いじめと戦おう!〜対策と克服法〜
28.小3〜中1男子・・・クラスでのいじめ(現在、14歳)

 ご本人からのメール

〔いつごろから?〕
 小3

〔いじめグループは何人?〕
 小学校…20名
 中学校…クラス9割、先生や保護者(40名を越える)

〔いじめグループはどんな人たち?〕
 表良い人。裏ではいじめっ子。

〔まわりの人たちのようす〕
 見てみぬふり。 親バカ。

〔いじめのくわしい内容〕
 こんにちは。大阪の中学2年生のDreamといいます。
いじめにあって現在不登校です。でも、不登校=克服できていないというわけではないと思います。


○小2。
 僕はいじめっ子でした。人をいじめて楽しんでいる日々。


○小3。
 標的が僕に移る。集団10名ほどによるいじめが始まる。暴力が多かったです。雨の日はグラウンドへ突き落とされ、教室の後ろで10人に囲まれ踏まれる。周りの生徒は見てみぬふり。

 限界に達した僕は登校拒否を開始、保健室登校を始めた。だが、クラスメイトが入ってくるため、いけなくなった。特別教室を用意してもらったが 覗きにきたりして嫌になり、本格的に不登校に突入。カウンセリングへ通う。


○小5。
 不登校から2年。フリースクールを紹介してもらう。フリースクールへ通い始める。毎日が楽しくなった。そのフリースクールは進学塾が運営。

 そして、また学校に行きたい・・・。僕は中学校の受験を決意。勉強が小4でとまっている僕。必死で取り返し、1年間の受験勉強で受験へ。


第2志望校に合格。私立中学に入学し通い始める。
・・・友達がたくさんでき、毎日が楽しい。幸せな日々。 これが克服の瞬間であった。だが悪夢は続いた。


○中1の6月。
 人生初の彼女が出来る。その彼女からいじめが始まるのだ。「電話してくるのがウザイ」というわけわからん理由でいじめが開始された。彼女はリーダー格。まずは女子全員からの軽蔑が始まる。もうその時には小学校のショックは癒えていたが、同じことを繰り返すと思い耐えた。

 次。男子参戦。男子からの暴力が開始。朝学校に登校するといきなり後ろからとび蹴り。毎休み時間に、 足をうえにされ宙吊り。そんな僕を見世物に笑っている周り。

 先生に相談。対処が早い。すぐ対応。さすが私立だと思った。だが人数が増え20名ほどになったとき。先生はめんどくさくなったのかこんなことを言い出した。「いじめいじめってなんでも言ったらあかんやろ」と対応をしなくなったのだ。

 先生が味方でなくなり、ついに不登校になる。耐えたせいか、精神状態も不安定。人間不信も強まった。

 学校の中の保護者の中では 「Dreamって子。彼女を何股もしてたらしいよ〜。そりゃいじめられて当然だよね〜」・・・まさにデマである。彼女は人生で一人。そして いじめられて当然 と笑いながら言ういじめっ子の保護者たち。
いかにも親バカな金持ちたち。


 僕は大阪のミナミで育った。私立の中学というのは大阪の北摂地域にあった。ミナミは庶民の町であり、北摂は金持ちが集まる町である。北摂からはミナミの人たちはバカにされる。それもあり、僕は馬鹿にされていた。


○中1秋。
 精神状態・・・最悪。毎日夜中に暴れだす。それはなぜか。思い出して悲しくて泣きたくなる。泣きたくないからそれを抑えるために暴れていたのだ。

 学校の写真も切り刻んだ。だから中学での思い出の写真は一枚もない。
自殺願望も大きかった。遺書も書いた。学校に通ってていじめにあってた頃、 帰りの電車で飛び降りようかと何度したことか。いじめのショックで駅に立ちすくみ帰宅が数時間遅れたり。


 小6のとき僕はブログをやっていた。中学に入り休止した。中1冬。ついにブログをまた立ち上げることを決意。いじめにあって精神状態が最悪なときの記事が今も尚残っている。
(現在はブログ閉鎖中)


 僕は小5のときから レーサーを夢見てモータースポーツをしていた。中学入学でお金がかかるため休止。

○中1冬。
 僕の精神状態は不安定だが、正常なときは普通。僕は「僕のような目にあってる子を一人でも多く助けたい」を掛け声にネットでの不登校、いじめを助ける活動を開始。自分のブログにていじめの凶悪さを訴えたり、インターネットラジオを通じて自身の肉声でも伝えた。


 ボランティアは本格化し、フリースクールも支援。ネットだけでなく近隣の子でそのような目にあってる子がいたら訪問。外に出るのは出来なかったがちょっとずつがんばった。今日は○分外に出てみようと続けた。外に出れるようになってきた。


○中1、3学期末。
 学校を退学。公立へ移る。ボランティア本格化、モータースポーツの活動開始。そして現在不登校レーサーとして活動しています。精神状態も戻り、不登校だが地獄の日々を乗り越えた。


 同じ境遇の子を助けるというボランティアから僕は救われたのかもしれない。


 不登校でいじめられていても今、こうやって生きている。レーサーとして人前で走ってもいる。みんなも生きる希望をなくさないでほしい。



 僕を救ったのは 「いじめる側が100%悪い」 という言葉。


・耐えるために、どう自分を励ましたか
 僕は耐えなくていいと思います。相談して、苦しかったら不登校になってもいい。不登校は逃げじゃないですよ。不登校は行かなくなったんじゃなくて 行けなくなった人たち。

 
ちなみに僕は不登校であること、いじめにあったことを誇りに思っています。そして、今までの地獄の日々に感謝しています。その経験で今、たくさんの子を助けれているのですから!

長文ありがとうございました!



いくつか、質問させていただきました。答えてくださって、ありがとうございました。

Q1.小3の時、いじめられることになった原因とは何でしょうか。

 ここは「きっかけ」と捉えてお答えします。小学校のときのきっかけは僕がいじめをしていて、それがみんなに発覚し、避けられ始めたというものです。

 ちなみにきっかけといったのは、僕はいじめの原因は、いじめる側の心の中であると考えるので、原因という捉え方はしません。



Q2.登校拒否をし始めたのは、小3の何学期ころでしたか。

 すいません。覚えていません。いじめのこともあったので覚えてません。精神状態がそんな風になると記憶が飛びやすくなるとも言われてますね。



Q3.小3から小5まで、登校拒否をしている間、何をしてすごされたんでしょうか。

 小学校のときは精神状態もそんなに(自殺未遂とかまでは)は酷くなかったのです。電車が趣味だったもので、毎日駅に行って写真を撮って、ってやってました。



Q4.フリースクールはどういうところでしたか。やはり、同じような境遇の子どもたちがいたんでしょうか。

 いました。そのときは2名いました。やはり、経験してきた子たちだから、理解もあったし、すぐに話が合いましたね。



Q5.フリースクールの子たちは、やはり苦しみを知っているだけあって、優しい人たちばかりでしたか。

 優しい人ばかりでした。それは断言できます。



Q6.フリースクールの先生は優しかったでしょうか。

 優しかったです。 僕が苦しいときは相談に乗ってくれ、何かあったときは励ましのメール・・・。本当に先生には感謝です。



Q7.フリースクールの授業はどういうものでしたでしょうか。学校とはこんな所が違う、というものがあったら、ぜひ教えてください。

 やはり自由な場所として居心地がいい場所でした。フリースクールといいましても、何もかも自由なのではなくて、 勝手に外に出ない とかの常識的な決まりはあります。

 授業は、僕が行ってるフリースクールの運営が進学塾ともあって、勉強面に関しては良かったです。フリースクールでは 午前中勉強。昼からは基本自由で、本を読んだり、ゲームしたりしてます。



Q8.中1のとき、彼女ができたそうですが…、最初は好きだったんでしょうか。どんなところにひかれましたか。

 最初は・・・好きでした。中学生ですし、なんというか「彼女がほしい」という気持ちが強すぎて、「早く作らなければ!」とあせっていた面もありました。ひかれたのはやっぱり話をしていて、楽しかったという点ですね。

 でも今ではいい経験になってます。最初は気を使っているから良い人に見える、時間が経てば本性が出てくる、ということを学びました。そのときの僕は友達になってすぐ告白したので、そこがだめだったと思います。



Q9.中1のとき、彼女からのいじめが始まったのは何月ころだったんでしょうか。

6月です。 2008年6月です。1学期末ですね。



Q10.その彼女は、女子たちの間でリーダー的な存在でしたか。

 そうなんです。リーダー格だったため、女子全員が動いたのです。そのことは後で知りました。



Q11.何時間も駅で立ちすくんだり、自殺も考えたころ、どうやって自分を励まし、生きようと思われたんでしょうか。

 小学校のときに知った「いじめる側が100%悪い」 という言葉を思い出したりしていました。小学校のときにいじめにあっていじめについていろいろ勉強しました。だから、心の中で「僕は悪くない!」 と自分を励ますことが出来ていました。自殺は、いざとなって死ぬのが怖かったという感じです。



Q12.フリースクールを支援、とありますが、具体的にはどんなことをされているんでしょうか。

 応援ですね。僕が家に引きこもっていて人間不信が解けておらず、家でネットを使いボランティアをしてたときです。僕の活動を応援してくださっていた。それが僕の行動力にもつながりました。



Q13.家から出たくても出られない時、どうして出れなかったんでしょうか。外にいる人たちが皆怖いとか…。

 人が怖い。その通りです。人間不信が酷かったです。もともと友達だった子がみんないじめっ子に回って・・・それは悲しかったものです。また裏切られるのではないかという恐怖で友達も作るのが怖く、警戒しながら人と接してました。電車に乗ると、手が震えていました。 



Q14.公立中学校に移ったとのことですが、今不登校ということですよね。よろしければ、その理由を教えてください。

 小学校のいじめっ子が 中学校に上がってきているということです。あと、こちらの中学は不良が多いもので、かなり危ない中学でもあります。僕は今は行けないというか行かないって感じですね。ボランティアを優先しようと考えたのです。

 やはり、本音を言うと、怖いからというのが強いです。



Q15.モータースポーツの活動をされているとのことですが、どんな瞬間に楽しい!と思いますか。

 ん〜難しい質問ですね〜wやはり、走っているときでしょうか。タイムをあげるため努力する。努力という言葉が大好きです。だから、努力する、それ自体がもう楽しくて仕方ありません。

 ほかの人へのうれしさは、不登校でも頑張っているんだよ! というのが伝わってくれたらうれしいですね。



Q16.同じ境遇の子を助けるというボランティアから僕は救われたのかもしれない、とありますが、なぜそう感じるんでしょうか。

 僕のボランティアで、感謝してくださる方がいらっしゃった。だから僕はボランティアを続けています。その感謝がとても温かく、僕の生きる励みになったのです!



Q17.「いじめる側が100%悪い」という言葉とは、どこで出会ったんでしょうか。

 母から本を渡され、その本に書いてあったことです。その本には なぜ100%なのかというのも細かく書いてあり、僕をすぐに納得させました。それからボランティアがスタートしたのです。



Q18.中1の冬、なぜ、突然に「同じような境遇の子を助けたい」と強烈に思われたんでしょうか。そういうテレビを観たなど、何かきっかけがありましたら、ぜひ、お教えください。

 不登校やいじめの認知度が低い。だから、いじめられても救ってくれる人は少ない。経験者にしかわからない。そして、いじめられている人は自分を責める。それを経験したから気持ちがわかる。

 だから、僕が救ってあげようと思ったのです。いじめにあって、精神状態が不安定なときは自分のことで精一杯でしたが、回復してきて、急にそう思いました。

 あと、不登校のイメージアップにもつながると思ったからです。不登校は「暗い」「引きこもり」「キモイ」「弱虫」などネガティブな印象しかありません。でもこうやって頑張っている不登校がいるというのを世間に知らせるためにもボランティアをしています。



Q19.その本には、ボランティアを始めたくなるようなことが書いてあったんでしょうか。何て書いてあったんでしょうか。

 本には書いていませんでしたね。あ、でも、後から考えると、その本の言葉に僕は救われ、そして僕も救おうと思いました。また、その本のおかげでいじめに対するちゃんとした知識がつきました。

 僕はいじめにあって感謝してます。いじめにあった子に話をすると 「Dreamくんが一番わかってくれる」 とよく言われます。これからも一人でも多くの人を救えるように頑張ります!そして勇気を与えれるようにレーサーの活動も頑張ります!ありがとうございました。



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