私はその問に答えることもできず涙が止まりませんでした。

  その後、主任が初めて口を開きました。「○○さんとAさんは好きな子が同じなのよね?」
  私は「はい」と頷きました。


  私は小学校6年生からずっと好きな子がいたのです。中学1年生では同じクラスにはなれなかったのですが、Aさんは同じクラスだったようでその時彼女もBくんを好きになってたようです。その事を私は知らず、Aさんと移動教室で隣同士になっても普通にBくんが好きなこと、告白すること、どんな子がタイプかなど相談をしていました。彼女も「女子だね〜」と笑いながら話を聞いてくれていました。なので、彼女もBくんが好きだったとは知りませんでした。

  そして、私は告白をしました。彼は「こちらこそお願いします」と言ってくれました。男女問わず周りも協力してくれていたため半分無理やりのようになってしまい、申し訳ない気持ちもありましたが、それよりも嬉しい気持ちでいっぱいでした。後日、Aさんに報告すると最初は驚いていたものの「よかったじゃん」と言ってくれました。

  けれど、プール開きの1か月ほど前に友人からAさんもBくんが好きで、1年の時に告白してフラレれたらしいという話を聞きました。



  話は戻ります。そのためか副担任が急に「Aさんに嫉妬してつい入れちゃったんじゃないの?」と言いました。
  それには担任が、「いや、それはないと思いますよ。」と私の親の顔を見ながら言いました。
  副担任は少しムッとしていましたが、学年主任は「まぁ本当はどうなのかはその犯人にしか分からないことだから、、とりあえず状況を確認してもらいたかったのと連絡もせず遅くなってしまったので今回はお母様も呼ばせていただきました。また、状況が変わりましたらお母様も一緒に話をするということでもよろしいでしょうか?」と言い、母も了承して帰宅しました。



  前フリですでに長くなってしまいましたが、私がその後やられたことを話します。

・プリントが私のところに回ってこない(私は一番後ろの席でした。)
・返却されるプリントを私だけ思い切り顔に向けて投げつけられる(Aさんは配布係だったため毎回周りの子達から私のプリントを貰っていました。)
・技術で使う道具、美術で使う道具を投げつけられる(苗字が近かったため、副教科は同じ机(4人机)でした。)
・技術、理科の時間で使う道具を私にだけ渡さず、提出する授業のプリントが毎回白紙だった
・家庭科の授業で2人1組で料理を作るはずだったが彼女が「私と一緒は嫌だ」と言い始め、同じ机の子が「私変わろうか?」と言ったのですが、結局3人でやるような形になり私はなにも作ることができず、試食もできなかったため、想像での味や感想をプリントに書き提出した
・給食の時間にクラスメイトの前で「教壇の前で私に土下座して謝ってくれれば許してあげないこともないけど?」と半笑いで言ってきた。→「私はやってないから謝らない」と言いました。
・担任が教室に入ってきたら「せんせー○○さんが謝ってくれなぁーい」と走り寄り、周りもAさんを励ます。
・登下校時や休み時間、どこにいても周りが私を見てはコソコソ話し、「被害者面してんじゃねーよ」「どうせこの子が、、」「Aがかわいそー!」と言われる。
・授業中も小さなメモが回っており私には回ってこない。
・くじの席替えの際、たまたま彼女と隣になってしまいAさんが泣き始め周りが「大丈夫?」と近寄り励ます。(私のグループだった子達も励ましてました)
・グループの子達も話しかければ話してくれるが、向こうから話しかけてくれなくなった。



  このような精神的苦痛なことがたくはんあり、私は不登校になりました。その後も、母は私が学校に行けなくなったことが耐えられず毎日のように友達と遊ぶようになり家には誰もいないことが増えました。
  母に「なんでこうなっちゃったの、、」と呟かれたことは今でもしっかり覚えています。父は私を見るなり「なんで行けないんだ!」と怒鳴るばかりで、私が寝ている間は母にも起こっていたそうです。
  また、(これは1年後にしりましたが)父はその時ちょうど不倫をしていたようで、仕事を理由に家に帰るのが遅い日も多々ありました。


  私は家族も、友人も、教師も、誰も信じることができず死にたくなりました。リストカットもたくさんしました。自殺未遂をしたこともあります。それからは親がいる時間には外に出ず、部屋ではずっとヘッドホンを付け、大音量で音楽を聞き、漫画を読み漁っていました。
たまに涙が急に出てきて発狂する時もありました。そんな時は母が一生懸命止めていました。
  私がある時「精神科病院に行きたい」と言うと「一生残ってしまう、近所にもみんなに知られてしまう」という理由で私のお願いは却下されました。それからも母が部屋に入ってくると近くにある漫画や物を投げつけた時もありました。それほど、人間を拒絶していました。


  1年ほど経ち、少しずつ変化が出てきました。相変わらず学校には行きませんでしたが、母とは何度も話し合って和解をし、世間話をすることはできるようになりました。父とはそれから今までもあまり話していません。けれど、やはり外には出ることができず家から出ませんでした。


  2年後、1人ではむりですが、母と一緒に近くに買い物を行けるくらいになりました。ですが、まだ人の視線が怖くて前髪は伸ばし続け、なるべく下を向いて歩くようにしていました。
また、人に触られたり話しかけられると体が震えてしまいそこから動けなくなり、立ちすくんでしまう事もありました。
※学校にはほとんど行かず、卒業をしました。今振り返ってみると、私はあの時学校に行かないという選択をして良かったと思っています。後悔は全くしていません。むしろ清々しい気持ちです。


  3年後、やっと親戚との集まりに参加することができるようになりました。ですが、その時も急に気持ちが暗くなってしまい、ずっとぼーっとしていたため母が「一度家の中入ろっか?」と言い中に入った途端震えと涙が止まらなくなり軽い発作が起きてしまいました。けれど、そんな事も稀なくらい普通の生活ができるようになりました。

  4年後、あるアプリを見つけました。知らない人とただ会話だけをするというコミュニケーションアプリです。いまだ外には抵抗がありましたが、ネット上での会話はとても楽しくて、同じ境遇の人や励ましてくれる人、私のために「それはだめだよ」と怒ってくれる人、たくさんの人と話し少しずつ抵抗感がなくなっていくのが分かりました。

  5年後、私は今恋人がいます。Bくんではありません。Bくんには私の噂が出た途端にフラれてしまいました。そのアプリで出会った人です。もうすぐ1年になります。

  今でも背後に誰か立たれると怖くなって移動してしまったり、人の目が気になってしまったりはします。また、お仕事も怖くてできず、アルバイトをしたことはありますがお釣りを渡す際に手が触れただけで震えてしまい、辞めてしまいました。けれど、その度に「大丈夫だよ、また次頑張ろう」と励ましてくれる人に出会えました。リストカットや自殺未遂については「体を大事にして、お願いだから」と涙を流しながら叱ってくれる人に出会えました。


  また、3年前に入学して無事卒業できた通信制の高校でも友達ができました。3つ年上と1つ年上の大切な友達です。私の宝物です。こんなに大切な人達に出会えたのも私の選択が正しかったからだと思っています。後悔していることはひとつもありません。


  また、私は整形をしました。なぜかというと外で一度同級生に会ってしまい、震えが止まらなくなってしまったからです。何も変わらないかもしれない、こんな理由で整形をしてはいずれ後悔をするかもしれない、たくさん考えましたが、変われるかもしれない、なにか自信を持ちたいという理由で整形をしました。すると、同級生に会っても気づかれなくなり、友達からは可愛くなったと褒めてもらいました。家族や親戚は「そんなに変わらないよ。」と言っており、「でもよく笑うようになったね。」と言われました。


  私は成人式に参加することを前向きに考えています。なぜかというと今でも自信を持って歩いて行けると思うからです。

  質問項目に「どのように耐えたか」と書いてあります。私は耐えなくてもいいと思います。我慢しなくても良いと思います。学校に行くのがつらいのなら無理に行かなくてもいいと思います。私は通信制の高校でたくさんの出会いがありました。同じ境遇の子たちばかりです。たまに赤髪でピアスを付けたような人もいますが、話してみるととても無邪気でいい子だったりします。私が通った通信制の高校で悪い子は一人もいませんでした。

  私は友達が2人しかいません。人を信じることもまだできません。人が多いところに行くこともまだできません。普通の子ができることができなかったりもします。それがとても歯がゆく感じる時もあります。不自由なことばかりです。けれど、それでも今とても幸せだと自信を持って言えます。

  今、死にたいと思っている人は死なないでください。生きてください。この言葉がつらい。それも分かります。私も辛かったです。けれど、もう少し待ってみてください。頑張らなくてもいい、無理しなくてもいい、自分のできることをして待ってみてください。必ず良いことが訪れます。いい人に出会えます。心の変化が訪れます。
  あなたが幸せだと自信を持って言えることを心から祈っています。




いくつか質問をさせていただきました。ご回答ありがとうございました。


Q1.部活には何か入っていましたか?

  吹奏楽部に所属していました。1年生後期からいじめ前までは部長をしていました。ですが、いじめ後はみんなの対応が変わり始め、蔑みの視線や同情の目、普通に接しようとしてくれている子もいましたが、その優しさが辛くて不登校になるとともに行かなくなりました。


Q2.あなたにご兄弟はいますか?

  はい、兄が1人います。とても優秀でした。学級長や委員会にも入っており、クラスのムードメーカーのような存在でした。成績も良く、礼儀も正しかったため先生にも好かれていました。私とは真逆の性格です。そのため、母も兄のほうをいつも可愛がり、今でも兄から理不尽な怒りをぶつけられても兄を擁護します。


Q3.お母さんやお父さんの性格を詳しく教えてください。

  母は心配性で少々ヒステリックな性格です。昔から、小学校でマスクやタオルを持参してきてください。と言われると「何かあるといけないから」と3、4枚持たせるような人でした。また、思った様にならないとヒステリックになり八つ当たりのように怒り始めることもありました。

  父は昔は温厚な人でした。いつも笑っていて、なんでも「いいよ、いいよ」と許してくれる優しい人でした。そんな父のことを私は好きでした。ですが、私がいじめられるようになり学校にお世話になることが多くなり始めてからは、母が学校に行くと言っても面倒くさがり、私にも「なんで」と責めるようになりました。


Q4.お父さんとは、小さい頃からあまり話をしなかったんでしょうか。

  いえ、よく話をしてましたし、いじめ前までは2人で出かけることもありました。帰りもはやく父が帰宅すると家族でゲームをすることもあるくらいで、親戚からも「○○家はいい家庭代表って感じだね」といわれるほど、とても仲のいい家族でした。
  不倫をし始めてからは、遅くに帰る日もあり携帯をよく見るようになりました。また、お休みの日にあまり出かけなかった父が「友達と約束がある」と出かけるようになりました。


Q5.もし、今のあなたの知識・経験をもって、水着濡れ衣事件のときをやり直すとしたら、どのように対応しますか。

  「さぼりたい」という一言は言いませんね。けれど、きっとそれがなければまた違う方法で私が悪者にされていたかもしれないと思うと同じ対応をしてしまうかもしれません。今を後悔していないのでやり直したいとは思いません。


Q6.リストカットや自殺未遂をしていた頃、あなたをぎりぎりのところで支えていた考えは、どのようなものでしたか。

  「死にたい」とは思いましたが、本当にこの世からいなくなる勇気はなかったんだと思います。支えてくれる人も、ものも、何もありませんでしたが、この世からいなくなることはできませんでした。


Q7.もし、リストカットや自殺未遂をして苦しんでいた頃の自分が目の前にいたら、どんな言葉をかけますか。

  これからたくさんいいことがある、大丈夫だと言葉をかけたいです。あなたにはちゃんと明るい未来があると教えてあげたいです。


Q8.高校を卒業されて、今はどんなことをされていますか。

  今は内職をしています。なので月5日ほどしか外には出ません。けれど、数年前とは違い、今昔話のようにここに投稿できるくらいには精神的にも回復し、友人や恋人と会い、とても充実した生活をしています。


Q9.「あの時死なないで良かった・・・!」と思える瞬間はどんな時でしょうか。

  笑っているときでしょうか。人と会話をしたとき、映画を観てるとき、ショッピングをしているとき、テレビを観ているとき、旅行に出かけたとき。学校ではいつも愛想笑い、作り笑いだった自分がちゃんと口角を上げて口を開けて笑っていて、、あぁ、生きていてよかったと思います。


Q10.通信制高校のスクーリングなどに行き始めた頃は、とても緊張されたと思います。同じように緊張している子がいたら、何とアドバイスしますか。

  私も同じようなことを3つ年上の友人に相談したことがあります。
  友人はこう言っていました。「○○がそう思っているのと同じことを学校の8割の人は思っているはずだよ。私もそうだった。でも、勇気を出して話しかけてみて?私が話しかけた時も○○は笑って返してくれたでしょう?多分みんな同じだと思うよ。1人だけでもいいからまずは勇気を出して話しかけてみたら?」と。

  私もこのアドバイスのおかげで克服できました。それまで2年間もこのアドバイスをくれた友人しかいなかったんですよ。でも、それからたくさん話しかけてみましたが、誰一人無視するような子や素っ気ない子はいませんでした。みんな少し安心したような嬉しそうな顔で返してくれました。


Q11.最後に、いじめられている子にメッセージがありましたら、お願いします。

  上にも書きましたが、無理はしないでください。誰かの声に答えなきゃと思えば思うほど答えれなかった罪悪感に押しつぶされ、心が疲れてしまいます。学校に行きたくなければ行かないという選択肢もあります。大人はそんな選択肢を教えてくれないかもしれない、許さないかもしれない、でもあなたの人生です。一歩勇気を出して、「私は行きたくない」と言ってみてください。それで、呆れて見捨てるような親か、寄り添ってくれる親か、前者だったとしても諦めないでください。

  いつかあなたにとって大切な人ができます。必ずできます。頑張るのはそれからで大丈夫です。今はその日を待ち続けてください。

  あなたの幸せを心から祈っています。幸せになって一緒に堂々と前を向いて歩きましょう。

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