いじめと戦おう!〜対策と克服法〜
72.小1男子(母)・・・学校でのいじめ(現在、25歳)

 お母さんからのメール

〔いつごろ?〕
 小1

〔いじめグループは何人?〕
 6人。少年野球の子が4人、少年サッカーの子が2人。

〔いじめのくわしい内容〕

[いじめが起こるまで]

・息子 談
 小学校一年生のとき。たぶん、5月とか6月とかから始まった。最初は、ごちゃごちゃみんなで固まって遊んでいた。とにかく、誰と誰が仲良しとかじゃなくって、色んな人が出たり入ったりしていた。

 その中で、なんとなく一人が「汚ない」とか「くせぇ」とか言い出して、みんなも調子にのって同様に言いだして、げらげら笑われて、自分は嫌だったけど、みんなは盛り上がった感じ。「やめてよ」とか、言っても、しつこく言って来て、こっちがやめてと言えば言うほど盛り上がったので、こっちも言うのを諦めた。


・母の記憶
 そのメンバーは何度か家に遊びに来た子達。少年野球の子が4人いた。あと二人は少年サッカー。(メンバーは固定ではないけれど、先生に相談したメンバーはそれ)

 少し曖昧だけれど、その中の4人は(どの子だかは曖昧)上に兄弟がいて、遊び方が大胆で(高いところから飛び降りるとか、人の家の庭に入るとか、持ってるゲームの数が多かったりよく知っていたり)して、息子にとっては魅力的な部分もたくさんあった。息子は他の子より要領が悪かったけど、たのしく後についていた。



[いじめの内容]

・息子 談
 休み時間、体育小屋の裏とか、人があまり来ない所に連れていかれて、「30発殴るのがいいか、30発蹴るのがいいか、どちらか選べ」と言われた。「どっちも嫌だ」と言うと、「じゃあ両方」と言われて、皆が殴ったりけったりする。ので、たぶん、「殴るほうがいい」と言って殴られた気がする。「口をあけて」と言われて、石灰(グラウンドに線を引く粉)を突っ込まれた。

 教科書とか、ランドセルとかを、「馬鹿だから」といって踏まれた。上履きを、トイレの中や、トイレの掃除用の深い手を洗うところに入れられて水道水をかけられて、びしょびしょにされた。馬鹿とか、汚ない、とかバイ菌とか言われて、近づくと逃げられた。ドッヂボールを当てられた。歩いていると、背中をどんと強くおされて転びそうになった。一度にみんなでやる時もあるし、なんとなくばらばらに(二人ひと組とか、3人とか)で、やることもあった。授業とかでできないことを、先生に言われた。「先生、あいつは○○できてません!」みたいな。クラスの女子にも「○○できないんだぜ」みたいなことを云いつけられた。


・母の記憶
 うちに遊びに来る事もあって、その時に、「おばちゃん、あいつは学校でこんなことができない、あんなことができない」と得意げに言ってきたことがあり。そして、「お前、そんなこともできねぇのかよ」とか、「馬鹿じゃねぇの」とかばかにされる発言は耳にしていた。

 あんまりに悪意が感じられる時は、注意もしたが、子供の世界にあんまり深く介入するのもはばかられたので、心配だったが少し離れたところで見守っていた。息子自身は打たれ強いというか、楽天家なのか、それでもくっついて遊んでいた。



[たえるために、どう励ましたか]

・息子 談
 なるべく、いじめっ子達に近寄らないようにした。「やめてよ」とか「やだ」というのは、ずっと言ってた気がする。殴られたりしたときは、「ああ、あと何回だな」とか頭の中で数えた。


・母の記憶
 「とにかく、そういういじめは絶対にいけないことで我慢する必要もない。全面的に相手のやってる事が悪い。たとえ、できないことがあったとしても、多少みんなに迷惑をかけることがあっても(遊びのルールが今一つ分からない、ついていけないなど)、殴ったり蹴ったり、いじわるはとにかくいけない。相手のやっていることは絶対ダメなこと」と言い続けた。

 その後、先生に相談し、あてにならないことが身に沁みて分かってからは、
 「世界中を敵にまわしても、お母さんは絶対にあなたを守るから大丈夫」
 「お母さんは味方だよ。傷つける人がいたら、お母さんが全部やっつけるから大丈夫」
 「お母さんは最強。お母さんほど強い人間はいないから、あんたは安心してていい」
 「悪い奴は上手にぶっ潰す」
 など、とにかく息子が安心できる言葉を投げかけ続けた。

 元気がでるように、美味しいご飯を一杯作った。折にふれて「すごいね」「上手だね」「やっぱり才能がある」「かわいい」「大好き」と声をかけた。ポジティブな言葉をかけ続けた

 楽しいテレビを一緒に見て、一緒に笑ったり、弟も一緒になってゲームをやったりした(主人は出張族でほとんど家にいなかたので)。とにかく、家族で過ごす時間を一杯楽しいものにした。

 絵本の読み聞かせボランティアをやっており、常に絵本がいっぱいあった。寝るまえに、みんなで布団に入って絵本を読んだ。絵本はそれだけで楽しいし、なおかつ、昔話は勧善懲悪がテーマとなっているものが多い(カチカチ山、三匹の子ブタ、さるかに合戦、グリムなど)。具体的に説明しなくても、「悪い事をすれば、かならずそれは自分にかえってくる」「正しいことをしていれば、いずれはいいことがある」「正直者は報われる」という概念を子供に伝えた。

 一言で言えば、家の中でいっぱい笑ったり、「楽しい」と思われることを準備した。



[いじめられなくために、何をしたか]

・息子 談
 嫌な事を、「やだ!」と大きな声でいった。別の友達を作った。お母さんに話した。


・母の記憶
 担任に、息子から聞いたことを話した。「子ども達に聞いてみます」と言われ、返事を待った。
 担任から、「いじめている子たちを呼んで注意した。子ども達は素直にあやまった。いじめっ子はあやまり、『もうしない』と約束。仲直りの握手をして、一件落着」という報告があった。

 が、いじめはなくならなかった。
 再度、先生の報告。この時は文書にした(具体的にいじめ内容を箇条書き)。先生は、「気をつけて見ておきます」と返答。数日、いじめがなくなり、みんな妙にやさしくなった(息子談)。が、またぽつぽつと意地悪され、またそれが上り坂になった。

 しつこいと思ったが、先生に相談。放課後学校にいく。先生は、すでにこの時、面倒だとおもっていた節あり。
 いじめっ子たちは、快活で、比較的頭も要領もよく、クラスをけん引していくタイプ。対する息子は、のんびりマイペースで、要領が悪く、何をやらせても下手なタイプ。1を言って10を知るの反対で、10聞いてやっと3くらい理解するタイプ。先生としては、指導に手間がかかる面倒な子。おまけに、いじめで親から相談。「できれば関わりたくない問題」というか、「そりゃあ、いじめられるでしょ」という気持ちが伝わってくる担任だった。

 でも、ここで逃げられるとどうしようもないので、とにかく、彼女を非難するのではなくがんばって指導してもらえるよう、熱心に頼みこむ。担任の力の限界を感じた私は、マイナスの部分をプラスで埋めようと(家を楽しく。楽しい時間を増やす)考えにシフトしていった。



[いまどう思うか]

・息子 談
 もう忘れてしまったけれど、嫌な奴らだったな、と思う。でも、成人式の時に会ったら、いじめの中心にいた奴は、おどおどしてて気持ち悪い奴になっていた。

 自分は、中学高校で剣道をがんばって、それなりの結果を出して来て(県個人ベスト8が最高の記録)、高校では剣道強豪校の大将としてみんなの先頭に立ってきたし、堂堂としていることに慣れていたので、いつもよりわざと堂々と接した。いじめの中心にいた奴は、相変わらず、周りのやつとひそひそしてたけど、「やっぱ小さい奴」とおもって、気にもしなかった。他のいじめてた奴も来ていたみたいだったけど、眼中に入らなかった。

 それより、当時は目立たなかった奴がすごくかっこよくなっていて、「やっぱ、いじめてる奴はろくでもない」「人間小さいとだめ」と分かった。人と丁寧に接していれば、絶対に認められるし、自分にそれがかえってくる。自分は間違っていなかったと感じた。

 いじめは最悪。馬鹿。ろくでもないと思う。今も職場で、いじわるをする奴がいる(年配の人にも多い)。でも、そういう奴はみんなから絶対に認められない。だから、表面上は「はいはい」というけれど、内心では馬鹿にしてたりする。いじめる奴は、結局最後に負け犬になる。みんなから大切にされない。正しい人が必ず勝つと思う。


・母の気持ち
 いじめのことを知った時、本当に悲しくて悲しくて辛かった。自分はどんなことでも我慢できるけど、子供が学校でいじめられているところは直接助けられないから、余計に辛かった。

 とにかく先生にすがるしかなかったけれど、何度目か先生に「いじめをなくしてほしい」と頼んだ時に、「それには息子さんがもっとちゃんとできるように努力が必要」と言われて本当にショックだった。

 できないことをできるようにするのは確かに親の務めだけれど、それといじめは別問題。今の自分なら、「では、できない子は、いじめの制裁をうけなくてはいけないんですか?」と、言い返せるけれど、その時はまだ新米ママだったので、ただただ悲しくて悔しかった。

 また、いじめている子たちのほうをかばった時(息子に原因があるという言い方)をされたときは、学校に失望した。さらに、「いじめのことは私が判断します」と言われた時、「へ、なんで? なんで当事者でもないあなたが判断するの?」と思った。そこで、言えなかった自分が未だに悔しい。

 でも、息子の元気をなくさせないために、努力した。嫌な事は嫌だときちんと言えるエネルギーをなくさなかったので、やっぱり親の存在や家庭の存在は大切だと感じている。

 
そして、息子は困っている人がいたら、すぐに助けの手を差し伸べられる人間になったことに(席をゆずる、物を拾ってあげるなど)は、やっぱりあのいじめ体験や、苦しんだ体験があったからこそと思っている。

 この体験談を書きながら、「あの時は色々あったなぁ〜」と、涙が滲んだ。でも、それもこれも、今はすべて親子共に自分のこやしとなっている。その時は、そんな風に思えなくても、「人生、無駄な事など何もない」と、今は思えるようになった。でも、これはあくまで、いじめを乗り越えたからの感想だと思う。

 当時は、「なんで、こんな思いをしなきゃいけないの?」、いじめられない子がうらめしい。いじめとは無関係のところにいる、お母さん達を羨ましい、あるいはねたましいと思っていた。そう考えると、いじめって、いじめられている方の心すら捻じ曲げてしまう恐ろしいものだと思う。




いじめっ子のことを、さらにくわしく教えていただきました。

[いじめっ子の親は神童と呼んでいた]

 母親が神童として公言していました(年賀はがきに書いちゃうくらい)。両親祖父母もすべて有名大育ちの彼の家では、中学から附属校に入るのが当たり前とされています。

 学業優秀。顔も可愛い。スポーツも出来る。押しも強い。母親にとっては、もう世界中に「これが私の作品です!」と知らしめたい程の子だったと思います。

 いじめっ子は附属中学で野球部に入りました。母子ともに、「あんたたちとは違うの。選ばれたエリートなのよ」という雰囲気を丸出しにしていました。



[いじめっ子の母親の性格]

 小学校で、このいじめっ子の家に遊びに行けるのは、母親が許した子だけです。メンバーを見て、「今日は家にあげてOK」「この子がいたら外あそびのみ」と判断します。そして、家に上げてもらえた子(選ばれた子)は、素晴らしい調度品や、そこに飾られた賞状などをすべて解説されたそうです(幸い、うちの息子は審査落ちして、家には上げてもらえていません)。

 あと、この家では、脳の発達のために、人工的なものは食べさせない、自然食品や吟味した食材しか与えません。そのため、彼をたまたま招いてしまい、ポテトチップスを出したお母さんは、あとで「次回からはこういうお菓子はやめていただきたい。もし出すのなら、こういうところで購入した物を…」と、レクチャーされてしまったそうです。自分の価値観が絶対のお母さんです。

 PTAの会長や役員も進んで引き受けますが、ペアになるのを多くの人が嫌がりました(同種の人間にみられたくない、使い走りをさせられたくないという思いから)。彼女が役員に立候補するのを、本部役員が嫌がるほどでした。

 保護者の間では、この母親のことをハリーポッターのヴォルデモード卿(口に出してはいけない、悪魔のような存在)と呼んでいました。



[いじめっ子の演技を見抜いていた教頭先生]

 たしか5年生の時です。クラス替えで、息子はいじめっ子と一緒になりました。とにかく、住む世界が全く違ったので何一つ共通点もないし、友達になるなど考えてもいませんでした。ただ、彼の家の悪い噂だけは山ほど知っていましたので(学校で知らない人はいない)「いじめられなきゃいいな」と思っていました。

 ところが、ある日、息子がいじめっ子を「友だち」として家に連れてきたのです。ものすご〜く嫌な予感がしました。でも、二人で仲良くゲームをやっていたので、逆に、「世間の噂だけでこの子を見ていたけれど、本当はいい所もあるのかも。いつも、親に締め付けられているから、逆に息子みたいにのんびりした子と居たいと思ってくれたのかな?」などと甘く考えていました。


 しかし、一か月もせずに、いじめっ子は正体を表しました。というか、息子と一緒にいるのに飽きたのかもしれません。ちょうど、その頃、三瓶というタレントがテレビによく登場し、「サンペーです」というギャクが流行りました。

 息子は、名前が似ていました。そのことで友達にからかわれました。もちろん、最初は本人もそんなに嫌でなかったようです。単なるモノマネですから。でも、それがいじめっ子の手にかかると、侮蔑のニュアンスを含む、いやーな感じになりました。息子は「やめてよ」と言うようになったそうです。

 もちろん、「やめて」と言われたら、益々やりたくなるのがいじめっ子の心理。いじめっ子は、自分だけでなく、周囲の人、最終的にはクラス全員でモノマネをやらせるようになりました。そのしつこさは半端ではなかったようです。

 事件が起きたのは、音楽室への移動の廊下でした。息子が歩いている後ろを、いじめっ子の音頭のもと、モノマネの大合唱が始まりました。女子も男子も、みんな笑いながら言って、「やめて」といくら言っても、皆の声にそれがかき消されたそうです。


 そこで、息子の怒りは爆発しました。手に持っていたアルト笛を、地面に投げつけたんです。
笛はバウンドして、ガラスを割りました。その時の担任の先生はどちらかといえば、息子を「指導するのに面倒な子」と捉えるタイプでした。いじめっ子は賢いので、「こりゃあおおごとになる」と感じたのでしょうね。

 さっそく担任に、謝りに行きました。「仲良しなので、つい調子にのってしまった。悪気は無かった。でも、彼が突然切れて、フエを投げつけてびっくりした。もしかしたら自分が悪いのかもしれない」と。

 担任は、多少その子に対して危機感もあったようです。でも、とにかく何でも器用にこなすし、挨拶も愛嬌もある(計算されている)。その子が深刻な顔で謝っているのだから、悪いのは、息子だと判断しました。

 そして、「嫌な事があったら、口でちゃんと説明しなきゃダメでしょ。5年生にもなって、物を投げたらいけないのが分からない? お友達に当ったら大変でしょう。からかうのはいけないと思うけど、物を投げるのはもっといけないこと」と言いました。息子もこの時ばかりは、言い返す気力すら失っていたようです。


 でも、その様子を見ていたのが教頭先生でした。
 教頭先生が、子供たちを集めて、「割れたガラスはお金を払えばすぐ直ります。でも、傷ついたお友だちの心は簡単には直りません。からかった方は『僕たちは悪気が無い』と言います。でも、からかわれたお友達は本当に嫌だし辛いし悲しいんです。もう学校に来たくないと思ってしまうかもしれません。 自分が「嫌だな」と思うことを、クラスのみんなが言ってきたところを想像してみましょう。目を閉じて、考えてみましょう」というような趣旨のお話をしました。そして、「どうするかは、自分で一人一人で考えましょう」としめました。

 結果、クラスの子のほとんどが息子にあやまってくれました。中には、泣きながら家までたずねて謝って来た女の子もいました。また、自分のしたこと、教頭先生に言われた事を自分の親に話し、親子であやまってくれた人もいました。

 本当にありがたくて、今思い出しても涙が出ます。素晴らしい先生でした(数年前に他界されました)。息子も、「あやまってくれて嬉しい」と、みんなを許しました。というか、もともと、「許さない」というような感情もなかったのですが。(言われて嫌だ、悲しい、という気持ちのみ)

 謝らなかったのは、いじめっ子のみです。



[いじめっ子の親の哀れな弁護]

 そこから十日くらいたったとき、クラス懇談会がありました(定期的なもの)。いじめっ子を神童と呼ぶ母が、「このクラスでいじめがあったと聞いています。いじめられた子が笛を窓に投げつけ(ここ、違うんですけど)、ガラスを割ったらしいですね。この件について、説明してください」と発言しました。

 みんなは口をつぐみました(この母とは関わりたくない)。担任も、「それはもう解決した問題なので、ここでは話しません」みたいな流れになったそうです。担任も、正面切って戦うのは嫌だったのだと思います。

 しかし、この母は、「いじめていたのは誰ですか? 窓を割ったのは誰ですか?」としつこく追及したそうです。けれど、それに対して誰もこたえないのが分かると、「子どもが笛を投げた位で割れる窓では、危なくて怖くて、子供達を安心して学校に通わせられません。すべて強化ガラスにすることを提案します」と言ったそうです。はだかの王様ですね・・・



[いじめっ子のその後]

 その後も次々にターゲットをかえて、いじめを繰り返しました。最初はすっごく仲良くなるんです。そして、ある日突然態度が変わっていじめ始めます。豹変という言葉がぴったりです。

 さらにタチが悪く、彼には子分が二人おり(彼らも受験組の成績優秀な子)、その子等をつかって、いじめをするようになりました。ターゲットをはがいじめにして、顔にむかってドッジボールを本気でぶつけたり(それも至近距離)、両手両足を持ってハンモックのようにさんざん揺らして遊んだ後、放り投げたり(教室の床や廊下です。あの硬い…)。教室の机を使って、ターゲットの子を前と後ろで挟んだり・・・もう、書いているだけで気持ちが悪くなるようなひどいいじめです。

 母親が神童と呼ぶほどでしたから、成績はとても良くて今は有名大医学部です。少年野球でもキャプテンをつとめ大活躍、顔も可愛く溌剌としていて、どこで会っても挨拶をし、クラスではリーダー的存在でした(ただ、裏表があるのは有名で、彼を好きになる子は滅多にいませんでしたが)。どっから見ても、「キミにかなう所は無いよ」という様な子です。なんで、何もかも劣っているうちの子をいじめたのか、理解に苦しみます。

 のんびりしていて、マイペースで、ニコニコしているのが腹立たしかったのかもしれませんね。常に完璧を求められている自分と比べて、「お前はなんて暢気なんだ!」と。いじめる子の心は見えませんが、やはりいじめる側にも何か事情があるのでしょう。絶対に許されはしませんが。

 先日フェイスブックで彼を見つけました。見栄っ張りな子だったので、たぶん、友達の数が物凄いんだろうなぁと思ったら、300ちょいでした。ほとんどが大学関係の人で、地元の子は見る限りいませんでした。たぶん、地元の子とつきあうなんてこともないんでしょうね。

 ただ、友達の少なさはちょっと意外でした。「心底、仲の良い友達とだけつながりたい」というタイプではないので、本当に、友達がつくれないのかもしれませんもちろん、300もいれば、凄いとは思うのですが、あの子にしてみたら少ないということです。



[解決してくれた教頭先生の人柄]

  教頭先生の周りにはいっつも子供がまとわりつくように集まっていました。教頭先生を見つけると、子供が駆けよるので、先生はいつも「ほら、廊下は走らないで、転ぶと危ないよ」と言っていた気がします。

 面長な顔をしていらっしゃるかたでした。自らを「きゅうり先生」と子供達に呼ばせていました。手先がとても器用で、自らをイラストにして、子供たち皆から親しまれていた先生です。何より、「子どもが大好き!」という方で、授業ではなく休み時間などに、昔遊びをよく教えてくれていました。特に折り紙がとても上手だったと思います。

 PTA活動がさかんな学校だったので、保護者会室というのがありました。先生はそこにもちょくちょく顔を出されて、「子ども達のためにいつもありがとうございます」と声をかけてくださいました。顔からは想像できないのですが、お料理が上手で、手作りクッキーなんかも差し入れてくれました。

 保護者会室に顔をだして、お喋りもしていかれました。とにかく、子供がかわいくてかわいくてならない、という内容だったと思います。

 ワンエピソードとしては、「今朝、一年生の教室にいったら電気がついておらず、部屋が暗かった。なので、自分が電気をつけてあげたら、『先生、それは○○ちゃんの係だから、つけちゃだめだよ』と注意された。ああ、なんて可愛いんだろう、一年生っていいな、と思った」と、まるで孫の話をするように相好を崩して話して下さったことです。「この先生は、心から子供が好きで、教師になるのに相応しい方なんだな」と思った記憶があります。



[解決を面倒くさがった担任の先生のその後]

 いじめっ子の演技を見破れず、解決してくれなかった担任の先生は、その2年後にもったクラスで学級崩壊のようなことになりました。

 力をもった男の子のいじめグループがあり、最初は彼らをだましだまし付き合って他の子にも、「みんな仲良く」を言い続けていました。どちらかというと、いじめっ子をかばう傾向ありました。最終的に、いじめっこグループの暴走する力を制御できなくなりました。

 というのは、中途半端な関わり方しかできないので、いじめっこたちの毒牙が自分自身に向けられたからです。結局彼女は、保護者からも責められて、「教師には限界がある。教師は万能ではない。大事なのは家庭教育」と言ったそうです。

 たしかに、家庭教育が基本で、いじめっ子を学校でなおせ、先生に更生させてほしい、なんてことは、全く思っていません。でも、彼女のやってきたことは、いじめっ子をいたすらに増長させただけだと思います。そして、最後の最後には、「お宅の教育が悪いからこうなった」とはあきれ果てました。まあ、うちはそのクラスではなかったので、友人経由の話ですが…。

 その先生は、学校をやめて留学なさいました。その後のことは知りません。先生は神様だとは思いませんが、もう少し、子供が大好きだといいなぁ〜って思います。



[お母さんのいじめ体験]
 昨日、ふと自分の小学生時代を思い出しました。低学年のとき、担任が若い女性の方だったのですが、私はこの人がとても苦手でした。

 というのは、子どもを注意する時に必ず「そんなことする子は先生、大嫌いよ」と言っていたからです。忘れ物が多かったり、どんくさかった私は、どれだけこの先生に「大嫌い」を言われたことでしょう。大人になれば、「大嫌い」なんて言われても、別に…という感じですが、子供の頃、学校の中での絶対的存在の先生にそれを言われると、本当に辛かったです。ダメな子供の烙印をおされたみたいで・・・

 さらに、先生から「大嫌い」を言われる回数の多い子は、まわりからも馬鹿にされました。先生は、「そう言われないように努力しなさい」と言っていました。論理はわかります。はっぱをかけて鼓舞させる、ってことです。まあ、そんな教育が王道の時代だったんでしょうね。

 何も褒めて育てろとは言わないけれど、せめて、「大嫌い」のかわりに「頑張ろうね」でも良かった気がします。だって低学年だし。大嫌いと言われるたび、周囲から「また叱られてる!」と言われ悲しかったです。もちろん、身から出たさびですが・・・

 でも、私、執念深い性格だったのか、ある日自由作文を書かされた時に、「先生が死んだら、私はビールを飲んで、玄関に日の丸を立てます」と書いたんです。あ〜。今思うと恐ろしい子。たしか、2年生のときのことです。

 彼女は、この作文を父兄参観日に皆の前で朗読させ、(まあ、書いたんだから仕方ないけれど)、授業の後に平謝りする母に、「私はこんなにひどいしうちを受けたことはありません」と泣いたそうです。私が加害者、先生は被害者、というわけです。

 たまたま、うちの母親は理解があったので、帰宅してから事情を話すと「気持ちは分かるけど、やり方がまずかった。次からはもっとうまくやりなさい。それにしても、あの先生もガキね」としか言われませんでした。今思っても、かっこいい母だったと思います。



[いじめられた子の心のケアをしてあげて]

 いじめっ子は、突然変異で出来上がるものではありません。やっぱり、いじめが育つ土壌があるのです。そこが、いじめられっ子とは違います。

 いじめられっ子は無差別に選ばれ、運悪くいじめられる子がほとんどだと思います。「おとなしい」「優しい」「ちょっと自信が無い」「内向的」「お友達といるのが好き」「不器用な部分がある」といった、単なる特性を逆手にとっていじめられるだけです。

 でも、いじめられた子の心も、正しくケアできれば、きっとちゃんと立ち直れると思います。親や周囲の人間がその辛さを受け止めて、支えましょう。そうすれば、きっと元気を取り戻して勇気をもって戦ったり、自分を守るために逃げるという行動を起こせるはずなのです。


 最近は、中学生や小学生という、まだ人生の10分の1程度しか生きていない子がいじめが原因で命を断つ事件があとをたちません。いじめから逃げる先が「死」ではあまりに可愛そうです。いじめは生き地獄かもしれない。でも、上手に生き延びればきっと楽しい事もある。もちろん、世の中辛いことがいっぱい。でも、理不尽で残酷ないじめばっかりじゃないのは確かです。

 死を選んだ瞬間、楽しかった思い出が蘇るといいます。「家族と過ごした日々」「友達と笑い合ったこと」、それはそれで尊いけれど、それだけじゃ少なすぎる。もっともっと一杯楽しい思い出があって、それが「死」への一歩を食い止められなきゃ辛すぎる。

 私はいじめられている子は他人事とは絶対に思えません。事件が起きて、「可愛そうに」と思うのでは遅すぎると思います。


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