いじめと戦おう!〜対策と克服法〜
23.小1〜高3女子…クラスでのいじめ(現在、31歳)

 ご本人からのメール

〔いつごろから?〕
 小1 4月〜中3まで(公立共学) 
 高校(私立女子高)1〜3年 


〔いじめグループは何人?〕
 小学校〜中学校まで:ほぼ男子生徒全員+女子2〜3グループ(含「友人」)
 高校時代:同じ中学出身の女子グループと一部教諭


〔いじめグループはどんな人たち?〕
 「普通の」男子生徒と、彼らに気に入られたい女子グループ、友人だと思っていた人たち


〔まわりの人たちのようす〕
 クラスメイト・同級生の反応「それが普通」と思っていた。

 先生:対策してくれたが、効果はなかった。その後は静観していた。一切の期待は止めた。

 親:相手の家に電話をしてくれたが、効果はなかった。

 高校(専科)の教諭:「クラスの輪に入らないほうが悪い」「他人との関係が作れないのは『その職の適性がない』証拠」と言われた。自主退学に向かわせるようなことを言う教諭もいた。


〔いじめのくわしい内容〕
・小1、四月、入学当初
 きっかけは忘れたが、男子から「ねまり(腐っている、汚いという意味)」と言われた。同じ保育園だった友だちに助けを求めたが、『お前よりこいつらの方が大事だから』と言われた。誰もいない時は普通に話してくれたが、次第にそれもなくなった。

 いじめっ子の男子が集合住宅だったからか、あっという間にいじめが広まった。教師が気づいた時には、クラス外までいじめの輪が広がっていた。2学期以降は「いじめが当たり前」になっていた。

【内容】
 班活動の時に机をくっつけてくれない、掃除の時でも私の机に触らない(足でける、ぞうきん越しに触る、そもそも移動させない)、私が触った物を捨てる、集団下校なのについてくるなと言う、など。

【私の反応】
 その一つ一つに抵抗した。暴力による反撃はしなかった。「なんで自分が、覚えのないことでいじめられる」のか、納得がいかず反論をした。


・小4〜小6
 状況がエスカレート。私が掃除をしたところに触らない、花を教室に飾ったらすぐに捨てられる、お誕生日会で私のプレゼントを受け取らない、上履きを窓から投げ捨てる、家庭科実習で、調味料を多く入れられる、実習班の中に入れてもらえない、など。

 「保育園が同じで仲がよかった男子生徒」との間に恋愛のうわさを立てられ、「お前に好かれて○○がかわいそう」などと言われた。カゼで一週間ほど休んだた後「なんで来るの?お前がいない学校は天国だったのに」と言われた。

 下級生(同級生の弟妹)や、近くにあった養護施設の下級生、判断力の弱い知能・身体障害のある子に(私を)いじめろ、と命令していた。「下級生にすらいじめられるんだから、どうしようもないやつだ」と思われるようになった。

【「友人」たちとの関係変化】
 一緒に帰っている途中、からかわれた。「先に行って」と行かせて、そのすきに隠れる。気づかなかったら「にぶい」と言い、気づいても「気のせいじゃない?」と言う。 『霊に取り付かれた』とさわぎ、真面目に聞けばバカ扱い、信じなければ薄情者と呼ばれた。
 でも、その友人達との関係までなくなってしまったら、どこにも居場所がなくなってしまうので、どうしようもなかった。

【私の反応】
 抵抗はしていた。担任にも相談したが何も変わらなかった。毎日のように「死」を考えた(小3くらいから)。「自分なんて生まれてこなければよかった」「なぜ、親は自分を生んだのか」「私は産んでくれと頼んでいない」「自分が存在した記録ごと消してしまいたい」と考えた。

 でも、自殺しようとはしなかった。確実に死ぬ方法がわからなかった。葬式は人手もお金もかかるし、家族から「愛されている」実感があったので、悲しませたくないと思った。

 母にも相談した。登校拒否・転校などはさせてもらえなかった。「いじめているほうが悪いんだから、逃げる必要はない」「あくまでも学校に行って抵抗するように」と言われた。

 私は他人の醜いところをぶつけられる為に存在している、他人の醜いところを引き受けて、その人の魂や精神がキレイになれるために存在している、と考えることにした。それを私の役目として受け入れようとした。そう思わないと生きていけなかった。


【周囲】
 いじめられっ子だから仕方ない、と思っていた。小5の担任は「えこひいき」をすると言われていたので、いじめへの介入も(私への)「えこひいき」と、クラスで思われていた。小6の時に担任が途中で交代したので、対策が途切れた。

 何度かクラスで「いじめについて」の話し合いが持たれた。いじめの中心人物に『どんな気持ちになるか』と聞いたり、一日いじめられるとどう思うか、などのシュミレーションをした。しかし、『いじめはよくないと思います』とうわべだけの反省だけで終わった。その日のうちにいじめが再開した。教師への期待は、完全になくなった。

・中1〜中3
 近くの小学校2校が合流した。少しは良くなるかと期待したが、人数が増えただけで、同じだった。1週間で、他校から来た生徒もいじめに加わった。

 病欠後、登校すると、私の美術用パレットに「死ね」と書かれていた。それは借りていたものだったので、持ち主からも非難された。上履きを隠されたこともあった。反論したものの、暴力で反撃されることもあった。

【女生徒たち】
 男子と仲良くしたい女子がいじめに加わった。もてるように頑張っているタイプだった。「あいつは貧乏だ」と噂され、修学旅行のときに「○○よく旅行これたね〜お金あったんだ〜ww」と言われた。「あいつは汚い、馬鹿、ブス」とも言われた。そのせいか、いまだに女性不信がある。


【友人】
 友人として付き合ってくれる時もあった。でも、いじめられている人間、という事が前提で「友人付き合い」をしているようだった。いじめにまきこまれないように、自分たちも率先していじめていた。

 交換日記をしたが、『私が面白おかしく不幸になり、破滅していく物語』を私に読ませることが目的だった。いじめられていた男子を『私が』好きな事にして、替え歌でからかわれた。好きではないと言っても、「嫌い嫌いも好きのうち」と相手にされなかった。勝手に「○○君にバージンあげるって(私が)言ってる」とも言われた。

 エッチな言葉を言わせようとされた。うっかり言ってしまうと、しばらくからかいのネタになった。ラジオの人気番組だからと嘘をつかれ、テレクラに電話をさせられた。スカートめくりやブラジャーのホックを外された。ブルマを降ろされたり、ジャージを降ろす、ブルマを履き忘れた時に集中してスカートめくりをするなど、今考えても悪質だった。

 また、「○○おごって」と言ってくる。拒否すると「おごってくれないなら友達止める」と、脅迫されることもしばしばあった。


【対策】
 あまりにひどかったので、暴力での反撃もしたが、「先に手を出した方が悪い」と言われ、逆に非難された(女子相手の時)。逆に暴力で反撃されたりもした(男子相手の時)。

 最初のうちは言葉でも抵抗していたが、抵抗そのものがバカらしくなってきたので止めた。


【自分の状況】
 「死」について、より具体的に考えるようになった。自傷はしなかったが、道路にふらふらと出て行ったり、カミソリを手首に当ててみたり、首にロープをかけてみたり、拒食したりと「命」そのものをおもちゃにしだした。

 生きていても死んでいても同じと思うようになった。自分から積極的に何かを好きになることを止めた。自分が好きだと言うだけで、それ自体がけなされたりした。

 何かを好きになるのは「死」への妨げになる考えるようになった。しかし、好きになった人がいたので、死なずにすんだ。当時は、「だから死ねないんだ」と残念に思っていた。あえて自分の事を嫌ってもらえるように振舞った。

 一人でいると目立ってしまい、先生やいろんな人の興味を引くので、いじめられても「友人たち」の中にいた方が、まだましだった。正直、もういじめはどうにもならないと感じていた。死んでも無価値、生きても無価値と思っていた。




いくつか質問させていただきました。答えていただき、本当にありがとうございました。


Q1.道路にふらふら出て行ったり、刃物を手首に当てたりしていた時、どのように考えて自分を立ち直らせていたのですか。
 
 「痛いのがイヤだ」とか、家族の事などを考えたりすると、どうしてもできませんでした。また、「何で自分が死なないといけないの?」と自問自答しました。結局、未遂で終わってました。(その後、爆発して自傷してしまうのですが、当時はただ怖くて……)


Q2.高校卒業後から今までの生活を、よろしければ教えてください。

 少し(かなり……かも。もう結構いい歳ですので)長くなりますので、(高校在学中の部分も抜けてましたのでそれも含めて)改めてメールいたします。申し訳ありませんが、よろしければもう少しお付き合いくださいませ。


Q3.今までで、一番「生きててよかった」と思えたことを教えてください。

 一番ではないですが……原点だと思うことを。「生きてて良かった」と思えたのは、中学の時に好きになった人(HPの中の「影の実力者タイプ」の人)がいたことです。

 一切のいじめに関わらず、超然として自分の価値観を持ちえた人でした。卒業前に告白したんですが、気持ち悪がらずに、受け入れてくれました。恋はかないませんでしたが、私の気持ちを受け入れてくれただけでも本当に良かった、と思います。このおかげで、私でも人を好きになってもいいんだ、ということを学びました。
 
 その次には、高校時代の部活の先輩の存在です。いじめのこと、中学まで友人がいなかったこと、そして、友人がいる彼女をうらやましいと思うことなどを話しました。その人は、泣きながら話す私を受け入れて「今は自分がともだちだから、もう泣かないでいいよ。今まできつかったね、頑張ったね」と言ってくれました。
 
 少し離れた時期もありましたが、今でも変わらず友人です。彼女の友人も私の大事な友人で、今も年2〜3回は集まっておしゃべりしています。
 
 今、一番幸せなのは、恋人であり、友人でもあり、私の一番の理解者である夫の存在です。彼もいじめられた経験があります。そのためか、私以上に私がされたことに怒り、悲しみ、時に叱咤しながらも、そばにいてくれます。ありがたい事です。
 

Q4.いじめられた経験が、何かの役に立ったことはありますか。たとえば、職場でいじめられている人をなぐさめてみたり。
 
 正直、「役に立った」と実感できることは少ないです。
 
 ただ、世間で言う「当たり前」なことが人を傷つけてはいないか、と配慮するようになりました。また、「自分は他に代わるものがないもの」ということを強く意識し、大事に生きようと思うようになりました。

 人の弱さや、ズルさも、決して「他人だけのもの」ではなく、自分にもあると意識するようになりました。だから、「自分だけはそうなるまい」と自分の行動をチェックできるようになったり……これは良い事なのでしょうか?

 毎日「死」を意識していたせいかもしれませんが「一日を大事に生きる」ことを心がけるようになりました。毎日を丁寧に生きる、どんな一日でもいい事が必ずあったはず、悪い一日を次の日に引きずらない!と思いながら生きています。参考には多分ならないですね……ごめんなさい。


最後に

 私がいじめられていた日々からすると、もう20年近く経ちます。時間が余りに経ちすぎて、こういうことを人に言おうとすると「もう昔の事だから」「今が幸せならそれでいいじゃない」となかなか聞いてもらえないのですが、こういう機会を頂けた事、ありがたく思います。

 いまだに、ちょっとした事……例えば誰かの笑い声にビクっとしたり、夜中に思い出して飛び起きたり、ふとした瞬間に「あ、死にたい」と思ったりと、完全に傷は癒えてはいません。そんな私でもなんとか生きている、ということと、「いじめ」が人に何をもたらすのか、を知っていただけると嬉しく思います。
 
 長くなりましたが、取り敢えずは上記にて失礼致します。


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