いじめと戦おう!〜対策と克服法〜
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ご本人からのメール 〔いつごろから?〕 小2〜中3 〔いじめのくわしい内容〕 【始まったきっかけ】 私は何をするにもどんくさく、ミスも多いし、行動が遅い子でした。親は完ぺき主義で、厳しい方でした。私自身がそんな自分いやで、自己嫌悪がさらにひどくなりました。そのせいでびくびくしていたからだと思います。勉強ができるわけでもないし、運動も苦手。友達も少ないし、いいターゲットになったと思います。 【小学校】 暴力を受けました。教室に入れてもらえませんでした。クラスのみんなに悪者扱いされました私が汚物扱いされました。この時、いじめる子が増えたり減ったりしました。いつの間にか友達のようになった子もいました。 先生にも嫌なことをされました。セクハラをされたこともあります。「それは嫌だからやめて」といっても聞いてくれませんでした。 このとき私は「立場が悪くなれば、裏切ってもいい」「都合の悪い人間は排除してもいい」「嫌なことをされたら、ねちねちと相手の弱点を突いて説教をしてもいい」という、今思えばゆがんだ価値観を身に着けました。 ・・・小学時代で覚えているのはこれぐらいです。あまり記憶がありません。先生は「あなたの頭おかしいからだ」と対応してくれませんでした。誰も頼れないから自分自身で守ろうと思い、汚物扱いされたら、殴ったり抱き着いたりしました。 2年生のとき、担任は気づいたら学級会をひらき「やってはいけない」と注意し、このときはなくなりました。 3年生のとき、校長先生と教頭先生が家に来てくれました。担任が放置していじめが悪化してしまったことについて謝罪してくれました。実質いじめの解決の行動はほとんどしていません。 【中学校】 暴力を受けました。集団でからかわれました。この時、女子を味方につけ、女子からのいじめはなくなりました。見返してやろうと、勉強をがんばりました。「ガリ勉」「先生に対するポイント稼ぎ」とからかわれるようになりました。 しかし、その時私は勉強が好きで、夢中になっていました。平日に3時間、休日に5時間しました。 その弊害か、人に興味を持てなくなりました。興味を持っても仕方がないと思っていました。また親にもっと他人に興味を持つように注意されたことがあります。成績で、学年で10番をとってもいじめはなくなりませんでした。また、偏差値がいい高校に合格しても、その高校の悪口を言われました。 しかし、学校全体がいじめは悪いという雰囲気で、先生に報告してくれる人やかばってくれる人もいました。先生が私に「これはいじめじゃないのか?」と聞いてくださり、解決してもらったことがあります。3年生の担任が反省文を書かせて完全に消滅しました。 【高校】 私は、いじめられませんでした。学校が「恋愛やいじめなど人にかかわる暇があるなら、勉強しろ」という雰囲気でした。2年間で3年分の勉強が終わってしまいました。妙に圧迫感があり、先生もいい学校に進学させる数をクラスで競っているようでした。やめる人や、自殺する人もいました。授業で邪魔な人には「学校をやめろ」と先生が言っていました。 勉強で苦しんで自殺するぐらい、学問には使い方次第で殺傷能力があるのだと思いました。学校の在り方に疑問を感じ、勉強をボイコットしたこともあります。自殺者を出したくない思いで、いじめにあった人を必死に守りました。その子は私に感謝してくれました。いじめはなくても、どの時代より苦しいものでした。 その後、いじめられた人はいじめっ子と縁を切り(私が切らせたものですが)ました。その子とは一番の親友になりました。いじめっ子は味方を増やし、悪口を言っていました。私まで味方につけようとしていましたが、どうでもいいし、無視しました。先生は勉強ばかりで信用していないので、言いませんでした。その子は私を信用して相談していたので、他人に言うのは信用を崩すことだと思っていました。 人を壊すのは簡単ですが、救うのは10倍難しいです。でも、救うことによって、自分も強くなれた気がします。 現在、大学では単位を取得しています。あとは卒業論文のみです。月に2,3回学校に通う程度です。 【耐えるために】 いじめをいじめと思いませんでした。慣れてしまい、心がマヒしていたんだと思います。つらいときは別世界の物語をつくったりしていました(ロボットと中学生とメイドの生活など)。学校は友達と遊ぶところではなく、勉強するためのものだと思い、休みませんでした。遊ぶなら、学校以外で遊ぶものだと思っていましたから。 【いじめられなくするためにどうしたか】 心理学の本を読み、好感を得られる演技をしました。わざと意味不明な言動をして、笑いを取りました。演技のやりすぎで、本当の自分がわからなくなりました。周りからは「優しくて頼りになるし頭いいけど、浮世離れしていて何考えているかわからない人」だという印象を受けていると思います。 【今、どう思うか】 どうでもいい、この一言です。いじめていた人間は最初からいませんでした。あれは人間ではなく、ただの生き物です。大学でたくさん友人ができ、いろいろ学びました。ようやく普通の感覚を取り戻せたと思います。高校の同窓会は、友達が来ないので断ろうかと思いました。しかし、過去を清算するという理由で参加することにしました。 いじめられている子がもし目の前にいれば、話を聞いてあげたいです。支えになってあげたいと思います。味方がいるということを伝えたいです。 【いじめをなくそうとしている先生たちに】 いじめを本気でなくしたいのなら、事件が起こる前にそれなりの行動をとってください。年に1度アンケートを取る、いじめを見かけたら、その場で注意するなど。私が中学2年の時は、3クラスの先生が連携して、放課後呼び出していじめっ子を注意していました。確信は持てませんが、暴力も振るっていたと思います。いじめは人権侵害だという認識を強く持っていました。理科男・社会女・体育男の先生です。いずれの人も怒ると怖いです。 【いじめられている友だちのために、報告することをためらっている人へ】 チクることは悪いことではありません。チクられるようなことをする人が悪いのです。先生が信用できないのなら、話を聞いてあげるだけでもいいのです。誰でも人は自分のことを聞いてほしいのです。「Aさんがひどいことを言ったんだ」「Aさんが言ったんだ。ひどいね」のようなおうむ返しでもいいのです。 ※たくさん質問させていただきました。ありがとうございました。 Q1.「どんくさく、ミスも多いし、行動が遅い子でした」とありますが、具体的にどんな様子でしたか? 忘れ物はとても多かったです。あと、普通に歩いているつもりなのに学校になぜかよく遅刻しました。手先が不器用でみんなができることができませんでした。(字が下手など)また小さいころ「覇気がない」と親から注意されたことがありました。 Q2.何歳くらいから克服できましたか? 今もどんくさいです。もうこれは治らないと思っています。とにかく今やっていることは、完璧でなくてもある程度こなせるように頑張っています。 Q3.お母さんが完璧主義で厳しいということですが、どういう様子ですか? 母は私よりも頭がよく、美人でした。友達も多いです。そのためよく私と母の過去を比較されます。 掃除は毎日しています。よく床が鏡のようだとほかの人から言われます。テストで72点を取ると、鉛筆を投げられたことがありました。とにかく母は自分のやり方じゃないと気に入らない方でした。父親も「決めたことは決めたとおり!」と嫌味を言うほど嫌がっています。 Q4.お母さんに対して、今はどういう風に対応していますか? 「母は自分の思い通りにならないと気が済まない人だ」と思っています。全く言い返しません。言い返すともっと返ってきます。父親は言い返すのでもっとひどくなります。 Q5.親が完璧主義で厳しく、びくびくしている子どもが目の前にいたら、何とアドバイスしてあげますか? 親に対しては表の顔と裏の顔を使い分けています。親の前では、いい子を演じています。裏では「意味不明な明るい天然」です。普段は無口です。 Q6.小学校では、クラスで何番くらいでしたか。 低学年では、中の上ぐらいだと思います。小学5年生で塾に通い、勉強ができるようになると、1年飛び級させてもらいました。中学入学と同時に塾の場所が遠くなるので、親に反対され、やめました。 Q7.「運動も苦手」…どんな様子でしたか。 かけっこでは学年で下から5番でした。物を取られ、「ダイエットは明日から!」と追いかけっこをさせられたことがあります。水泳は幼いころ水泳教室に行ってたので、それなりに泳げました。学校の半数以上の子供は水泳教室に通っていました。地域自身が教育熱心だと思います。 Q8.小学校のときの友だちは、どんな性格でしたか。 今も交流している友人は、ゲームがとても好きな人です。私と同じように少し天然だと思います。 Q9.いじめてきたのは、男子が多かったんでしょうか? 男子が多かったです。5年生になり、女子でグループができると、仲間外れにされました。 しかし、陰湿ではなく、気持ちのいいバカだったと思います。おおっぴらにいじめをしていましたから。 Q10.小学校のときのいじめは、何年生くらいでしたか? 小学2年生から始まりました。その時の担任は気づいたら学級会をひらき「やってはいけない」と注意し、このときはなくなりました。 小学3年生では担任が授業も注意も何もできない無能で、学級崩壊をしていました。夏に担任が変わりました。殴る蹴るはよくありました。唾を吐かれることもありました。それから、私物を捨てられたこともあります。 Q11.親や、先生に相談はしようと思いませんでしたか。 思いませんでした。親は大げさにとらえ、トラブルを増やすので、言いませんでした。先生も同じ人間。人間を信用していませんでしたので言いませんでした。むしろ先生がバカだと思って見下していました。 Q12.それらのひどいことをされているとき、どのように考えて、自分を励ましていましたか。 ただ耐えていました。自分はこうされてあたりまえの人間だと。 Q13.休み時間は、どんなことをしていましたか。 小学校のときは覚えていません。 中学校では、ひたすら本を読んでいました。夢中になりすぎて、禁止にされたことがありました。 Q14.家では、どんなことをしていましたか ゲームをしています。学校では勉強、家では自由と考えていました。外に出るという発想はありませんでした。 Q15.小学校のときの価値観は、今はどう変化しましたか? ・立場が悪くなれば、裏切ってもいい→その場を離れる ・都合の悪い人間は、排除してもいい→かかわらない ・嫌なことをされたら、ねちねちと相手の弱点を突いて説教してもいい→ネタとして面白く記憶しておく Q16.友だちになったいじめっ子とは、なにか仲よくなるきっかけがありましたか。 気が付いたら友達になっていました。いじめっ子に戻る子もいましたが。「立場が悪くなれば、裏切ってもいい」はこの時学びました。 Q17.小学校の担任からのセクハラについて教えてください。 5年生のときの担任です。30代ぐらいだとおもいます。理科とパソコンが得意な先生でした。 体を触られたり、下の名前で「〜ちゃん」と呼んでいました。私も何度かやられました。 女子から大変嫌われていました。さわられてびっくりして条件反射で殴ったことがあります。先生は倒れました。それ以来触らなくなりました。 Q18.「あなたの頭がおかしいからだ」と言われたのは、どんな時ですか。 小学3年生の時、親との3者懇談で言われました。精神障害を疑われ、病院に通ったことがあります。5年通って、病気は全くないと判断されました。 Q19.いじめっ子を殴ったり、抱きついたりして、いじめは減りませんでしたか。 減りませんでした。当時私も遊びだと思っていたので。担任に「それはいじめだ」と言われ、「そうか」と思いました。 Q20.中学校のとき、暴力をしてきたのは男子でしょうか。 男子です。女子からはスカートをめくられたり「ブス」と言われたことがあります。 小学校のころとは違って殴る蹴るはなくなりました。歩いていると小突かれたり、押されたりする程度でした。また、集団で罵声を浴びせられました。 実は、後遺症が残っていて、肩と足の骨が少し変形しています。肩は前に出ていて、普通の人が見ると、猫背だと思われる程度です。殴られたせいだと思っています。足は右足が内側に曲がっています。しかし、普通の人が見ても全く分からない程度で、専門の人が触るとわかる程度です。 Q21.中学では、やり返しませんでしたか。 内申が下がると思っていたので、やり返しませんでした。むしろ、勉強ができたので、無駄にプライドが高くなり、見下していました。 Q22.「女子を味方につけた」とありますが、それは、下に書いてあるような(好感をもたれるような演技)コツを実践したから友だちがたくさんできたということでしょうか。 はい。また、女子はもともと良識のある人が多かったです。いじめをしていたことを謝ってくれた人もいました。 Q23.助けてくれた女子は、どんな方でしたか。また、どのように助けてくれたんでしょうか。 とても積極的に行動する人でした。クラスのリーダーぐらいの立場にいました。イベントなど活躍していました。 いじめられているときは文句を言いませんでした。しかし、男子に陰でこっそりと注意したり、先生に報告したりしていたようです。 私とは性格も全く違います。「みんなで仲良くいい学校にしていこう」を多くの人がモットーにしていますので、その意識が働かせたのだろうと思います。 Q24.何か部活には入っていましたか。 美術部です。友人に誘われました。 Q25.中学に入学した時は、順位は何番くらいでしたか。 30番ぐらいでした。3年生の1学期の10番が最高だったと思います。 小5の時の塾の先生がとてもいい人で、勉強が好きになり、中学で開花しました。小6のときに中学の勉強をしていました。 Q26.勉強するときのコツを教えてください。 1冊の問題集を3週することです。間違えた部分を集中的に覚える。塾ではそうしました。できた部分(もしくはできなかった部分)をマーカーで色を付け、色だらけになるのが楽しみでした。 Q27.合格した高校の偏差値はどれくらいでしたか。 65でした。私立です。普通なら公立に行くので、からかわれました。 Q28.好きな男子などはいませんでしたか。 学校で一番頭がいい人に興味はありました。純粋な興味で恋とは縁遠いものです。恋愛に全く興味がない人でした。今も恋愛できないだろうと思います。 Q29.いじめを解決してくれた先生は、どんな方でしたか。 中学2年の担任38歳で、理科で男の先生でした。野球部の顧問です。怒ると怖い先生です。絶対に担任になってほしくないと思っていましたが、担任になると優しい先生でした。 中学3年の担任50代で、英語の女の先生でした。大阪のおばちゃんみたいな派手な服装でした。きっちりといじめっ子に反省文を書かせるなど、手練れです。怒ると常識的に注意する先生です。「あんたねぇ、そんなこと言われたら嫌な人もいるんよ」など。 Q30.解決してくれた先生の授業は、みんな真面目に聴いていましたか。 おとなしくまじめに聴いていました。勉強熱心な学校なので、教師の質が授業を左右しました。 Q31.見て見ぬフリをした先生は、どんな方でしたか。 中学1年のときの担任です。おとなしく、事なかれ主義でした。生徒から人気がありませんでした。見て見ぬふりをされた時、生徒が「先生ひどいね」といったぐらいです。授業も、みんな全く聴いていませんでした。 Q32.中学のとき、学校全体がいじめは悪いという雰囲気だったということですが、今思えば、それはなぜでしょう? 地域の親が高学歴で、勉強熱心だったこと。そのことが地域の質を左右していました。学校が近畿でトップレベルだったので、「先輩が遺した歴史を僕らが作っていこう」という意識を多くの生徒・先生が持っていました。 歴史を守るために、先生も普段から注意していました。お菓子が発見されただけで、持ち物検査や学年集会がありました。高校の友人にその話をすると、厳しい校則にびっくりしていましたが、私は厳しいとは全く思っておらず、かえって自由だと思っていました。 また、年に1度アンケートでいじめはないか調査していました。 Q33.悪口を言われたとき、どのように考えていましたか。 人間は弱い立場の人をいじめる性質があります。「ああ、人間だな」ぐらいに思っていました。 Q34.何か小説やマンガを読んだりしていましたか。 ギャグ漫画で自分の演技を磨いていました。美川べるの先生の「ストレンジ+」・増田こうすけ先生の「ギャグ漫画日和」などです。自分の中のキャラクターを作ると、演技がしやすくなります。 Q35.おすすめの小説やマンガ、アニメなど教えてください。 元気が出そうな話です。グリム童話の、「ホレおばさん」。一生懸命働いた人は金をもらい、怠け者の妹はタールをかけられ一生取れませんでした。 ゲーム、特にファンタジーが好きな人は、世界史に関する本が好きだと思います。武器の図鑑など読んでいました。空想で自分に似た人を主人公にして物語を作ったりしていました。 Q36.学校に行きたくないときはありましたか。 全くありませんでした。学校は行くものだと思っていました。 Q37.家で遊ぶときは、どんなことをしていましたか。 ゲームしていました。友達を遊んだのは数えるほどです。 Q38.おすすめの心理学の本はありますか。 出版社やタイトルは忘れましたが、図解シリーズのがよかったと思います。トークの技術を身に着けたり、精神障害について学びました。 Q39.お笑い芸人で、好きなコンビなどありますか チュートリアルが好きでした。母曰く、徳井さんが祖父の若いころに似ているそうです。 Q40.「浮世離れしている」と思われているそうですが、たとえば、どんなところでしょう? 大学では授業中は眠っていますが、なぜか理解していたり(90点取ったこともよくあります)。普通の人が興味持つようなことは全く興味持てません。大物っぽいと噂を聞いた、という理由だけで、18禁ゲームを購入し、ドン引きされたこともありました。 Q41.何歳くらいから、いじめのことをどうでもいいと考えるようになりましたか。 中1からです。しかし、無意識で最初から分かっていたのではないかと思います。 Q42.目の前で嫌なことを言ってる人がいた場合、どう考えますか。 その人の品性が表れています。大変品性のない人間だと思います。 Q43.大学生活は、どんな様子でしたか。 勉強で多くの人が質問に来ました。論文の手伝いや、専門外でも聞かれることがあります。私を選んでくださったので、なるべく答えるようにしています。 サークルには入りませんでした。勉強に集中したかったので。 バイトは社会勉強で、事務や接客をしていました。時々単身でライバル社に客として忍び込み、勉強しています。 Q44.いじめに負けないで、生きていてよかった!と思える瞬間は、どんな時でしょうか。 よく生きていたなあ、と思います。自分は長く生きすぎました。これからどれだけ生きられるか挑戦です。 Q45.もし、いじめで一番苦しかったときの自分が目の前にいたら、どんな対応をしてあげますか。 高校生の時、いじめられている子に対応したことがありました。その子の悩みを真剣に聞き、たとえその子が孤立してもそばにいました。アドバイスを求められたら、「私だったら、〜するなあ」「人は自分が思ってるほど気にしていない」と答えるようにしています。 Q46.もし、今の自分と、いじめで一番苦しかったときの自分の心が入れ替わったら、どういう行動を取りますか。 あの時よりは頭がよくなっていると思うので、反撃する気がなくなるまでねちねちと説教をしていると思います。それは先生に対してもです。 Q47.最後に、いじめで苦しんでいる子どもに向けて、メッセージをお願いします。 人は自分のことしか考えていません。いじめっ子には、あなたの人生を左右させる権利はありません。先生に訴えても、暴力で返しても何をやろうと、それはあなたの自由です。(ただし、自由に対する責任は伴いますが) せっかくの自分の人生ですから、挑戦したいこと、やりたいことは周りの目を気にせずどんどんやってみてください。いじめっ子があなたの人生に干渉する権利がないのと同時に、あなたがいじめっ子のことを気にする義務はありません。 |
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