いじめと戦おう!〜対策と克服法〜
65.中学・高2男子・・・学校でのいじめ(現在、38歳)

 ご本人からのメール

〔いつごろ?〕
 中学時代、高2

〔いじめのくわしい内容〕

【高2】
 私は、両親が東京出身で仕事の関係で関西に引っ越ししてきた家庭の子供でした。いつもは東京なまりの関西弁(えせ関西弁)でしゃべっていました。
 男子高でした。1年から2年にあがるとき、クラス替えがありました。東北出身のクラスメイトがいて、彼と話していると、つられて標準語でしゃっべていました。標準語でしゃべったのが、いじめのきっかけです。



【いじめの内容】
 それを聞いていた加害者2・3名が、「共通語や」とはやし立てました。また、「僕のマネをする」と言いながら、全然似ていないマネをされました。どちらかというと、とんねるずの木梨さんがコントでいじめられっ子役をしているときの口調で「ボクおこっちゃうよ〜」と言って、彼らは盛り上がっていました。

 他にも、先生から授業で当てられて僕が答えるとき、加害者の2・3名はずっと笑いっぱなしでした。クラス担任の古典の先生も、雑談で「俺は共通語は嫌いや。『ダメ』と言われると全否定された感じがするねん。『あかん』と言われたほうが柔らかいやろ」という人でした。クラスの担任の先生にはそういう意思はなかったのだろうと思います。でも、僕にとっては、先生がいじめっ子達にお墨付きを与えたように感じました。

 高校1年生のとき、同じクラスだった人達は、自分たちまで僕と同類と思われて、いじめられることを避けるため、僕につらくあたってきました。

 「共通語」というからかいだけでなく、学園祭の実行委員や体育祭の看板作り等、面倒な仕事を僕にやらせました。また、英語の授業中に僕の英語の辞書を無理矢理貸し出されました。彼らの中で又貸しを繰り返し、結局返ってきませんでした。



【中学時代のいじめ】
 実は中学生のときも、別の理由でいじめられていました。中学時代のいじめっ子が来ない高校を受験して合格しました。「耐える」ためにということは何もしていません。
 むしろ、高校受験で勉強をがんばったことが何の報いにもなっていなかったことに激しく憎悪を燃やしました。また、いじめられたことに対して、これ以上ない無力感を感じていました。



【いじめられなくなるために、何をしたか】
 東北出身の子もいじめられていたので、彼と共闘しようとしました。しかし、彼は「無視されて孤独でいるより、まだいじめられていたほうがいい」という考えの持ち主でした。僕と考えが逆で、結局一人で戦うことになりました。

 加害者の一人は、英語の授業中にはしゃいで「僕のマネ」をしていました。そこで、英語の先生のいる前で、「やめてくれ」と静かに言いました。加害者は不満そうな顔をしていました。でも、僕のほうが不満なので、「逆ギレもたいがいにしろ」と思い、彼をにらみつけました。英語の先生はその空気を察し、「もうやめとけ」と加害者に注意し、その加害者はもうその後言わなくなりました。

 英語の辞書を借りて返さないという件は、事前に予習して分からない単語や熟語を前もって調べてノートに書いておきました。そして、辞書を学校に持っていかないようにしました。加害者たちが「辞書を貸せ」と言ってきたも、「持ってきていない」と答えました。それでやみました。
 正直、僕が貸したくないから嘘をついていると彼らは疑って、机の中や鞄の中を荒らされるかもしれないという恐れもありました。結局、それは杞憂で終わりました。

 面倒な仕事は任された以上、やりとげました。

 その中で、最後までしつこくからかってきた加害者の一人がいました。休み時間に用があって話しかけたら、からかってきました。机を思いっきりドーンとたたき、その加害者に顔を近づけて、今までの怒りをこめて睨みつけました。その最後の加害者はびびって、半泣きになり、僕へのいじめはなくなりました。
 高校3年生でクラス替えがあって、その最後の加害者と別のクラスになりました。その最後の加害者は僕を怖がって、僕と廊下ですれ違うとき廊下の反対の端を歩くようになり、力関係が逆転しました。

 ただ、最後の加害者は和歌山県から通っている他の生徒を次のターゲットに定め、「田舎もの、田舎もの」とからかい始めました。その和歌山県から通ってきている生徒は、「空気がおいしいねん」と言ってかわしていました。

 高校1年生のクラスメートで、とばっちりを食らうのが嫌で、高校2年生のとき、加害者と一緒になって、「標準語は関西では方言の一つや」と言っていた生徒がいました。いじめがなくなった後、彼から話しかけられました。しかし、謝罪でもなかったので、無視してフンと顔を背けました。その高校1年生のときのクラスメートは寂しそうな顔をしていました。

 結局、僕は高校で孤独になりました。



【今、どう思うか】
 結局、いじめられっ子にいじめの原因はないと分かりました。ある一人に対するいじめがなくなっても、いじめっ子は次のターゲットを探すだけです。いじめの原因はいじめっ子にあることを改めて痛感しました。

 暴行や恐喝まで発展せず、悪口・嘲笑レベルのいじめについては、主犯に対して、思いっきり睨みつけてやれば、もうしてこなくなります。睨みつけることは、腕力も技術も要りません。要るのは勇気だけです。ぜひ、試してみてください。




たくさん質問させていただきました。ありがとうございました。

Q1.引っ越してきたのは、何歳のときでしょうか。学年も教えてください。

 1・2歳の赤ん坊の頃です。


Q2.これから関西に引っ越すという子どもに、アドバイスをください。

 自然体でいてください。もし関西弁をしゃべるなら、関西弁のイントネーションがおかしいんじゃないかと悩まないでください。 今、関西で「わい」とか「でんねん」、「まんねん」なんて言う人はまずいません。


Q3.関東出身者は、関西弁は完璧には身につかないものでしょうか。

 完璧というのは難しいと思います。私の両親は標準語でした。そのため、意識しないとイントネーションが標準語になってしまいます。


Q4.東北出身のクラスメイトと話しても、あくまで関西弁で話そうとは思いませんでしたか。

 彼としゃべっている内に、関西弁をしゃべる自分が自分に嘘をついているように思えました。そこで、素の自分を出そうとしました。
 いじめられた後に関西弁で話してみました。でも、「そんなん関西弁ちゃうわ」と言われて話すこと自体を避けるようになりました。


Q5.からかってきた加害者たちは、どういう性格でしたか。

 辞書を借りて返さなかったグループ2・3名と、そのグループに入っていない最後の加害者1名と、いじめっ子たちは別々のグループでした。
 辞書を返さないグループはクラスでウケを狙うほうで、クラスのムードメーカーでした。睨みつけたら半泣きになった加害者は、暗くて猫背で、いじめられっ子風でした。自分が人をいじめなければ、今度は自分がやられるというタイプでした。


Q6.ほかの人たちは、いじめを見て笑っていましたか。

 加害者グループだけが笑っていました。そのほかの人達からは笑いはありませんでした。


Q7.先生が「俺も標準語は嫌いや」と言った後、いじめはひどくなりましたか。

 僕が嫌な思いをしただけで、いじめに変化はありませんでした。


Q8.その先生は、あなたに対して冷たい態度でしたか。

 冷たかったです。学ランの詰め襟のホックが外れていることに対しては厳しく注意をするのに、こういういじめや悪ふざけには、無頓着でした。


Q9.その先生について教えてください。

 50代の男性でした。生徒たちから好かれてませんでした。体罰教師で、恐がられていました。えこひいきをするようなタイプではありませんでした。


Q10.その先生の授業は、みんな真面目に聴いていましたか。

 あてられて間違えると怒鳴られるので、みんなビクビクしながら授業を受けていました。古典の教師で、たとえば、「我行かん」を「私は行きません」と現代語訳したら「古文の『ん』は意思・推測や!否定ちゃうわ!」と怒鳴るような人でした。


Q11.高1で仲が良かった人たちが急につらくあたってきた時、どう思いましたか。

 裏切られて、くやしかったです。


Q12.変わらずに仲良くしてくれた人はいましたか。

 いませんでした。傍観者4・5名に話しかけてみると、「おまえと同類と思われたくない」と言われました。


Q13.部活には入っていませんでしたか。

 部活は入っていませんでした。


Q14.高1の時は、いじめはなかったんでしょうか。

 ありませんでした。


Q15.東北出身の子は、高1の時はいじめられていませんでしたか。

 いじめられていませんでした。


Q16.一緒に実行委員や看板作りをやった人とは、仲よくなりましたか。

 いいえ。仲良くなりませんでした。学園祭の実行委員は2名で、あと一人は東北出身の子でした。体育祭の入退場門の看板作りは黙々と作業していました。


Q17.辞書を返してくれとは、言いませんでしたか。

 怖くて言えませんでした。


Q18.どれくらいで、諦めて新しい辞書を買いましたか。

 お金があるときに買いましたので、なくされてからどれだけ経ってというスパンはありませんでした。毎月の小遣いから買ったので、親には話しませんでした。


Q19.その高校について教えてください。

 私立で、偏差値は67〜69くらいです。


Q20.同じ中学からきた人はいませんでしたか。また、どういう態度でしたか。

 一人いましたが、全く話しませんでした。
 中学時代に僕がいじめられているとき、勉強ができる彼ならば、いじめられることはないだろうと話かけてみました。しかし、「おまえと同類と思われたくない」というようなことを言われました。ショックでそれ以後同じクラスでも話しませんでした。


Q21.中学の時にいじめられていた理由について、教えてください。

 中学は地元の公立でした。
 僕はこだわりが強い性格で、遠足やキャンプでの集団行動が苦手でした。それでよく小学校の先生から「わがまま、自分勝手」と注意を受けていました。ちなみに、心療内科に相談してみると、「個性」の範囲ということで、アスペルガー症候群と断定はできないという回答でした。

 小学校の時は漢字博士で、周りから一目おかれていたので、いじめはありませんでした。でも、中学になると、周りも常用漢字は知っていますし、「薔薇」や「憂鬱」等難しい漢字は特に覚える必要がありませんから、僕を一目置く理由がなくなりました。

 そうなると「変な奴」ということでからかわれたり、仲間はずれにされたり、教科書に落書きされたり、朝登校したら、自分の机と椅子がベランダに置かれてあったりしました。


Q22.高校でもひどい目にあってしまったことについて、どういう風に憎悪を持っていましたか。

 「俺はどこ行っても、いじめられるのか!!!」と、自分のいじめられっ子体質を呪いました。


Q23.中学時代のいじめっ子たちのその後について、知っていたら教えてください。

 成人式で顔を合わせましたが、口をききませんでした。何をしているか分かりません。


Q24.東北出身の子は、あなたが脱出した後も、いじめられていましたか。

 僕と同じ頃に、彼に対するいじめがやみました。


Q25.東北出身の子と、その後も連絡を取り合っていますか。

 いいえ。高校3年生で別のクラスになってからは、全く連絡をとっていません。


Q26.「無視されるよりはマシ」と言った東北出身の子は、いじめっ子たちしか友だちがいなかったんでしょうか。

 いいえ、高校1年生の頃のクラスメイトが彼の友達でした。そのグループの中でも、彼は変わり者扱いでした。でも、それはいじめではなく、からかわれたら、からかい返していました。


Q27.「やめてくれ」は、前もって言うところをイメージしていましたか。

 いえ、イメージはしていませんでした。耐えられなくなって反射的でした。


Q28.「やめてくれ」と、静かに言ったのはなぜですか。怒鳴ってやろうとは思いませんでしたか。

 授業中で、怒鳴ると自分が悪くなるからです。
 中学時代のいじめに対して、キレて暴力で反抗したことがあったんです。すると、いじめっ子以外の子が、僕がキレることをおもしろがって、それをネタにいじめてきたことがありました。暴力で反抗しても、「キレられるから止めておこう」ということにはなりませんでした。

 また、中学3年のときの担任の先生から、卒業の時に「中学はそれで済んだが、高校からはそんな甘えは通じない」というような注意を受けました。
 「甘え」の意味は分かりませんでした。でも、高校当時の僕は「甘え=いじめへの抵抗」ととらえていました。それで、ぐっと耐え続け、がまんの限界が来てポロッと出たのが、静かな物言いになりました。   


Q29.「やめてくれ」と言われて、あなたのマネをしなくなった人は、取り巻き連中の一人でしたか。

 取り巻きの一人でした。


Q30.その後、その人に話しかけられたことはありますか。

 話しかけてきたことがありましたが、一言も口をききませんでした。何か話せば、また「標準語や」とか「そんなん関西弁ちゃうわ」とからかわれるような気がしたからです。


Q31.「辞書を持ってきていない」と断った後も、「貸せ」と言ってくることはありましたか。

 1・2度あったと思います。でも、その度「持ってきていない」と答えると、あきらめて他の人に辞書を借りるようになりました。


Q32.ほとぼりが冷めてから、また辞書を持って行きましたか。

 それからは、辞書を一切持って行きませんでした。


Q33.あなたがやらされた、面倒な仕事に一生懸命取り組んでいるのを見て、親切にしてくれた人はいましたか。

 いませんでした。


Q34.仕事に取り組んでいるとき、どのように考えていましたか。

 最初は面倒に感じました。でも、やっている内におもしろくなっていき、いらだちはなくなりました。


Q35.机をドーンと叩いて睨みつけたら立場が逆転した人は、取り巻きの一人ですか。

 リーダーでも取り巻きでもありません。辞書を貸して返さなかったいじめっ子グループには属していない人でした。


Q36.その加害者のその後を知っていたら、教えてください。

 知りません。関わりたくなかったし、聞ける友人もいませんでした。


Q37.その加害者は、友だちは少ない人でしたか。

 その最後の加害者は、友人は1人しかいませんでした。また、彼はその友人にも「アゴ」と言ってからかっていました。でも、その人も言い返していて、一方的ではありませんでした。


Q38.机を思いっきりドーンと叩くのは、前もって「そうしよう」と思っていたんでしょうか。

 カッとなってやりました。「勇気」を考えている余裕はありませんでした。「こいつだけまだ言ってくる。他の奴に『やめてくれ』と言ったことを見ていなかったのか、このバカは」という怒りで頭がいっぱいでした。


Q39.うまくかわしていた和歌山県出身の方とは、友だちだったんでしょうか。

 いいえ。傍観者に話しかけて、「同類と思われたくない」と加害者に変わったことがありました。それで、クラス全員を信用できなくなっていました。また、「いじめられているから、俺のほうに来たんだろ」と思われることを恐れました。


Q40.ほかの人たちは、和歌山県出身の方をからかっていましたか。

 その最後の加害者だけでした。


Q41.高2でいじめに加わった人とは、高1の時は仲が良かったんでしょうか。

 仲がとてもいいというわけでなく、同じ5・6人のグループに属していただけです。


Q42.その子は、友だちは多いほうでしたか。

 同じクラスにはいなくて、他のクラスや部活にいるようでした。


Q43.大学生や社会人になって、楽しかったことや充実したことについて教えてください。

 一緒に音楽をする人ができたことや、アニメのことで話があう人ができたのはうれしかったです。
 ただ、大学時代は男子校出身で、スポーツが苦手で元いじめられっ子なので、いわゆるリア充のグループには入れませんでした。かといって、受験勉強ばかりだったので、オタク系のサークルに入っても話題が合わず、孤独でした。しばしば新興宗教や政治系のダミーサークルの人に勧誘を受けて、断ってばかりの大学生活でした。


Q44.もし、中学時代のいじめで苦しんでいる自分が目の前にいたら、なんと言って励ましますか。

 逃げろ、逃げて、逃げまくれと言います。暴力で訴えても、それをネタにやられなかったいじめっ子はいじめてくるので、際限がない。教師はいじめっ子ではなく、暴れるおまえを問題児扱いにする。解決するどころか、泥沼に入るとアドバイスします。


Q45.もし、中学時代のいじめで苦しんでいる自分と、今の自分の「こころ」が入れ替わったら、どう行動しますか。

 同じように勉強をがんばります。先生に相談しても解決しません。学校に行っていると周りの嫌な雰囲気に飲み込まれてしまいます。登校拒否する、もしくは登校しても一人を貫くと思います。


Q46.もし、高校時代のいじめで苦しんでいる自分が目の前にいたら、なんと言って励ましますか。

 がまんなんてすることはないと言います。


Q47.なぜ、中学時代は反抗してうまくいかなかったんだと思いますか。

 暴力で抵抗したからです。
 僕の後頭部をスリッパで叩いていたいじめっ子に対して、立ち上がって椅子を持ち上げて、投げつけようとして止められたことがありました。また、百人一首をうまく読めなくて、からかわれ、カッとなって消火器をばらまいたこともありました。
 結局、それを見た周りは「暴れているぞ」とおもしろおかしく大騒ぎしました。仕返しされた当の本人は何もしなくなりましたが、野次馬達からいじめられることになりました。

 また、中1の家庭科で、女子生徒に「不器用だから」という理由で、全く調理させてもらえないことがありました。できあがったものを食べるとき、「食べるのだけは一人前なんだ」というようなことを言われました。それにカッとなって、グーで彼女を殴りました。

 中学時代の僕は、「人の傷みを分からない奴は犬畜生以下だ。言葉で言っても分からない」と思って、暴力でいじめに抵抗しました。先生からは本来被害者である僕が悪者にされ、家庭訪問を受けました。内申点がよくないと進学できない公立の高校へ行く選択肢を消してしまいました。結局、中学時代のいじめが止んだのは、卒業したときです。


Q48.高校時代、休み時間は、どのように過ごしていましたか。

 別の階のトイレに行って時間をつぶしていました。


Q49.高校時代、家ではどのように過ごしていましたか。

 進学校だったので、テスト勉強だらけでした。遊んでいたことは、当時流行っていた音楽をCDレンタルして、カセットテープにダビングしていたことだけです。


Q50.現在は、どのようなお仕事をされているんでしょうか。

 郵便局です。


Q51.会社などで「いじめ」を見かけたことはありますか。また、苦しんでいる人がいたとき、どうしていますか。

 見かけるどころか、社会人になってもいじめられました。新入社員研修で5分前行動ができなくてギリギリになることがあって、同期から笑われたり、からかわれたりしていました。僕が5分前行動ができるようになると、今度はスーツの上着の一番下のボタンをはめていることや、腰に携帯電話を入れるポシェットをつけているといったことを理由にして、同期の人にからかれました。
 結局、主犯格の奴を睨みつけてやめさせた後、冠婚葬祭を除いて、同期の飲み会には参加しないようにし、年賀状のやりとりだけにしました。

 会社でやられている場合は、一番上の所属長に言う、もしくは会社のセクハラ・パワハラ相談窓口に言うといいと思います。もし、そういうことができない会社ならば、やめて転職してもいいと言います。


Q52.どうすれば、あなたのように勇気を出せると思いますか。

 「生きたい」、「ここから脱出したい」と願うことしかないと思います。「こんな奴らに負けてたまるか」と思うことです。もし、睨みつけて相手が手を出してきたら、「先に手を出した方が負けだ」と思えば強くなれると思います。



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