いじめと戦おう!〜対策と克服法〜
42.中1〜中3女子・・・部活でのいじめ(現在、29歳)

 ご本人からのメール

〔いつごろから?〕
 中1の夏〜中学卒業

〔いじめのくわしい内容〕
 これは私のいじめ体験談です。いまいじめられている人たちに何かできないかと思い、体験談を投稿いたします。


 私がいじめを受けたのは中学の部活でです。
 いじめが起こるまでは、普通に部活の部員たちとそれは仲良く、助け合って、日々を過ごしていました。あの頃はいじめのリーダー格の人と親友なんだと思っていました。いじめが起こったのは急にでした。

 私は中学にテニス部に所属していて、3年生が引退した後、すぐに2年生が全員部活をやめました。よって、顧問は1年生の私たちの中からキャプテンを選ばなければいけませんでした。当時中学一年生だった私は、一番実力があったので、キャプテンに選ばれました。
 そのあと少ししてから親友だと思っていた人の態度が変化しました。原因は今思うに、部員の嫉妬からだと思います。中学一年の夏から卒業までのおよそ2.5年間私はいじめられていました。



 いじめの内容は主に、暴力、中傷、陰口、無視、私物の破損でした。中学生にもなると知恵はつくもので、周りに「いじめ」という事実がばれないように、もしくは「いじめ」の事実が周りに知れ渡るのを最小限に抑えるために、服で隠れるところにしか殴らない、痣をつけない、切り傷をつけない、など、かなり手の込んだ暴力を受けました。

 中傷や陰口などは、試合の結果表やノートなどに、悪口を書き込んだり、口頭で直接、有りもしない不名誉な事柄をいわれたりなどです。私物の破損は文字通り私物をわざと紛失させたり、壊されたりなどでした。

 後輩ができてからは、私を先輩として見なくてもいいと全ての後輩に吹き込んで、後輩からも軽視される状況でした。部活動のキャプテンとしては非常にやりにくい環境です。

 ただ日々を毎日生きていくだけで必死でした。テニス部に入って部員からいじめられているのだから、テニス部を辞めればいいという選択肢もありませんでした、というかあの当時は思いつきませんでした。



 相手がいじめる側の人間であろうが、とにかく目の前のテニスに集中しました。自分が打ったボールが返ってこなくてもかまいません。顧問が監視していれば自分が打ったボールはキチンと返ってきます、ラリーが続きます。

 顧問がいない時は、みんなの練習に入れないのが当たり前だと思って、自主連に励みました。それがたとえ、他の部員がコートを占領し、練習していても、空いているコートに一人で入って、サーブの練習など一人でできることを探せばいいのです。テニスをやめてしまったら、逆にやることがなくて、自殺を考える余裕ができてしまったと思います。

 また、あえて、耐えるために何をしたかと問われればいじめから真っ向に戦うことだったのだと思います。それはいじめる相手と戦うのではなく、自分といじめという状況との戦いです。周りの人間はみんな敵、状況によってはそこに居ない人間だと考え、自らの心を閉ざし、目の前のテニスだけに集中するのです。どうやったらこのような状況の中でテニスがうまくなれるのかだけを考えました。いじめられている状況で、テニスの練習をするために何をしたらいいのかを考えることで、自殺はまぬがれました。今考えればこれが励みになっていたのかもしれません。



○いじめられなくなるために、何をしたか

 いい意味で、周りの人間に期待せず生きていくことをしました。一人で耐えることを選びました。誰かが助けてくれるかもしれない、という期待を持たないことです。

 自立心とでも言うのでしょうか。一人でちゃんと生きていくには何をしたらよいかを考えるようになりました。

 いじめの当初は周りに助けを求めたりしましたが、誰に助けを求めても、解決しませんでした。逆に、クラスメートや他の部員ですと、いじめられている人間に手助けをすることで自分がいじめられると思って、離れていく人間が多いことを知りました。自分が助けを求めたら、迷惑がかかるのだなと学習しました。自分から離れていく人がいるという事実はいじめと同等に心が傷つきました。また、これが逆に、助けを求める=人が離れる=あらたないじめの一環と認識し、助けを求めることは自ら新たないじめを自分に促していることに気がつきました。なので、助けを求めることはやめました。

 その時に悟ったのは、いじめと向き合うのは自分だということです。他人が介入して解決してくれるものではない。


 現在でこそニュースでいじめの問題が大きく報道されるようになりましたが、その当時はいじめ問題は表立っていませんでしたし、相談所なんてありませんでした。当然、親や先生になんて恥ずかしくて、心配掛けたくなくて、いじめの事実を伝えることなんてできませんでした。また親や先生に言うことで、起こる新たな問題(親や先生の介入によるさらなるいじめ、さらなる混乱、中途半端に口をだし、解決しないまま、いじめがひどくなるなどがそれにあたります。)もあると考えたので言えませんでした。

 また、先生のアドバイスに従った結果、いじめが悪い方向にいったり、解決しなかったのです。その時、私が思ったのは、先生の言うとおりにしたのにいい方向にいかなかったじゃないか!!です。そのあと冷静に考えて、でもその先生のアドバイスに従おうと決めたのは自分なのだから、結局は自分の責任でもあるなと考えなおしました。自分は先生にいじめを解決してもらおうと期待し、自分で考えて状況を良くしていくということを放棄していた事実にも気がつきました。


 一方、その中で、自分が何も言わなくても、当然私がいじめられていることに気づく先生たちもいました。親もおそらく気づいていたでしょう。

 その大人たちは、ただ普通に接してくれました。その当時、人間は私から離れていくか、いじめるかしかしないと思っていたので、人間が私に「普通に接してくれる」ということにありがたみを感じました。当時に、助けてはくれないものの、いじめを解決するわけではないものの、「自分をいじめない人間」もいるんだなと、ちょっと視野が広まりました。



○今、どう思うか

 中学を卒業して以来、あの部員たちと顔を合せていません。あの頃の出来事はそれからの私の人生観、人間関係間を大きく変えるものになりました。周りの人間に興味を持たなくなりました。

 今でもたまに精神が不安定になると、当時のことを思い出して、涙が止まりません。きっとあの当時に無意識に封印した涙が心の傷に浸透して、治らず、また今でも出し切れていないのだと思います。心に受けた傷は治らないものだと認識して、これが自分なのだと、こんな自分とこれから一生どう付き合っていくかという新たな課題を生みました。


 数年の年月を経て、身に付いたこともいくつかあります。
 1つは、あらゆる面で精神的に強くなりました。

 2つ目に、自立心がめばえました。人間とはどういうものか、自己分析、人間関係、心理学などに興味を持つようになりました。人に頼りながら生きていくのではなく、自分の力でできることは全てするという精神です。

 3つ目は「状況をいい方向にもっていくにはどうしたらいいのかな」という思考回路が私の中で生まれました。自己責任による判断力が身に着いたのです。

 4つ目に、人がどんな小さなことでも困っていると、心配になり、私なら耐えられるから替わってあげたいとさえ思うようになります。人に気遣える人間になりました。

 5つ目は、あの経験のおかげで、精神的に不安定になっても、自分とうまく向き合う努力をするようになりました。ちゃんと向き合えれば、鬱になってもまぁいっか、人生長いんだから、鬱になる時もある、今がそれなんだと、思えます。逆境に耐えられる鈍感さ、我慢強さが身に付いたのでしょうね。

 これら5つの点は学生のうちはあまり、発揮できる能力ではないかもしれませんが、社会人になったら、大いに発揮でき、ありがたい能力です。

 今でもまだ、あの当時のことは面と向かって直視できません。ですが、そんな自分を自分が受け入れることはゆっくりできるようになりつつあります。



 ここからは、個人的な意見になります。あの当時にはなくて、今はあるものがあります。いじめ相談所です。

 今は、いじめ相談所があります。もし現代で自分がいじめられていたら、まず私はいじめ相談所に相談しに行きます。いえ、相談というより、不安な感情のはけ口として、話をきいてもらいます。いじめを解決してもらいに行くのではありません。話をきいてもらうだけでいいのです。いじめを解決するのはあくまで、自分ですから、周りが直接、手を差し伸べて解決してくれるものではありません。それはその当時も、今も変わらない考えです。


 あの当時私になにが欠けていたかというと、「いじめが原因が生まれた負の感情のはけ口」と「心おきなく泣ける場所」でした。これを満たしてくれるのは周りのクラスメートでもなく、部員でもなく、先生でもなく、親でもない、何も知らない第三者が一番いいと思っています。

 話をただただ聞いてくれる人と場所、いじめの現実を知って影響がない人と場所が私にはありませんでした。その結果、その負の感情、不安や不満、涙を未来にずっとひきずってしまっているのです。これは負の財産です。それを全て出し切る場所が私は、欲しかった。

 当時はなかった。でも今はあります。だから、今いじめられている人は、そういった場所を見つけて、負の感情、負の涙は出し切ってもらいたい。あくまでいじめを解決してもらいに行くのではなく、「いじめが原因で生まれた感情のはけ口」と「心おきなく泣ける場所」として相談所に行くのです。他人に期待しないと前述したのは「他人にいじめを解決してもらう期待をしない。多くを望まない」ということです。


 いじめをどう解決するかに対する解決法を考えるのではなく、いじめられている状況の中で自分がいじめという事実をどう自分の中で消化できるか、どのようにいい方向にもっていけるかを考えるのが、私の方法です。



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