いじめと戦おう!〜対策と克服法〜
13.幼いころ〜18歳男性・・・家族からのいじめ(現在、21歳)

 ご本人からのメール

〔いつごろから?〕
幼いころから

〔いじめグループはどんな人たち?〕
家族

〔いじめのくわしい内容〕
 これからみなさんに、面白い話をしようと思います。それは、いじめの話です。いじめって、一体なんだと思いますか?私はこう思います。それは、神様が生きている人間に与えた、地獄だと。いじめられている人、いじめられた人というのは生きたまま地獄を見ます。これに耐えようが耐えまいが、神様はこうして人間にものすごい教訓を与えようとしたのだと私には思えてなりません。

 私がいじめを意識したのは、物心ついた頃でしょうか。私には弟がひとりいて、親にいつも比べられました。幼い頃の弟は体が弱く、夜中に病院へ運ばれたり、いつも誰かがついていなければいけませんでした。けんかをすれば当然親は弟をかばいます。その後も、勉強のできる弟は親を喜ばせ、私は馬鹿者扱いされました。その頃の私は表では、わめき散らして、陰でいつもいつも泣いていました。

 常に比べられ続けて、それは私が18歳の時に一人暮らしするまで続きました。一人になってからの私は最初、誰とも比べられないということに当惑しました。家には自分ひとりしかいない訳で、比べられる相手が側にいないわけですから当然なのですが、今までずっと比較されることになれてきた私には戸惑うようなことだったのです。それから徐々に一人に慣れましたが、時々過去のことを思い出したり、考えたりしてたくさん苦しみました。でも、それから三年経ったあるときふと分かったのです。いじめって、ある条件の下で成り立っているのだということが。それをこれからお話します。

 まずいじめが起こるには、「全ての人が平等に同じ」という条件がなければいけないのです。ただしこの「全ての人が平等に同じ」というのはいじめにおいて、とても安易な意味で使われます。それはなんとなく集団の中で、暗黙の了解で一定の条件を満たした人が合格でそれに漏れた人はみんなと違うからだめ。といったような、なんとも稚拙な感覚的なものです。みんなが、心の中では周りの人のことを無意識的にあるいは意識的に、色々な風に思っています。不快に思ったり、快く思ったり、それはほんの一瞬で消えてしまう時もあれば、長いこと心にとどまる場合もあるでしょう。いじめられる人というのはみんながそんな風に日常的に思っていることをふとしたときに口にしたり、態度で表したときに、意識的、無意識的にかかわらず、マイナスの部分ばかりを集めて感じてしまいやすいのかもしれないのだと思います。それは、意識化され、されに意識すればするほどますます自分に襲い掛かってきます。周りに、影響されやすい人がいればその人も反応してさらに周りにもマイナスを拡大しようと広がっていきます。もうここまでくれば地獄絵図が広がるように事は進行していくでしょう。

 たったひとつ、私たちが気づかなければならないことは、人は一人ひとり全く別々の違う人間なのだということです。私たちは、見た目や遺伝的に似ているようなところはいくつもありますが、一人ひとりは同じではないのです。そもそもが違うのに、比べるということは、これは矛盾したことです。違うものは比べることはできないのです。そのことにまずは、いじめられていると感じている人が、気がつかなければいけません。これは、地獄から抜け出す最後の試練です。人生にこれ以上の試練はありません。生きたまま地獄を見て、生きてそこから出るのならその人は誰よりそれが苦しいことか分かるでしょう。しかしそこにはもう、いじめは存在しないのです。

 私たちは誰もが人生で果たすべき役割と目的があります。そして、人生は短いです。私たちは不幸になっている暇はあまりありません。それは決して無駄なことではありません。でも、人生はそれだけではないのです。自ら命を絶ってしまったり、人を殺めてしまう悲劇はいくらこれまで幾度もあったことだとしても、ありえないことです。人はそれぞれ違い、人生で成すべき役目があり、次代へと受け継いでいきます。どうかそのことをよくよく思い出してください。気づいてください。みなさんがまた笑顔で歩き出せることを心から願ってやみません。そしていつか笑顔であなたと会えることを私は楽しみにしています。



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