いじめと戦おう!〜対策と克服法〜
49.中1〜高1女子・・・学校でのいじめ(現在、24歳)

 ご本人からのメール

〔いつごろから?〕
 中学1年〜高校1年1学期(中高一貫校)

〔いじめグループは何人?〕
 6人ほどの教師たち、クラス全員

〔いじめグループはどんな人たち?〕
 死ね、生きてる価値がない。早く首をつれ、など。

〔いじめのくわしい内容〕
 偶然このサイトを見つけて、誰かの力になりたい、と思い、投稿を決めました。

 中学は、関西にある××学園に行っていました。教師、生徒たちから酷い苛めをうけていました。暴力行為をするのは主に教師でした。アザができるほど殴られる、蹴られる、首を絞められる、トイレに顔を突っ込まれる、ロッカーに何時間も押し込められる、それ以外にもかつあげ、言葉の暴力(生きてる価値がない。早く死ね)一度あまりのつらさに学校で首をつろうとして教師に見つかりました。家でやれ、と言われました。結局、海外の高校へ留学して脱出できました。そのまま大学も出ました。しかし、今もその時のことが夢に出てきたりします。親には言えないままでした・・・。

 ××学園は今でも、イジメについては、必ず学校ぐるみで隠ぺいしているそうです。許せません。私の友だちも、先生からのイジメに耐えられず、自殺してしまいました。

 今はだいぶ評判が悪くなっていて、××学園の実態が世間に知られ始めているようです。実際、塾などでは勧めない学校がほとんどだそうです。でも、まだまだ知らない人のほうが多いと思います。

 イジメは絶対に許されることではありません。皆さん、絶対負けないで。その場を離れる=負けるじゃない。幸せになることが、イジメをしている人たちへの一番の復讐になります。何が自分にとって一番幸せになれるのか、よく考えて下さい。

 負けないで。一人じゃないです。私も歯をくいしばってここまで来ました。



たくさん質問させていただきました。ありがとうございました。

 13歳から15歳まで、××学園に通っていました。だいぶ前の話になってしまうんですが、今でも評判が非常に悪く、変わっていない現状を人づたいに聞きました。いじめられて本当につらかったので、それを話して、誰かの力になりたい、と常々思っていました。今までも、ちょこちょこネットに書き込んだりしています。そんな時に、いじめと戦おう!さんを見つけて、是非この話をさせていただきたい!と思いました。


Q1.本当にひどいですね…。不登校になってもおかしくないと思います。どういう風に自分を励まして、がんばって通われたんでしょうか?

 わりと大人びた中学生だったので、保健室に逃げたり、あとは趣味の時間を充実させたりしていました。一番大きかったのが、「成績が良いなら、別の高校に進学できるかもしれない」と大きな希望がありました。そのためには、成績を上げないとということで、常に学年でもトップ10には入るようにしていました。クラスでは常に1番でした。


Q2.教師たちから暴力を受けているとき、どんなことを考えていましたか?

 どうしてこんな目にあうんだろう。最初はそう考えていました。でも、だんだん、この人たちは、どうしてこんな心ない人間になったんだろうと、人間じゃないみたいと感じました。どうしたらこんな人間になるんだろう、どんな過去があるんだろう、もよく考えていました。


Q3.教師たちは、どんなことを理由にして暴力をしていましたか?

 私はすごく地味で目立たない子でした。
 運動がすごく苦手なせいか、体育の授業に殴られたりし始めました。
 それからは陰気で、「すぐ泣くのがうっとうしい」など、教師たちの個人的理由みたいなものでした。親に言っていないもの好都合だったようです。


Q4.あなたの他にも、教師たちから暴力をされている子はいましたか?

 他にも6人ほどいました。みんな同じようにおとなしい子たちばかりでした。××学園は、派手で校則違反をしていても、教師が個人的に気にいっていれば、何のおとがめもしません。暴力を受けていた私たちは、みんな本当に地味で、似たような子たちばかりでした。


Q5.保健室の先生は優しかったんでしょうか。

 保健室の先生達は優しかったです。一人が30代半ばの先生、もう一人が40代後半の女性でした。二人共まともで学校の方針には反対されていましたが、口を出す権限がなかったので、逃げ場所を提供して下さっていました。


Q6.保健室に逃げ込むための理由は、どんなものでしたか。

 私はもともと体が弱く、すぐに熱を出したり寝込んだりします。それもあって、私=病弱のイメージがあったので、私が保健室にいても、誰もあまり気にとめていなかったですね。少ししんどい、と言うと休ませてもらえたので、保健室に行くのに抵抗は感じなかったし、唯一の安らげる場所でした。


Q7.その頃していた趣味について教えてください。

 読書と、一人でカフェ巡り、ネイルチップ作りです。
 いじめられている時、学校が生活の主体と考えるからつらいのかな。「ここには決まった時間、来ているだけ。私には学校以外にも時間があり、その時間が本来の私の生活なんだ」と考えるようにしていました。考え出してから、実際そうだ、と本当に思うようになりました。


Q8.読書と、一人でカフェ巡りについて教えてください。

 読書にはかなり助けられました。いろんな本を読んで、知識を蓄えました。小説から自己啓発本、文学作品など、面白いと思うものは何でも読んで、貪欲に知識を増やしていました。これは大人になった今でも、本当に役に立っています。

 一人でカフェ巡りは、中学生だとなかなかできない子が多いと思うんですが、貴重な時間でした。最初は緊張しましたが、カフェの雰囲気が好きでした。こっそり人の話を聞いたりもしていました。いろいろな話、悩みや愚痴などを聞いて、世の中にはいろんな人がいて、いろんな悩みがあるんだ、ということを学びました。中学生同士だけで遊んでいたら、そう気付くのはもっと遅かったと思うので、わりと早くにそういう事を学べたのは良かったと思います。学校は私が思っているより、ずっと小さい世界なんだと思いました。


Q9.ネイルチップ作りについて教えてください。

 ネイルチップ(何も色がついていない透明のもの)を買ってきて、いろんなネイルのデザインを考えて、色を塗ります。材料は100円ショップでも買えるので、お金はかからなかったです。校則でネイルは禁止だったので、手につけるのではなく、作品みたいな形で、デザインしてはチップ作りをしていました。手作業が好きなので、楽しくやっていました。やっている間は作品に集中するので、心を無に出来ました。いつの間にか時間が過ぎているのが好きでした。達成感もありました。いじめについて考えなくてすむ時間だったので、私にとっては、凄く貴重な時間でした。

 母が手先が凄く器用な人なので、一緒に手芸屋さんに行き、パーツを買ってアクセサリー作りも教わっていました。


Q10.趣味に没頭することの良さについて教えてください。

 趣味がなかったら、やっていけなかったと思います。本は図書館で借りられましたし、アクセサリー作りの材料は何百円かのものです。ネイルチップ作りも、前述させて頂いたとおり、材料をほとんど100円ショップで揃えられたので、お金はほとんどかからなかったです。中学生のお財布にはかなり優しい趣味ばかりでした。

 学校でつらいと、「次はどんな物を作ろう」とか「あと何時間我慢したら自由だ。歯をくいしばって我慢して、そうしたら好きなことが出来るんだ」と、いつも自分を励ましていました。いじめは本当につらかったですが、学校が全てじゃない、と思うと、少し心が軽くなったように感じました。


Q11.生徒同士のいじめはありませんでしたか?

 ありました。私もかつあげで、かなりお金をとられたり・・・。
 信じられないんですが、いじめが原因で、中学校1年生を3カ月来ただけで辞めた子がいました。それぐらい、学校の雰囲気自体が重苦しく、ぴりぴりしていて、今でもあの校舎には足を踏み入れたくないです。


Q12.トラウマになってしまうのも無理はありません…。転校した理由は、お父さんの転勤でしょうか?

 大変成績が良く、また経済的にも恵まれていたので、一人で海外に留学しました。とにかく××学園を思い出す全てから逃れたくて・・その一心でした。


Q13.転校するとき、ワクワクしましたか?それとも怖かったでしょうか?

 ワクワクは少しで、あとは不安でした。「またいじめられるんじゃないか」、その不安がとても大きかったです。学校、という場所に戻ること自体が苦しかったです。


Q14.転校した海外の高校では、いじめはありませんでしたか?

 なかったです。ニュージーランドに行ったんですが、アジア人でも優しく迎えて下さるようなお国柄で、優しい人にたくさん出会いました。高校も、いじめがあるとすぐに対応してくれるような、優しい先生たちがたくさんいる良い学校でした。


Q15.転校した先で、いじめにあわないよう、気をつけたことはありますか?

 先生たち(特に海外からの留学生専門の方)に、つたない英語で自分の体験を話しました。一緒に涙を流してくれて、「何か少しでもいじめの兆候があったら、私に伝えて。絶対に黙っていてはだめ」と言って下さいました。何かあれば相談していました。


Q16.外国語はどれくらいで話せるようになりましたか?

 3年程で何とか自分の言いたいことを言えるようになりました。それから大学にも進学したので、その間は勉強づけでした。合計で9年向こうで過ごしました。半年に1度は帰国したり、家族が会いに来たりしてくれていました。


Q17.いじめのことが夢に出てくる頻度を教えてください。(半年に一回くらい、など)

 風邪をひいたり、不安なことがあると、必ずと言って良いほど見ます。3か月に一回は必ず見ています。目が覚めると、今幸せな現実があって、ほっとします。


Q18.親に言えなかったのはなぜでしょう?

 祖母と母が××学園の卒業生だったからです。二人が行っていた時は、本当に良い学校だったようなんです。でも、何十年もたって、経営者も教師も全て変わり、別の学校になってしまいました。母は私が生まれた時から××学園に入れる、と言っていたそうです。××学園以外は学校見学もさせてくれず、入らざるを得ませんでした・・・。
 最初に叩かれたり、理不尽に叱られた時、母に伝えました。しかし、「そんな先生、私は知らない」と・・・。優しい母で今でも大好きですが、とにかく××学園の悪いことは一切耳にしたくないといった態度です。
 私が過去にいじめられていたことを少しでも匂わすと、今でも話題を変えたりして受けつけてくれません。一度だけ「何で言ってくれなかったの」と言われましたが、言っても相手にしてもらえなかったので・・・。父にも、「お母さんが大好きだった学校だから、悪いことは言わないでくれ」と言われていました。だから、ずっと一人で耐えるしかなかったですね・・。


Q19.もし、親に言っていたら、どういう対応をしてくれたと思いますか?

 正直にありのまま話していたら、刑事告訴してくれていたのでは、と思います。


Q20.ご両親は、どのような方でしたか?

 いじめのことについては家族には話せませんでしたが、それ以外のことは何でも話していました。父と母は凄く優しい人で、弟とも仲が良かったので、家での生活はかなり充実していましたし、させるように努力しました。笑って過ごせる家があるのが、本当に救いでした。家が荒れていたら、自分がどうなっていたか分かりません。


Q21.警察に頼ることは考えませんでしたか?

 何度も考えました。テレビで、病院でアザの写真などを撮れば通報してもらえる、との知識はありました。しかし、××学園が大好きな母と学校が対立したら・・と考えるとできませんでした。


Q22.学校ぐるみで、どういう風にいじめを隠ぺいしていましたか?

 校長、教頭、教師全てが口裏をそろえ、いじめは絶対に認めませんでした。生徒間のいじめは、「お友だち同士のいざこざ」で片づけられました。先生からのいじめは、「生徒さんと先生の認識の違い」で片づけられました。
 この学校は本当に弱者には冷たいです。生徒間でいじめられている生徒さんには、必ずと言っていいほど転校を勧め、厄介払いしていました。加害者ばかりが残るので、生徒たちの間の雰囲気も最悪でした。


Q23.まともな、正義感のある先生はいませんでしたか?

 何人かいらっしゃいました。しかし、若い先生ばかりだったので、上からの力で黙るように言われていたようです。何もできなくてごめんね、と言ってくれる先生もいらっしゃいました。


Q24.暴力行為をする先生は、どういう先生でしたか?何人くらいいましたか?なんの科目の先生でしょう?

 6人程いました。全員、生活指導を兼任していました。
 そのうち4人が女性教師でした。体育科2人、家庭科2人でした。
 あと2人の男性教師は、社会科でした。


Q25.暴力行為をする先生は、どういう風に授業をしていましたか?生徒は真面目に聴いていましたか?

 とにかく授業中でも、できなかったり分からなかったりすると殴ってきたりするので、皆びくびく怯えていました。シーンとして、活気どころか、夜のお墓のような雰囲気の授業でした。教科書を忘れただけでも殴られるので、みんな絶対に忘れないように必死でした。


Q26.もし、一番まともな先生に相談していたら、どういう結果になっていたと思いますか?

 まともな先生たちは若かったので、上には逆らえず、結果的には助けてもらうことはできなかったと思います。


Q27.自殺してしまった友だちの子は、どういう理由でいじめられていましたか?どんな風にいじめられていましたか?

 私と同じいじめをされていました。殴る蹴る、暴言を吐くなどです。
 その子も非常におとなしい子だったので、ターゲットにしやすかったんだと思います。


Q28.その子をいじめていたのは、あなたをいじめていた先生と同じ人ですか?

 そうです。


Q29.自殺後の、その子の親の対応や、学校の隠ぺいの仕方について教えてください。

 その子の御両親は学校に対応を求めましたが、何しろ「証拠がない」の一点張りだったそうです。入学金と、在籍していた年数の学費を全て返却されたんですが、、御両親は納得いきません。他の先生にも意見を仰がれましたが、みんな上からの圧力を恐れて、知らんぷりされてしまったそうです。
 ただ、その子がお母様の夢に出てきて、「もうあの学校と闘って苦しまないで」と言われたそうです。その後、いろんな人に話をしたりして、学校の実態をなるべく人に知ってほしい、と活動されていました。


Q30.なぜ、その学校はそんなにもひどいと思いますか?

 全て教師だと思いますね。ストレス発散とばかりに生徒を殴る教師たち、それを黙認する教頭と校長。心ある先生は圧力で黙らせる。全てが悪かったんだと思います。
 あとは同窓会ですね。××学園は歴史ある学校なので、同窓会もかなり大きいんです。OBのみなさんは××学園が大好きなんですね。そのため、悪い事実は伝統に傷をつけるので全て隠ぺいという体質ができたように感じます。


Q31.××学園の偏差値はどれくらいでしたか?

 中学は34から42のどこかだったと思います。誰でも入れるような学校です。


Q32.もし、いじめで苦しんでいる頃の自分が目の前にいたら、どんな励まし・アドバイスをしますか?

 とにかく抱きしめて、泣かせてあげたいです。「あなたは悪くない」と、何度も何度も言ってあげたいです。誰も言ってくれる人がいなかったので・・・。また、「イジメをするあの人間たちは最低で、絶対にあんな大人になってはいけない」と言ってあげたいです。
 そして、病院に一緒に行ってアザの写真を撮ってもらい、警察に通報します。そうしなかったことを今も後悔しています。どんなことがあっても、自分の味方でいたいと思います。


Q33.もし、目の前に自殺を考えている子がいたら、どんな励まし・アドバイスをしますか?

 まず私の体験を話します。そして、御両親に話すように言ったり、とにかく事実を明るみに出すお手伝いをしたいと思います。私は誰にも言えず、それを今でも後悔しているので・・。そして、「あなたは悪くない」と言ってあげたいです。


Q34.海外への留学後は、充実して過ごせましたか?楽しい思い出について教えてください。

 はい、高校、大学はとても楽しく過ごせました。××学園でつらい思いをしたので、神様がご褒美をくれた、と本当に今でもそう感じています。
 高校では、向こうで出会った大親友と、毎日つるんだり、お泊りしあったり、××学園では考えられないような楽しい時間を過ごしました。××学園は校則が異常に厳しく、放課後の行動も制限されていたので、友だちと遊ぶなんて考えられませんでした。毎日日が暮れるまで友だちと遊んでいました。

 大学では、旦那様になる人と出会いました。友だちもできて、本当に充実した大学時代でした。英語学で博士号をとり、通訳、翻訳の資格もとれました。友だち、先生たちの助けあっての達成でした。


Q35.現在は、どんなことをされていますか?「こんなことをして充実している」というようなことがあれば、詳しく教えてください。

 今は旦那様になる人と、オーストラリアで暮らしています。主婦と兼業で、翻訳をしており、依頼があれば通訳もしています。旦那様はロシア人なんですが、本当に優しくて、一緒にいると安心できる人です。
 彼に出会ったころ、まだ殴られていた時の記憶が消えず、彼が少し腕をあげるだけで顔をかばったりする癖が抜けきっていませんでした。「もしかして、過去にDVを受けていたことがあるのか?」と訊かれました。その時全部話しました。涙が止まりませんでしたが、彼はぎゅっと抱きしめてくれて、「君は悪くない」と言ってくれました。
 彼と笑って過ごせる毎日が幸せですし、飼っている猫ちゃんたちと触れ合うのも、何より癒されます。いじめられていた当時も、実家で飼っている猫ちゃんたちには、本当に助けられました。今は穏やかな、平凡な日々を幸せに感じて生きています。今は本当に幸せです。


Q36.いじめの経験が、役に立ったと思うことはありますか?

 はい。人生の中で大事なものを学びました。人に優しくすること、優しい気持ちで接することです。人に対して傷つけるように言わないことも。

 あとは、すごく忍耐強くなりました。しんどい時でも、あの地獄よりはマシと思えて、逆境でも頑張れるようになれました。

 暴力をふるうことが、強いことじゃないことも学びました。弱いから、暴力を振るうんだと思っています。暴力にしか頼れない人間は、悲しく、寂しい人間だとも学びました。



 いじめは、本当につらく悲しくて「私はどうして存在しているんだろう。寝て、目が覚めない病気にかかりたい」と、毎日一心に願っていました。忘れたい、何度もそう思いました。××学園を憎みましたし、今でも憎しみは消えていないと思います。

 誰にも私みたいな思いをしてほしくないし、こんな思いをしていい人間なんていないです。私は心からそう思っています。今いじめを受けている子たち、知らないふりをする先生たちにも、皆に私の体験を知ってもらいたいです。いじめがなくなってほしいです。

 ただ、今の学生さんは、人がどう思うかを気にしすぎる傾向にあります。それだと、悩まなくて良いことでも悩んでしまうんじゃないか、と感じます。自分をしっかり持って、嫌われることを恐れないでいた方が、いい意味で気楽でいられるのでは・・・・。肩に力を入れ過ぎ、無理をして疲れてしまうんだろうな、と思います。頑張りすぎないでほしいです。必ず話を聞いて、親身になって考えてくれる人が見つけられる筈です。それを忘れないでほしいです。どうしようもなくつらいなら、死を選ぶのではなく、救いを求めてほしいです。小さな光でも、たどっていけば大きな光が見つかるかもしれないですよね。絶対に一人ではないし、今一人でも、気持ちを分かち合える人と、絶対に出会えると思います。諦めないでほしいです。

 いじめを受けている子たちの力になりたい。何か私から学べるものがあれば・・と、その思いで、色んな方にお話しをしています。さねゆきさんがされていることも、素晴らしいことだと思います。いじめは、悲しいですが、なくなることはないでしょう。でも立ち向かっていくことはできる。ぼろぼろにされても、強く、幸せになれる、なる権利があることを、いじめられている子たちに知ってほしいです。さねゆきさんも、この活動、どうか頑張って下さい。私ももう少し落ち着いたら、同じようなことをしてみたい、と考えています。私の話を真剣に聞いて下さって、本当に、本当にありがとうございます。心から嬉しく感じました。私のつたない話しで恐縮ですが、どうか救いを必要としている人たちの為に役立てて下さい。


 この度は、本当にありがとうございました。頑張って下さい!!!


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