いじめと戦おう!〜対策と克服法〜
27.小1〜2・中2〜3女子・・・クラスでのいじめ(現在、22歳)

 ご本人からのメール

〔いつごろから?〕
 小学1〜2年、中学2〜3年

〔いじめグループは何人?〕
 小学…2人、中学…1〜40人

〔いじめグループはどんな人たち?〕
 小学…男子2人 誰かとつるむタイプ
 中学…一見優等生だが性根が腐っている、誰かとつるむタイプ

〔まわりの人たちのようす〕
 小学…気が強い女子1人が守ってくれた 
 中学…ほとんど見てみぬふり、親友はいつも心配してくれた

〔いじめのくわしい内容〕
 [小学生1〜2年]
 このころ、わりとおとなしい性格で、極度の野菜嫌いだった私。勝手に先生が掲げた『給食を残さず食べましょう』というクラス目標に反し、いつも野菜を残していました。それを男子2人が目をつけ、いじめられるようになりました。

 始めは先に給食を食べ終わった男子2人がまだ食べ終わってない私の前に来て、「もたもたしてんじゃねーよ。早く食えよ」と私が全て食べるまで見張りました。仕方なく口にほおばり、給食終了後、トイレで全て吐いていました。

 何も反抗をしない私に対して、徐々にいじめはエスカレートしていき、アレルギー性鼻炎で鼻水が出やすい私に対し、「汚い」だとか「鼻くそ食べろ」さらには「ケシゴムのカスを食え」など意味の分からない命令をする毎日が続きました。

 そんな毎日を送るにつれ学校に行くのが怖くなり、ズル休みをしようと思いましたが、背景を何もしらない親に無理矢理学校に行かされていました。


 そのうち「明日もう学校来るな。だから死ね」と言う言葉が決定打となり、私は不登校になりました。もう生きていたくない、辛い毎日は嫌だと、まだ小学生2年ながら自殺を決意し、首を吊ったこともありました…が意識が戻った時は紐が切れ、あえなく自殺未遂に終わりました。

 親は学校に相談。担任の先生が状況に気がつかなかったことを受け、女性の副校長先生が「教室に行かなくていいから私と一緒に学校で遊ぼう」とおっしゃって下さり、私は徐々に学校に行くようになりました。

 幾日が流れ、「教室に行ってみる?」と言われ、廊下から教室を覗くと仲良しの友達やクラスメートが笑顔で「待ってたよ!」と声を掛けてくれました。それが嬉しくて教室に戻る決意をしました。男子2人が近寄って来たときは気が強い仲良しの女の子が追い払ってくれました。徐々に男子2人も諦めたのか、何もされず普通の学校生活に戻れるようになりました。



[中学2〜3年]
 1年の時、吹奏楽部に入部しました。幼稚園からの親友や小学校からの仲良しな友達と共に入部し、楽しく日々練習に励んでいました。しかし、3年の先輩達が抜け、2年の先輩達が部を率いることになってから状況が一変。それまでは真面目に練習していたのに、部員のほとんどが練習をさぼり、漫画を読むようになりました。

 始めは見てみぬふりをしていましたが、大会が迫っていたこともあり、顧問の先生に私は状況を相談しました。それが2年の先輩の耳に触れ、通告者と私はののしられ無視されるようになり、耐えられなくなり退部しました。

 2年に進級、一見優等生タイプの男子に容姿についてからかわれ、鏡を見る事も人と目を合わせる事もできなくなり、不登校になりました。学校側は「その男子はもう反省している」など、事実かどうか分からないことを言ってくるだけで、私の心には深く届きませんでした。親友は家まで足を運んでくれ、大変気持ちは嬉しかったのですが、対人恐怖症になってしまった私は親友とさえ顔を合わすことができなくなってしまいました。

 その後、不登校の子たちのための学校に通うようになりました。そして、同じ過去を持つ仲間達に支えられ一念発起。高校、専門学校と何事もなく無事に卒業し、今は社会に溢れる悪人から弱者の幸せを守りたいと思い、警察官を目指しています。



 このHPのTOPにある、あなたの精神力は『横綱級』です!という言葉に喜びを感じ、自分に誇りを持つことができました。

 いじめは悲しいですが、心からぬぐいされない悲しい過去です。でもそれに向き合い、もう2度と不幸な人を増やしたくない!と学べる機会になったと今は前向きに考えることができます。中学生の約8割がいじめの被害者、加害者になるこの御時世、両者の保護になる生活を行政や地域により形成されていくことを願っております。素晴らしいサイトを立ち上げて頂きありがとうございました。




その後、こちらの方は見事警察官になられました!将来は、青少年課でいじめ等の相談にあたりたいとのことです。いくつか質問に答えていただきました。


 私がいじめにあった頃はまだ携帯電話が普及していませんでしたので、とても悲しいことですがいじめが多様化している今の子ども達の方が、より心労が重いものだと思います。彼らの力になれ、少しでも前の明るい彼らを取り戻してもらえるような、温かい親身な対応ができる警察官になりたいと思っております。

Q1.女子がいじめっ子たちを追い払ってくれた後の小学校生活では、何事もなく過ごせましたか。

 学年が上がりクラス替えがあったにも関わらず、いじめてきた男子とまた同じクラスになってしまいました。更に不幸なことに隣の席になりましたが、その後いじめられることはありませんでした。


 Q2.男子を追い払ってくれた女の子とは、どういう子でしたか。男子とも平気でケンカしてしまうような、サッパリとした性格だったんでしょうか。

 彼女は兄が2人いる3人兄弟だったので、男子との喧嘩にはなれているようでした。とてもサッパリとした性格で、勉強もでき、女子のリーダー的存在の子でした。


Q3.吹奏楽部の同学年の生徒には、相談はしましたか。「あたし、先生に言おうと思う…」とか、「先輩に目をつけられてる。どうしよう」など。

 相談したというより、注意していました。私以外はほとんど漫画に夢中だったので(苦笑)。他の部活の子に相談し、先生に相談することに至りました。


Q4.その後、高校では、何か部活動はされましたか。

 高校では、1年時はバレーボールを。2年、3年時は映画鑑賞同好会に所属していました。


Q5.そのからかわれた内容について教えていただけないでしょうか。同じ様なことを言われている女の子がいたら、何と言って励ましてあげますか。

 出っ歯とかすきっ歯とか言われていました。

 私も言われてた事あるよ。その歯に生まれたのは遺伝だから、あなたのせいではないから自分を責めないで。もし気になるなら、家族に歯の矯正をしたいと一度相談してみてね。
 

Q6.その時、家まで足を運んでくれた親友とは、その後付き合いはありますか。また、その親友はどんな性格の方だったんでしょうか。

 その後も年に数度ではありますが、連絡は取っています。親友も、2年生の時にイジメにあい保健室登校をしていました。私は自分がイジメを克服してからは、彼女に会いに保健室に通い、徐々に仲良くなりました。


Q7.フリースクールの雰囲気はどういう感じでしたか。

 ほのぼのとした雰囲気でした。子どもが先生方をあだ名で呼んだり、子ども達もあだ名で呼び合ったり。


Q8.クラスメイトの方たちは、優しい方ばかりでしたか。今でも付き合いがある友だちはいますか。

 皆、同じような境遇なので対立などはありませんでした。明るくて、優しい子達ばかりでした。残念ながら当時は携帯電話を持っていなかったので、親交は現在はありません。
 

Q9.そこでは、いじめはありませんでしたか。

 全くありませんでした。


Q10.先生は優しい方ばかりでしたか。

 優しく、とても親身な方ばかりでした。


Q11.通い始めてから、どれくらいで対人恐怖症がよくなりましたか。2ヶ月くらいでしょうか。

 最初の1ヶ月は緊張で一杯でしたが、気軽に話しかけて来てくれたので、緊張が徐々にほぐれていきました。

 
Q12.いじめが元で、対人恐怖症になっている子に、何か回復するためのアドバイスをお願いします。

 ゆっくりでいいので、映画を見たり、買い物に行ったり、人が多い所になれていこう。あなたよりも年齢が低い子達は、無条件にあなたや年上の人を好みます。年齢が低い子達と一緒にいると、明るい気持ちになれますよ。


Q13.通っている間、学校に行くのは楽しかったですか。

 とても楽しかったです!毎日、勉強は少しだけ(笑)やり、その後は野菜を収穫したり、ドッジボールをしたり、みんなで放課後遊びに行ったり…本当に素敵な日々でした。


Q14.専門学校では、どんなことを学ばれたんでしょうか。また、それを学ぼうと思ったのはなんでですか。

 専門学校では、テレビ音声というテレビの音に関することを学びました。私は昔からテレビが大好きで、不登校時はバラエティ番組にとても元気をもらいました。今度は私が誰かを元気にさせるお手伝いをしたいと思い、テレビの仕事を学ぼうと思いました。


Q15.高校、専門学校では、とても楽しく充実していましたか。

 高校は毎日がパラダイスのような日々でした!毎日、笑顔に溢れた楽しい日々でした!
 専門学校は始めは全く趣味が違うクラスメートばかりで苦労しましたが、徐々に仲良くなってからはよくカラオケやゲーセン、家に遊びに行ったりなどしていました。


 長文になってしまい、申し訳ありません。私の言葉が少しでも彼らの力になれば幸いです。


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