いじめと戦おう!〜対策と克服法〜
61.小2〜6男子・・・学校でのいじめ(現在、24歳)

 ご本人からのメール

〔いつごろ?〕
 小学2年〜6年まで

〔いじめグループは何人?〕
 男女 2〜6人。態度が冷たい人。

〔いじめのくわしい内容〕
 現在、聴覚障害(軽度の難聴)を持つ社会人です。
 2012年夏、大津中学のいじめ問題を取り上げられていることを見て、いじめに苦しんでいる子供たち(障害に関係なく)を助けたいと思いました。僕のいじめ体験談を参考にしていただけたら嬉しいです。


【はじまったきっかけ】
 現在は関東に住んでいますが、福岡育ちです。3歳〜高校卒業まで福岡に住んでいました。ろう学校(耳の聞こえない人が通う学校です)の1年生に半年くらい通った頃に、近くの小学校に転校しました。


【小2】
 まわりは健常者(健康な人)でした。「女の子みたい」「おかま」などとよく言われました。その場で泣いてしまうこともありました。孤立して、仲良くしてくれる友達はいませんでした。

 ある日公園で待ち合わせをしている間に、僕が障害を持っていることを分かったのか、知らない男子2人が僕に近づいてきました。その二人が何を言っているのか聞き取れず、その場でいじめられました。それをきっかけに人間不信になりました。


【小3〜6】
 仲間外れ、無視、嫌がらせ、陰口などのいじめを受けてとても苦しかったです。冷たい視線を感じられるようになって怖くなりました。家でよく泣いていました。

 友だちもなく、孤立して家にいることがよくありました。出席日数のために学校に行きました。自分の限界を感じて教室内で叫んだこともありました。

 僕なんかどうでもいいんだと思って、自殺しようと考えた時期もありました。死ねば楽になれる・・・僕がいなければと辛い思いをしました。僕を救ってくれる人はいないだろうか、と思いました。

 小学校に通う耳の聞こえない仲間と一緒にいました。そのおかげで、少し心を落ち着けられました。


【先生はみんな助けてくれた】
 小学2年〜6年の先生は、いじめを受けていることに気付いてくれました。先生が守ってくれたおかげで、どんなに苦しくても頑張ってこられました。


【中学・高校】
 中学・高校はいじめはありませんでした。でも、陰口を言う人が少しいました。気にしないようにして、学校外で色々な活動を積極的にやりました。

 小さい頃から絵を描くのが得意なんです。福岡の高校を卒業してから、1人で東京にある絵の学校に通いました。そこで新しい友達ができ、楽しく過ごすことができました。


【小学校のときが一番辛かった】
 中学・高校よりも小学校のほうが、まるで地獄みたいでした。なぜ僕をいじめていたのか、今でもその理由は全く分かりません。いじめて何が面白いでしょうか。


【障害を持っている人をいじめることについて】
 障害を持っている人をいじめるのは、やめてください。障害を持っている人の存在を否定するのは、人のいのちを軽くみている行為です。

 障害者になりたいから生まれてきたわけではない。障害を持つことを知らず、生まれてきたのです。障害は僕にとってとても辛いことでした。でも、今は障害者として楽しく生きていく事を考えるようにしています。外国人・高齢者・障害者などの色々な人々の存在を認め、受け入れてほしい。


【社会人になって】
 今は、社会人になって仕事をしています。色々な人々と出会います。気持ちよい空気を作って、接するようにしています。まだ人間不信があります。でも、人を好きになれなくても、本当に信頼できる人がいれば、語り合うようにしています。


【夢】
 僕の夢は、役者になって、人の気持ちを独自の表現で伝えていくことです。夢を実現するのは現実的にとても難しいです。でも、そう叶えられたらいいなと僕は頑張っています。

 いじめに苦しんでいる人も、夢を少しでも持ってほしい。辛い所にいるより、自分の大好きな居場所を作って生きていってほしい。学校にいられないのなら、不登校したっていいんです。無理しないことが、心を落ち着けるんだもの。


【メッセージ】
 いじめを受けたあなたはよく頑張ったよ。あなたは何も悪くはないんだよ。

 いじめる人の家庭などに問題があって、自分のストレスを発散しようと、あなたをいじめているんだ。

 だれか見てくれる人は必ずいるはず。僕は信じているよ。

 いじめで我慢できないのなら、親や先生、信頼できる人に隠さずに伝えてほしい。なぜならいのちを絶対守ってくれるから。

 どうか負けないで、いじめに苦しんでいるあなたへ。




たくさん質問させていただきました。ありがとうございました。

Q1.なぜ、ろう学校から近くの小学校に転校されたんでしょうか。

 ろう学校は遠くて車で行かなくてはなりませんでした。転校した小学校は、自宅から通えます。そこには難聴学級「ことばの教室」がありました。仲間がいたので、両親が希望しました。
 あの頃はまだ幼かったので、私に決定権はありませんでした。しかし、普通の学校で健常者と過ごすことには興味を持っていました。


Q2.今、あなたと同じように、耳の障害のある子が、小学校に転入しようかと考えていたら、勧めますか。

 はい、勧めます。
 私には健常者の世界を知らない友達が多いんです。彼らは、その世界でのルールを理解していません。例えば、玄関のドアを勢いよく閉めると、騒音で迷惑をかけます。どれぐらいの加減で閉めれればいいかを、自分で判断しなくてはなりません。

 だからこそ、健常者の世界に触れて、たくさん学ぶ必要があります。接し方などの経験は重要です。
 
 しかし、転入させてその小学校でいじめに遭ったとしたら、心に一生傷が残るかもしれません。だから、その子が希望するなら転校したほうがいいと思います。無理をさせないことです。転入するかどうかは、その子の気持ちを聞いてから決めるべきです。親の気持ちを押しつけられたのでは、学校にいても嫌な思いをするでしょう。

 ろう学校は「教育レベルが低い」と思っている親がいるそうです。そこで、無理にでも普通の学校に通わせようとします。親ではなく、その子が決めることです。


Q3.同じ学年に、障害を持っている子はいましたか。

 女の子が2人いました。そのうちの1人は、小3で別の小学校から転校してきました。上の学年にもいました。


Q4.休み時間などは、どのようにして過ごしましたか。

 いつも単独行動でした。図書室に行って本を読んだり、ぼーっとしたりしていました。たまに、クラスメイトにサッカーを誘われたりはしました。友達と話すことは少なかったです。


Q5.班分けなどで一人残ってしまったとき、どのように考えていましたか。

 修学旅行や体育の授業などの班分けでは、とても苦しみました。自分からこの班に入っていい?と勇気を振り絞って聞きました。

 席替えは気にしませんでした。くじ引きだったので、それで決めたんならいいと考えました。ただし、先生の声を聞き取るため、前に出るようにしていました。


Q6.クラスで、やさしい子はいませんでしたか。
 
 やさしい子はわずかにいたような気がします。ほとんどは態度が悪い人たちでした。


Q7.もし、あなたと同じように障害がある小学生がいたら、なんと言ってあげますか。

 「学校で何か嫌なことがあったら、遠慮なく僕に相談してね」と言います。安心感と信頼を与えることが重要だと思います。 


Q8.もしも、小2のときのあなたと、今のあなたの心が入れ替わったら、どう行動しますか。

 まず、親に相談して学校を休みます。そして、いじめ対策でどうするかを親や先生と話し合って問題解決に向かう行動をすべきだった…と、悔しい気持ちで今はそう思っています。


Q9.障害をバカにする子と、そうでないやさしい子を見分けるコツなどあったら、教えてください。

★障害をバカにする子
 見た目で判断する子。障害のことを理解しないまま「ガイジ(=障害児から抜き取った差別語)」などと言った言葉を発する。

★やさしい子
 弱い人を守る子。見た目で判断するのではなく、雰囲気で分かっている子。家族の中に障害を持っている人がいて、理解している子。


Q10.親は何と言って励ましてくれましたか。

 覚えていません。でも、姉弟も含めて、暖かく見守ってくれました。


Q11.家での趣味などあったら、教えてください。

 父が昔アマチュアバンドをやっていたため、家の中には音楽AVオーディオなどがたくさんありました。電子ピアノやギターなどで遊んでいました。音楽が好きなのは父の影響です。音に興味がありました。

 また、が好きなので色々な絵を描きました。TVアニメ・映画・マンガを見たりもしていました。


Q12.その当時、あなたを支えてくれたのは、何でしょう?

 幼い頃から中学まで飼っていた愛犬(柴犬オス)です。孤立していても、その愛犬のおかげで、すごく安心できました。何も言わなくていいし、気楽に散歩できるし、まるで親友みたいでした。本当に大好きでした。


Q13.朝、学校に行きたくないとき、どのように考えて自分を奮い立たせていたんでしょうか。

 母から「学校に行け」と言われて、すごく辛い気持ちでした。でも、学校に行かなかったら自分は何も変われない気がしました。もう、やるべきことはやるしかないと考えました。泣いててでも受けたい授業があるから学校に行くんだ、と自分を奮い立たせました。


Q14.どうしても学校に行きたくないとき、お母さんやお父さんはすぐに休ませてくれましたか。
 
 ぜんそくで学校を休むことが多かったんです。ある日、すごく辛くなったときに、ぜんそくだと言ってズル休みしたことがあります。いじめがあるから休みたいとはあえて言いませんでした。 


Q15.教室内で叫んだときは、何年生のときでしたか。

 小学校5年生だったような気がします。


Q16.叫んだきっかけ(限界を感じたきっかけ)があったら、教えてください。
 
 「ずっと独りぼっちで寂しい」ということを、どうしたら伝えられるのか。障害に対してあまりにも残酷すぎると思いました。冷たい視線を感じて、学校にいていいのか混乱してしまいました。席に座って頭を抱え込みながら叫びました。


Q17.今、「あのとき死なないで生きていてよかった!」と思える瞬間は、どんな時ですか。

 親に内緒で、高校卒業まで隠していた遺言状があったんです。書いたのは小3の時でした。東京に行く準備をしていて見つけました。小3の自分が書いた遺言状を読んで、いろいろと感じました。(どんな内容かははっきり覚えていません)

 その遺言状を細々と破ったとき、どんなにつらくても頑張ろうと強い気持ちになりました。

 もうひとつの瞬間は、高校時代の同級生から「ともだちだよ」って言われたときです。


Q18.耳の聞こえない仲間と一緒に、どんなことをして遊びましたか。
 
 その仲間の家に行って、一緒にゲームやトランプなどをしました。


Q19.休み時間、仲間の子と、どこで過ごしていましたか。

 「ことばの教室」ルームで、おしゃべりして過ごしていました。


Q20.今、その方と連絡は取り合っていますか。その方は、どんなことをしていますか。

 たまにですが、取り合っています。同じ学年だった女の子2人は、1年前くらいに結婚しました。多分事務系と思いますが、元気に仕事をやっていると思います。


Q21.先生は、どんな風にして励ましてくれましたか。

 先生は障害児の気持ちを理解しようとして手話を少しずつ覚えてくれました。僕の問題に付き合って、一緒に考えたりくれました。寂しさを吹っ飛ばして、楽しく学べました。
 その時代は、子どもを見守ってくれた先生がいました。問題がある子にはしっかりと向き合ってくれたように思えます。


Q22.守ってくれない先生もいましたか。

 いたかどうか覚えていないのでよく分かりません。教師として不安があった先生は少しいました。でも、守ってくれない先生を見たことがないです。


Q23.もし、自分が学校の先生で、耳の障害のある子がいたら、どんな風に接してあげますか。

 障害をある程度理解してから、たくさん学んでいこうねと言います。独りぼっちにならないよう接します。


Q24.一番心に残っている、助けてくれた先生は、どんな先生ですか。
 
 女性の先生です。年齢は分かりません。
 女なのに性格が男っぽく、ムードメーカー。スカートを全然はかず、いつもズボンでした。一人一人の個性を見つけて大事にしている先生でした。


Q25.その助けてくれた先生の授業は、みんな真面目に聴いていましたか。クラスはまとまっていましたか。

 真面目に聴いていたかもしれませんが、クラスに不良がいたので注意するときは大変でした。何とかまとまっていた気がします。  


Q26.陰口を言われたとき、どのように考えていましたか。

 見た目で陰口を言うのは、誤解を生みます。人の気持ちを聞かず、分かり合えないからです。陰口は、人としてとても恥ずかしい行為だと考えていました。


Q27.何か部活には入っていましたか。

 小学校では、PCクラブとイラストクラブでした。
 高校では美術部3年間です。(中学は帰宅部)


Q28.中学・高校では、友だちや親友などはできましたか。

 正直、いじめがきっかけで友達の付き合い方が分かりませんでした。1人で過ごしていたので、なかなか難しかったです。
 でも、ずっとお世話になっている友達は少し出来ました。本当の親友は、今でもいません。


Q29.中学・高校のとき、学校外でした色々な活動とは、なんでしょうか。

 ゴミを拾うなどのボランティア活動をしました。また、体力を身につけるために、中学・高校時代はスイミングクラブに通っていました。 


Q30.中学・高校のとき、自分の障害について、どのように考えていましたか。

 もともとは、自分の性格は明るかったんです。楽しくやっちゃお!という感じです。でも、小2で転校してからは、いじめられて暗くなりました。どうしようもなかったです。なんで明るい自分がいけないの?何で?と思いました。

 なぜ障害を持っているだろうか、と不思議でたまりませんでした。障害があるだけなのに、バカにする人がたくさんいました。単に耳に異常があるだけで、僕から離れていきました。何か勘違いしているじゃないか、と考えていました。見た目は障害者だけど、自分では健常者と考えていました。


Q31.小学校のころ、絵で金賞などもらっていましたか。

 石や卵を使って、絵の具で描いた絵がありました。それをどこかの展示会に出典していたような気がします。賞状はもらっていません。
 賞をもらったといえば、詩を書くのが好きだったんです。自分の詩をどこかのイベントに出して奨励賞?を頂いたことがあります。


Q32.もし、作品の画像などあったら、いただけないでしょうか。

 上京して絵の学校に通っていた頃に課題研究で描いた構成デッサンの作品です。




Q33.人間不信になったとのことですが、東京に出てきてからは、何か変化がありましたか。
 
 色んな人々と出会って、世の中にはやさしい人もいるんだと分かりました。少しずつ人を信用できるようになりました。
 体調不良で会社を休んでいたときのことです。寮は食事付きなんですが、昼食はないので自分で買い物に行くしかありませんでした。でも、管理人の奥さんが、わざわざおにぎりを作ってくれました。僕の体調を気にかけてくれて、いい人だなと思って胸がいっぱいになりました。


Q34.健常者の学校に通うことで、どんなことが学べましたか。

 「耳が聞こえない」とは、社会の中でどういうことなのかを理解できました。社会で生きていくには、何がいけなくて何が良いかを学びました。

 健常者の世界と耳の聞こえない人の世界を経験してきたので、対応の仕方を変えてコミュニケーションを取るようにしています。例えば、健常者と話すときは会話で、耳の聞こえない人は、手話か手話+会話で対応するようしています。


Q35.まわりの人たちに、どのように接してもらえると、嬉しく思いますか。

 障害者と思わず、「人」として見てほしい。障害に関係なく、嫌な顔をしないで、明るく接してもらえると嬉しいです。


Q36.障害者として楽しく生きていくことについて、何か分かったことはありますか。

 いつまでも心が傷ついたままでは人生を楽しめません。泣きたいときや辛いときは、誰もいないところでしっかり泣けばスッキリします。障害を理解している人に愚痴を聞いてもらえば、モヤモヤした気持ちは消えるはずです。楽観的でいるように気をつけています。


Q37.あなたより、もっと重い障害の方と、あなたが接するとき、どんなことに気をつけて接していますか。

 自分より重い障害の方と会った機会がありました。前もって、その方はどんな風にすると嫌なのかを教えてもらいました。その上で気持ちよい雰囲気作りをしました。


Q38.外国人の方と接するときに、心がけていることはありますか。

 英語が好きで得意なんです。外国人とは、笑顔で楽しく話します。外国人観光者に写真を撮ってほしいと頼まれ、撮ったこともあります。何か困っていることがあれば、逃げずに助けます。


Q39.高齢者の方と接するときは、どのように考えて尊重していますか。

 おしゃべり好きな高齢者が多いかと思うので、話を聞きます。耳が遠い人なら、ゆっくり話しかけます。


Q40.どんなお仕事をされていますか。

 現在は事務系で人事部に勤めています。


Q41.現在の趣味について教えてください。

 映画鑑賞、カラオケ、友達と買い物、ネット、散歩、一人旅、マンガを描くことです。


Q42.あなたなりの、気持ちよい空気を作るコツがあったら、教えてください。

 場の空気を見きわめます。嫌な思いをさせないように、話を聞く時はうなずきます。間違いを指摘するときは怒らずに教えます。


Q43.本当に信頼できる人・できない人の特徴などあったら、教えてください。

★信頼できる人
 思いやりがある。色々な人の存在を認めてくれる。たとえ偽善でも、本当に助けてくれる。良いところを見つける。いじめは犯罪だ!とはっきりと間違いを教える。嫌な人との距離を置くのが上手い。気持ちよい雰囲気で人と接することができる。いばらない。

★信頼できない人
 とにかくすぐ悪口を言う。嫌がらせ・悪いイタズラをする。弱いところを探す。目の前でコソコソする。偏りな言葉でバカにする。学校内・職場内でウワサを流そうとする。見下す。ネット掲示板やブログなどに悪口を書き込む。


Q44.あまり信頼できない人と接しなければならないとき、あなたはどういう態度をとりますか。

 その人の話に合わせて、普通に接します。ある程度の会話をしたら、距離を置くようにします。気にすると、余計に良くありません。相手にしないことが大切です。


Q45.役者になるために、今していることはありますか。

 僕の姉の旦那さんが役者なんです。旦那さんの劇を見に行っています。また、映画などで、どうすれば演じられるか研究をしています。


Q46.なぜ、役者になりたいと思われたんでしょう。

 小さい頃、ろう学校の幼稚部にいたときのことです。遊戯会(劇をやるイベント)に出ました。舞台に立つだけで何かワクワクしました。
 TV取材を受けた経験が数回かあります。変な言い方ですが、TV出演との縁を少し感じました。
 役者の世界は奥が深く、色んな感情を演じるのはとても面白いと思いました。僕は日本語の表現があまり上手くありません。役者をやる中で、日本語も学べると思っています。


Q47.役者を志すきっかけとなった、映画やドラマなどがありましたら、教えてください。

 「家なき子」というドラマです。まだ小さい安達さんが役をやるなんてすごいなと、感銘を受けました。
 もうひとつは、中学時代、教室の後ろの棚にあった「ガラスの仮面」という少女マンガです。演劇界の大変さが繊細に描かれていて、衝撃を受けました。ドラマも観ました。


Q48.小学校のころは、夢がありましたか。

 マンガ家です。


Q49.夢がマンガ家から役者になったのは、なぜでしょうか。

 子どもの頃は絵が好きだったので、マンガ家を目指そうと思いました。でも、いじめがきっかけで、人に伝えたい言葉とか人と話すこととかがなくなってしまいました。マンガ家だと、人と話す機会が少なく、成長できないと思いました。
 役者なら、積極的にコミュニケーションをとって人間関係を築かなければなりません。人と話すことが僕にとって憧れです。話す相手がいなくてとても寂しかったので、おしゃべりしてみたいと思えてきたからです。


Q50.最後に、いじめで苦しんでいる子にメッセージがあれば、伝えてください。

 大津中学のいじめによる自殺事件を聞いて衝撃でした。学校から離れていれば、命を守れたはずです。誰かが早く気付いてあげていれば…、と思います。
 
 社会人になった今は、あの頃のいじめは良い経験だなと思っています。
 なんでそう言えるのか。
 それは「いじめはこういうことなんだ」「いじめはとても良くないことなんだ」と大切なことを教えてくれたから。いじめのおかげで、人に嫌な思いをさせないよう、場の空気を読むことを身につけました。そして、これを読んでいるあなたに、経験を伝えることができました。

 少しでも障害のことを分かってくれる人がいたので、今を生きていけるとそう思えました。

 いじめっ子には、「いじめは良くないことなんだよ」「いじめは犯罪なんだよ」と、正しいことを伝えてください。そして、何より人の命を守ることが一番です。

 いじめは、学校だけではありません。社会に出るとすぐ分かります。職場や政治、地域、海外留学などでも、何かにつけていじめようとする人がいるはずです。何があっても、自分のいのちをしっかりと守ってください。

 いじめと戦いながらよく頑張っているあなたを心から応援します。ひとりじゃないよ。いじめ対策を真剣にやっている人たちがいるから、いじめをどう無くすか一緒に考えよう。とても良い作戦があるはずなんだ。

 僕からあなたにほめたい。100点よりも500点満点をあげるよ!!!いや、やっぱり足りないよね?1億点でもあげる??(笑)

 あなたは絶対救われるって信じています。どうか負けないで!!!



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