いじめと戦おう!〜対策と克服法〜
79.中1〜2男子・・・学校でのいじめ(現在、42歳)

 ご本人からのメール

〔いつごろ?〕
 中1〜2

〔いじめグループは何人?〕
 中1:同じクラスの男子
 中2:同じクラスの男子、女子、担任の教師(女性)

〔いじめのくわしい内容〕

【いじめが起こるまで】
 はっきりした理由はわかりません(いじめの対象者は「空気」によって決まり、ある日突然、開始されるからです)。強いて言えば、私が引っ込み思案で言いたいことが言えない性格だったこと、集団行動が苦手だったことが関係しているように思います。


【いじめの内容】
 男子からは、暴力(俗に言う体育館裏)、使い走り(パシリ)、物を隠される・捨てられる・汚されるなど、ありとあらゆるいじめを経験しました。ただ、一番辛かったのは恐喝です。要求額は1回数千円のことが多く、親の財布から金を抜いてまでいじめっ子に渡す、ということが続きました。

 女子からは、集団無視の他、パシリ・暴力(不良っぽい子限定)など。

 中2のときの担任教師からは、忘れ物が多く、集団行動が苦手な私への「制裁」として、授業中以外は教室への出入りを禁止され、廊下に座らせられるという仕打ちを受けました。担任教師までいじめに加わったという事実は、その後数十年を経た現在でも決して忘れられません。このことが原因で女性不信に陥り、30歳を過ぎるまで女性との交際は全くできませんでした。

 学校不信に陥っていたので、教師に相談するという考えは持てず、親はただ「お前が弱いからだめだ。学校には行け」と言うだけでした。


【自殺を踏みとどまった】
 一時は自殺を考え、ビルの屋上に上ったこともありました。飛び降りようとして下を見ましたが、死ぬ恐怖がいじめられる恐怖に勝り、思いとどまることができました。

 飛び降りようとする直前、「もし自分がこの世から消えたらみんなはどうするだろう」と考えました。考えた結果、「1ヶ月くらいは自分の机の上に花が置かれても、やがて忘れられ、いじめっ子は別の新たなターゲットを見つけるだけで、結局、自分がこの世から消える以外に何の変化もないまま、日常が続いていくのだろう」と思い至りました。そのとき、ここで死ぬのはひとつしかない命の無駄遣いであり敗北だと思うようになりました。それに、今は彼らがいじめる側で、私がいじめられる側だったとしても、永遠にその関係が続くわけではない。進級、進学、就職などのライフステージの変化の中で、いつか彼らを見返すことのできる日が来る、と自分を励ましました。


【他のいじめられている子のために生きた】
 もうひとつ、気になったのは、私と同時期にいじめられていたクラスメートのI君のこと。彼には吃音障害があり、そのためにからかわれ、いじめられていました。彼がいじめられているとき、同じ立場にあり、彼の気持ちがわかる私は本当は止めたくて仕方なかったのですが、自分がいじめられるのが嫌で何もできませんでした。自分が何もできないことが悔しく、いつも「神様、私に正義を貫くための力をください」と願いながら泣いていました。

 もし私が死んでいなくなれば、ターゲットが彼に移ることは明らかでした。何の障害もない私をいじめるならともかく、障害のある彼を、そのことを理由にいじめるのは絶対に許せませんでした。私が死なないことが、彼へのいじめを少しでも減らす力になると信じ、時々は勇気を出して身代わりになることもありました。

 そのI君ですが、私よりもっと過激で、机や椅子を投げるなど暴れて抵抗していましたが、いじめっ子にはまったく通じなかったことを覚えています。登校拒否になる直前は、もう何をしたらいいかわからず、みんなのいる前でも、人目をはばからず、泣いてばかりいました。

 今思い出して興味深いのは、泣いてしまったときの反応です。
 男子は、泣いてしまうと、なぜかそこで困ったような顔をして、いじめをやめてくれることが多かったです。これに対して女子の場合は、そうではありませんでした。

 「このままいなくなればよかったのに」と言ってきた、元学級委員の女子には「泣けば許してもらえると思うなよ」と言われ、まったく通じませんでした。私をパシリにしていたヒトミ(仮名)にも、「泣いてる暇があったらさっさと(パンを買いに)行け」と言われました。

 よく「男は女の涙に弱い」と言われますが、女性に限らず、男性は涙に弱いのかもしれません。男子にいじめられ、苦しんでいるいじめられっ子がいたら、「泣いてみる」は、案外効果があるかもしれません。(私の個人的体験なので当てになりませんが……。ただし、女子にいじめられている場合は、多分通じません。)


【いじめられなくなるために、何をしたか】
 男子からの恐喝と担任教師からの「制裁」はほぼ同時期で、これらが始まったとき、「このまま学校に通い続けたら殺される」と思い、1週間ほど学校を休みました。学校も親も信じられず、いじめられている事実を知らせるにも手段がなく、「長く学校を休めば騒ぎになり、みんなが異変に気づく」と考えたからです。SOSを発信するための「実力行使」でした。

 学校を休み始めて3日後くらいから、狙い通り騒ぎになり、初めて学校がいじめの事実に気付きました。担任以外の教師が介入し、あれほど激しかった恐喝やパシリ、集団無視が嘘のように収まりました。I君のことも訴えた結果、彼に対するいじめもなくなりました。


【クラスの半分以上の人が心配してくれた】
 嬉しかったのは、人間不信に陥り、「みんな敵」と思っていたクラスメートの半分以上が、休んだあと学校に戻ったとき「心配していた」と言ってくれたことです。その時に思ったのは「え? お前ら、敵・・・じゃなかったの?」「それなら早く言ってよ」でした。

 ただ、女子のうち1人だけからは「このままいなくなれば良かったのに」と言われました。女子で率先して私をいじめていた子で、立ち直れないほどのショックでした。


【クラス替えと、恩師との出会い】
 中3になると、奴らとはクラスが別になりました。しかし、1学期が終わるくらいまでは、「いじめっ子がうちの教室にまで押しかけてくるのでは?」と気が気ではありませんでした。私をパシリに使った女子とは同じクラスでしたし……。
 しかし、結果から言えば教室の切れ目が縁の切れ目でした。私が、もういじめられることはないのかな、と確信が持てたのは、中3の2学期以降だったと思います。

 あと、担任教師(男性)がいわゆる「熱血教師」タイプだったのも大きいと思います。その先生に、初めて心を開く気になり、1〜2年生のときのいじめの体験を話したところ、「引っ込み思案で集団行動が苦手な性格を変える努力をしろ。来年、高校に行ったら、周りのメンバーはみんな入れ替わるから、そのときは初めから集団行動が得意で明るい性格だったように振る舞えばいい」とアドバイスをくれました。

 高校に合格し、その通りに振る舞うよう努力したところ、高校3年間は全くいじめに遭いませんでした。高1になって数ヶ月経った頃、学校行事の係になり、同じ係になった女子と2人で放課後、残って準備をしていました。その女子は、中2で1週間休んだあと、「あの子(私をいじめていた女子)のことで何かあったら、いつでも言って」と言ってくれた子です。「中学のときと比べ全然変わった。明るくなった」と言われました。高1の時も味方になっていろいろ助けてくれました。その後は会えていませんが、同窓会などで会えたらお礼を言いたいです。

 ちなみに、中3当時、アドバイスをくれた先生とは、中学卒業後30年近く経った今も、年賀状のやりとりがあります。


【いじめから得たこと】
 いま思うと、いじめられたことは私を精神的に鍛え、強くしたと思います。私が得た最大のものは、どれだけ周囲の状況が自分に不利であっても、少数派であっても、怖いと思わなくなったことです。集団で行動している人たちから誘惑されたり、脅されたりしても「多数派だからといって彼らがいつも正しいわけではない」と、物事を冷静に見つめる力が備わりました。


【こうしておけば…】
 このサイトの記事を見て、私がいじめられていた当時のことを振り返ると、「影の実力者」に相当する人があの時の私のクラスにもいたことを思い出しました。Y子さんという女子です。Y子さんは度胸とリーダーシップがあり、いわゆる「姉御肌」(頼りがいのあるお姉さん)タイプの人です。私を最も率先していじめていた女子(私に「このままいなくなれば良かったのに」と言い放った子です)に強い影響力を持っており、男子からは「組長」と呼ばれ怖れられていました。当時、Y子さんともっと仲良くしておけばよかったと、いま思うと悔やまれます。


【休むのは逃げじゃない】
 学校を休むことは敗北ではありません。いじめられている事実を訴えたいと思ってもその手段がないとき、「休んで実力行使」をすることは、周囲に異変を察知させ、状況を変える力になります。休むことは逃げることではなく、むしろ周囲に行動を起こさせるための積極的な行動なのだと気持ちを切り替えてください。「みんなに迷惑をかけるから、そんなことはできない」とあなたが思っているなら、その考えは捨ててください。だって、そんなことは、いじめっ子があなたにかけている迷惑に比べたら全く取るに足らないからです。


【素敵な女性と結婚できた】
 女子からのいじめ、担任教師(女性)からのいじめによって植え付けられた女性不信は、31歳の時に出会った素敵な女性によって解消しました。現在は、彼女と結婚し、2人で暮らしています。
 私のつたない経験が、今、地獄の底で苦しんでいる皆さんの役に立つことを願っています。地獄には必ず終わりが来ます。


【男子のいじめっ子に便乗し、私に昼食のパンを買いに行かせていた女子について】
 男子のいじめっ子に便乗し、私に昼食のパンを買いに行かせていた女子、ヒトミ(仮名)について、少し詳しく書きます。

 中2当時、私にパンを買いに行かせようとするヒトミには、私は最初、かなり抵抗しました。彼女との当時のやりとりを、私は今でも鮮明に覚えていますが、「なぜヒトミさんの言うことを僕が聞かなければいけないんですか」と抵抗する私に対し、彼女は驚くべきことを言いました。

 「あんたが私より下だからに決まってるじゃない」

 ヒトミはさらに、「なぜあいつら(男子のいじめっ子)の言うことは聞けるのに私の言うことは聞けないの」「どうしてもあんたが私の言うことを聞かないなら、あいつらに言いつけてやる」などと脅しました。私は従わざるを得ませんでした。

 不思議なことに、男子のいじめっ子に何度、パンを買いに行かされても涙が出なかったのに、ヒトミに言われてパンを買いに行く途中、涙が出てしまいました。本来のいじめっ子より、便乗する人にいじめられるほうが悔しいと、このときわかりました。

 私が当時、今で言うスクールカースト的なものの存在に気付いたのはこのときです。社会は平等ではなく理不尽に満ちているという事実を最初に私に教えてくれたのは彼女です。この「社会構造」を知ってから、昼休み、パシリの予感がする日はあらかじめ逃げるなどの効果的な身の処し方ができるようになったのも、これ以降いじめられなくなった理由にあると思います。そういう意味で、私は今では彼女に感謝していますが。

 しばらく(数ヶ月?)経ってから、数人の男子生徒が陰でヒトミのことを「あいつ、性格悪いよな」「あのわがままさえなければ可愛いのに」と言っていたことを付け加えておきます。やっぱり、みんなちゃんと見ているのだと、子ども心にも理解できました。

 ヒトミとは、不運(?)なことに中3でも同じクラスでした。彼女は突如として「自分もアイドル歌手になって堀ちえみを超える!」と言っては歌の練習を始めました。教室の後ろにクラスメートを集めて「コンサート」と称して歌の練習をしていて、中2の時のいじめが嘘のように全く私のことなど眼中にありませんでした。ちょうど堀ちえみさんの歌がヒットしていた頃のことですが、担任だった「熱血教師」のおかげでもあります。

 こんなことくらいでいじめをやめてくれるのだから結構なことですが、受験直前の時期になってこんなことを始め、周囲まで巻き込む彼女のことを精神的に幼いと思ったことも事実です。中3なのに受験勉強もあまりせず、「熱血教師」も手を焼いていました。結局は、偏差値が標準以下の地元の女子校になんとか入れたと聞きました。同窓会には来ていませんでした。


【他の方の克服体験談を読んで】
 (管理人のメール「いじめの思い出を消化できている方は質問に答えられる」を受けて)各体験記を読んで私もそう思いました。書くことで、吐き出している方もいらっしゃるような気がしますが。
 女子の方の最新の体験記も読みましたが、弁護士やナースになっているなど、社会的に尊敬される職業に就いている方も多く、驚きました。やっぱり、いじめを克服した人が、一番成功していますね。皆さんが共通しておっしゃっているのが「人の心の痛みがわかるようになった」ということで、なるほど、と思いました。


同窓会に行ったら、いじめっ子たちが皆失業していた
 これには、私も驚きました。あまりにも見事なコントラストだったので。ちなみに、同窓会に行ってみようと思ったのは、自分の中で気持ちの整理がついていたことももちろんですが、いじめっ子たちの現状を確認して、「逆転勝利宣言をしよう」との思いもあったのです。いじめっ子グループがひとりも来ていないのを見たときは、「ついに勝った」と思い、心の中で逆転勝利宣言をしました。


【欠席戦術について】
 もう少し具体的に書いておきます。この方法は、周囲に「いつもと違う」と思わせ、異変を察知させるためのものですので、いつもと同じ休み方では意味がありません。いつもより長めに、徹底的に休むことが必要です(中途半端に出席する、というのはよくありません)。

 私の場合、通常は1年間に欠席日数は1〜2日が普通だったので、休んで3日目くらいから騒ぎになり、1週間ではてきめんに効果がありました。普段から欠席がちで、2〜3日休んだくらいでは周囲におかしいと思ってもらえない状態になっている子の場合は、1週間くらいで騒ぎになり、2〜3週間でてきめんに効果が出ると思います。

 いずれの場合も普段の2〜3倍くらいの日数、休むと効果が出ます。

 ただ、あまり長く休むのはおすすめできません。2〜3ヶ月も休んでしまうと緊張の糸が切れて怠け癖がついてしまい、復帰が難しくなります。出席日数が足りず、進級できなかったり、高校生の場合は退学させられるおそれもあります。不登校/登校拒否という全く別のステージとして捉えられるおそれもありそうです。

 欠席戦術をとる場合、「必ず復帰する」という強い意志を持つこと、長くても1ヶ月を限度とすることが大事だと思います。


【周りがみんな敵に見えてしまったとき、どうするか】
 毎日、いじめられ、人格を否定するようなひどいことを言われ続けていると、なんだか自分までそんな気になってしまいます。今、この体験記を読んでいる人の中で、「自分には生きている価値がない」「自分が死んでも悲しむ人はいない」「自分なんて生まれてこなければよかった」と思っている人、周りの全員が「敵」に見えてしまい、息苦しい思いをしている人はいませんか?

 周りの人は、あなたが思っているほどあなたを「敵」と思っていません。それなのに、誰もあなたを助けてくれないのは、周りの人たちが「あなたが助けを必要としている」状況だと思っていないからです。「助けて」と言葉に出して言わなければ、わかってもらえないことも多いのです。勉強のこと、先生のこと、部活のこと、(人によっては)好意を寄せている異性のことなどに混じって、あなたのことは学校生活の一部に過ぎないからです。あなたが学校にいる間、ずっと周りの人たちのことばかりを考えているわけではないのと同じです。

 皆さんが今後、いじめを克服して幸せな人生を送りたいと願うなら、今こそ頑張るときです。自殺に追い込まれないようにするためには、「敵ではない人を、本当に敵にしない」ことが大切です。周りの人(いじめっ子以外の信頼できそうな人)に「助けて」とお願いしてみましょう。無視する人ももちろんいるでしょう。しかし、助けてくれる人は必ず現れます。男子にも女子にも、広く相談してみましょう。

 信頼できそうな人に相談してみるのと同じく大切なことは、「自分だけは最後まで、何があっても自分の味方になってあげる」ことです。どん底の状態で、それでも自分の味方であり続けることができるのは自分しかいません。「自分には生きる価値はある」「自分が死んだら誰かが悲しむ」「生まれてこなければよかった人なんていない」と、自分を奮い立たせましょう。「地球上にひとりでも、自分を理解してくれる人がいる」と思えることは、死への誘惑を断ち切る大きな力になります。




たくさん質問させていただきました。ありがとうございました。


Q1.中1の何月頃にいじめが始まりましたか。

 6月頃だったと記憶しています。


Q2.クラスには何人くらい友だちがいましたか?

 真の友達といえる人は、4〜5人だったと思います。


Q3.「引っ込み思案で言いたいことが言えない性格・集団行動が苦手」な子どもに何かアドバイスをお願いします。

 おそらく、そのような性格の人は、「こんなことを言ったら嫌われるのではないか」「空気の読めない奴と言われるのではないか」「誰かを傷つけてしまうのではないか」などと、怖れている人が多いと思います(私がそうでした)。でも、言いたいことを我慢して言わなかったら、誰もあなたが何を思っているか、気づいてくれません。「口に出さなければ、何も始まらないので、まずは口にしてみる」勇気を持ってください。

 それによって、誰かを傷つけてしまうことは、場面や状況によっては、ありうると思います。しかし、学校とは「ぶつかり合いを学ぶ場所」でもあります。そうしてぶつかり合いながら、どういうことは言って良くて、どういうことは言ってはいけないのかが次第にわかってきます。「言ってはいけないこと」を言ってしまっても、責任を取らなくてすむ子どものうちに、その経験をたくさん積んでください。もし、誰かを傷つけてしまったら、一生懸命謝ればいいのです。謝ることも経験です。こうした経験を積む機会は、大人になってからはまずありません。

 集団行動には、できるだけ参加するようにしてください。例えば掃除など、「嫌なことはひとりでやるよりみんなでやれば、早く終わる」と気持ちを前向きに持てば、気にならなくなります。


Q4.恐喝は中2のときにされたんでしょうか。

 そうです。


Q5.いじめをしてきた男子のリーダーは、どんな性格でしたか。

 いつも何人かでつるんで、げらげら笑っていました。性格的には、自分を強く見せたがるタイプ(=本当に強いわけではない)だと思います。


Q6.恐喝してきた連中は、得たお金でどんなことをしていましたか。

 漫画やゲームソフトを買うのに使っていました。私の住んでいた地域では、当時はまだカラオケはなかったと思います(30年近く前なので)。


Q7.パシリをさせられた時、どのように考えて耐えましたか。

 パシリに行かされている間は、あいつらの顔を見なくてすむと思うと、少し気が紛れました。


Q8.物を捨てられたりして新しい物を買わなくてはならなかったとき、親に何と言って買ってもらいましたか。

 なくしたとウソを言っていました。


Q9.親の財布から金を抜いた時は、どんな気持ちでしたか?

 なぜこんなことまでしなければいけないんだろうとただ、悔しく、悲しかったです。


Q10.何回くらい抜いたんでしょうか。親にはバレませんでしたか。

 記憶に残るだけで少なくとも4〜5回はあります。

 母から「最近、お金の減りが早いような気がする。何か知らない?」と言われたので、事実を告げました。明確な犯罪なので、母から学校を通じ、相手の親に連絡してもらいました。恐喝はこれで止みました。


Q11.女子には、どんな物を買いに行かされたんでしょうか。

 昼食のパンを買ってくるように言われていました。男子のいじめっ子グループが「お前、パン買ってこい」というときに、「じゃあ私の分も」と女子が「ついでに便乗する」感じです。女子単独でのパシリはありませんでした(女子たちは、男子のいじめっ子グループが私をパシリにしないときは、自分でパンを買いに行っていました)。


Q12.便乗していじめる女子たちに対して、どのように考えて耐えていましたか。

 女子単独でのパシリがないということは、パシリ回数がそれによって増えるわけではないということです。命令する方がついでなら、こちらもついでだと割り切っていました。

 女子のうち、一番「パシリ回数」の多かった子は、いつも私にお金を渡すと「なんでもいいから適当に○個、買ってきて。お金が余ったら、お釣りは要らないから、自分の好きなものでも買ったら?」と「お小遣い」をくれたので、もらえるものはもらっておこうと割り切り、余ったお金で「自分にご褒美」をあげていました。


Q13.中2のときのひどい教師について教えてください。

 当時、20歳代前半と思います。美術担当でした。授業は、みんなおとなしく受けていました。


Q14.どんな性格の教師でしたか。

 ヒステリックだったことは事実です。怒るととにかく説教が長く、最長で1時間半という記録を持っています。よくそんなに言うことがあるなと、ある意味感心していました。


Q15.その教師は、いじめグループに対してはどのように接していましたか。

 見て見ぬふりです。私のほうに問題があるといわんばかりの態度でした。


Q16.その教師のその後について教えてください。

 今でいう学級崩壊のような現象は、当時はありませんでした。そのまま教師を続けていました。


Q17.女性不信について教えてください。

 話しかけられると固まり、どう反応していいかわからなくなることがほとんどでした。そのことで、よけいに相手を怒らせる悪循環でした。


Q18.女性不信が解けたきっかけについて教えてください。

 やはり、今の妻と出会ったことでしょうか。詳しくは、Q53を参照ください。


Q19.同じようにいじめがきっかけで女性不信になっている子どもにアドバイスをお願いします。

 「自分をいじめている女子」と「女子全体」を一緒にしないでください。女子にも味方になってくれる人がいます。相手をよく見極め、味方になってくれる人には勇気を出して話しかけてみることをお勧めします。


Q20.その頃、休み時間はどのようにしてすごしていましたか。

 自分の席で本を読むなど、ひとりで過ごすことが多かったです。昼休みは図書室に行くことが多かったと思います(読書好きの性格は、おそらくこのときに作られたと思います)。


Q21.その頃、家ではどんなことをしてすごしていましたか。

 本や漫画を読んで過ごすことが多かったです。当時は「少年ジャンプ」全盛時代で、ジャンプは必ず読んでいました。今でも読書は趣味です。


Q22.中1から中2のクラス替えをしても、いじめグループはほとんど同じメンバーだったんでしょうか。

 中1のときと中2のときは、違うメンバーです。女子からのいじめは、中2のときだけでした。


Q23.親に相談したとき、「行け」と言ったのは母親でしょうか父親でしょうか。

 主に父ですね。


Q24.親にそう言われたとき、どのように思いましたか。

 「親に自分の苦しみは、わかるようで意外とわからないんだな」と思いました。私が親から早く自立できたのは、このときの経験があったからだと思います。


Q25.親はどういう性格の方でしょうか。

 当時、父の勤めていた会社が倒産し、失業していたことはずっと後になってから知りました。親も自分のことでせいいっぱいだったと思います。


Q26.もし、あなたの子どもがいじめなどで「学校に行きたくない」と言ったら、どのように対応しますか。

 ためらうことなく、休ませます。「我が子を学校に行かせること」と「我が子の命を守ること」が両立できない状況になったら、「我が子の命を守ること」を優先するのは当然です。


Q27.自殺を考えて屋上に上ったのは、親に相談して「学校に行け」と言われた後でしょうか。

 そうです。家にも逃げ場がなくなり、崖っぷちに追い詰められたと思いました。


Q28.思いとどまったあとは、自殺をしようとはしませんでしたか。

 それ以降、今日に至るまで、死にたいと思ったことは一度もありません。


Q29.「この状態がいつまでも続くわけではない」と考えられるきっかけとなった出来事はありますか。

 私は大の野球ファンなのですが、当時、近鉄バファローズ(現・オリックスバファローズ)に鈴木啓示さんという方がいらっしゃいました。公共広告機構(JC)のCMに出演されていた鈴木さんが、「人生、投げたらあかん」といじめに苦しむ子どもたちを励ましていたのが、ちょうどこの頃でした。私を励ましてくれた鈴木さんは、命の恩人のひとりだと思っています。もちろん、鈴木さんは投手なので、「投げたらあかん」は半分、冗談だと思いますが(子供心に、当時「投手は投げないとダメだろ」とツッコんでいました)。

 もうひとつ、あるプロ野球の監督さん(どなたかは忘れてしまいました)が「野球は8回まで負けていても、9回が終わったときに勝っていれば勝ちだ」とおっしゃっていたのが強く印象に残りました。それを聞いたとき「人生も野球と同じ。今は負けていても、そのうち逆転すればいい」と考えることができるようになりました。

 今、いじめられている若い皆さんにお伝えしたいことがあります。自ら死を選ぶことは、「逆転できるかもしれない未来」への扉を自分の手で閉ざしてしまうことです。皆さんの人生を野球にたとえれば、まだ1回か2回を終わったところです。試合終了まであと7回もあるのに、自分でコールド負けにしてしまうことです。あきらめなければ、9回に逆転できるかもしれません。必ず生き抜いて、逆転してください。


Q30.同じクラスでいじめられていた障がい者のI君について、「勇気を出して身代りに」なった時について教えてください。

 私の前でI君がいじめられているとき、彼でなく私に注意が向くように、いじめっ子グループにものを投げつけたり、突進して体当たりなどしていました。その瞬間、いじめっ子グループはこっちに向かってくるので、I君へのいじめはそこで終わりになります。

 でも、不思議ですよね。I君のためにそこまでできるなら、自分がいじめられないようにすることもできたはずだと、今なら思います。


Q31.もしも、今の知識・経験を持ってその当時に戻れるとしたら、どのように行動しますか。

 障害のある人をいじめるのは最低の人間のすることだと、いじめっ子グループにたたき込むと思います。同時に、自分へのいじめをやめさせるために、体当たりもするでしょう。


Q32.学校を一週間休んだことがきっかけで克服できましたね。親には、何と言って休んだんでしょうか。

 学校に行こうとするとお腹が痛くなったりしたので、休まざるを得ない状況だったと思います。腹痛のせいにしていました。


Q33.休んで家にいるとき、どんなことをしてすごしていましたか?

 体調が悪いときは休んだり、そうでないときはテレビを見たりしていました。


Q34.中2のときの担任のひどい教師から、何か連絡はありましたか。

 母に電話連絡がありました。「一度、話がしたい」と言っていたように思います。家庭訪問もあったと記憶しています。


Q35.担任以外の教師が介入してくれて、いじめが解決しましたね。その後、担任のひどい教師は、どのように接してきましたか。

 母に謝罪はあったようですが、私は直接謝罪の言葉を聞いていません。ただ、「教室からの締め出し」は職員室でかなり問題になったと、後で聞きました。


Q36.いじめがなくなった後、いじめグループはどのようにして休み時間をすごしていましたか。

 固まって漫画を読んだり、しゃべったりしていました。いじめへの関心は薄れたと思います。


Q37.いじめがなくなった後、いじめグループは、あなたやI君にどのように接しましたか。

 相変わらず、全く口を利いてきませんでした。私やI君も、せいせいしていました。


Q38.クラスメイトの大半の人が心配してくれた中、1人の女子はひどいことを言ってきましたね。もし、目の前にショックを受けている当時の自分がいたら、何と言って励ましますか。

 せっかく学校に戻ってきたのに「このままいなくなれば良かったのに」といわれたときは本当にショックで、その後、休み時間にトイレで泣いてしまいました。当時の私が今、目の前にいたら、「バカは相手にせず、クラスの大半が心配してくれていたのだから、気にするな」と励ますでしょう。


Q39.クラスメイトの半分以上が心配してくれたということですが、どんな言葉をかけてくれたんでしょうか。

 「心配したよ」(男子、女子多数)
 「お前は悪くない。気にするな」(男子・T君)
 「何かあったら、俺に言えよな」(男子・K君)
 「また一緒に頑張ろう。クラスメートじゃないか」(男子・U君)
 「あの子(私をいじめていた女子)のことで何かあったら、いつでも言って」(女子・Sさん)
 ちなみに、この女子Sさんは、その後、高1のときに「中学のときと比べ全然変わった。明るくなった」と言ってくれた人です。


Q40.中3のときの恩師、「熱血教師」タイプの先生について教えてください。

 当時、20代前半の若い教師で、理科担当でした。科学部の顧問でした。


Q41.どんな性格の方でしょうか。

 誠実を絵に描いたような人でした。最も印象に残っているのは、B4版の紙に1枚の「学級通信」を毎日書いて、生徒全員に配っていたことです。この学級通信は、1学期の始業式の日から、卒業式の日まで1日も欠かさず、欠席した生徒がいるときはわざわざ家まで届けてくれました。先生も忙しく、生徒から見てもはっきり体調の悪い日もあり、「先生、学級通信の発行、今日は休んでもいいよ」という生徒もいましたが、「俺は、この学級通信を1日も欠かさず書くとお前らに約束した。休めば、俺はお前らに嘘をついたことになる。俺は嘘はつきたくない」と発行を続ける人でした。「継続は力なり」「怠けると人はダメになる」が口癖でした。「人間とはこうあるべき」という姿を、自分の行動で示すタイプの人でした。

 進路相談に乗ってもらったこともあります。私が気象学に興味を持ち、当時、気象庁の予報官になりたいという夢を持っていました。理科担当ということもあり、相談すると、「それには気象大学校というところに行く必要があるが、ここに行くには相当の成績が必要。ここに入れる成績があれば京都大学に入れるくらいだ」といわれ、自分には無理そうだと思って断念したことがあります。気象予報士の制度は当時はなく、天気予報をやるには気象庁で予報官になるしかない時代でした。


Q42.恩師の先生の、その後について教えてください。

 昨年いただいた年賀状によると、50歳を過ぎましたが管理職はまだのようです。
 しかし、なんとフェイスブックを毎日更新しているそうで、見たら本当に毎日欠かさず更新していました。学級通信を1日も欠かさず書いて配り続けていましたが、昔も今もマメさはまったく変わっていませんでした。
 今はフェイスブックにしても、更新はパソコンですが、当時はこの先生、学級通信を手書きで書いていたんですよ!B4にびっしりと、1学期の始業式から卒業の日まで、毎日です。でも、この先生のそんな姿勢から、私は知らず知らずのうちに、多くのことを学んだと思います。


Q43.どのような時に、相談をされたんでしょうか。

 割と気さくに、ふらりと生徒の家庭を訪問することの多い先生でした。相談は、そんな家庭訪問のときのことです。


Q44.恩師の先生は、不良グループにはどのように接していましたか。

 他の生徒に接するのと全く同じ姿勢だったと思います。行動であるべき姿を示していました。中2のとき、私をパシリに行かせた女子のひとりは、中3のときも同じクラスでした。しかし、この先生のおかげか、中3当時はいっさい、いじめはありませんでした。


Q45.高校に入学したときに、「最初から明るく集団行動も得意だったように振舞」って成功しましたね。コツを教えてください。

 「新しい生徒の大半が私のことを知らず、先入観を持っていない今しか、変われるときはない」と思いました。時間が経ち、他の生徒に自分に対するイメージができてしまうと、変わることは難しくなります。進学ほど大きなステージでなくても、進級などで周りのメンバーが入れ替わるときは、いじめから脱出する最大のチャンスです。


Q46.いじめを乗り越えて、少数派でも恐れない強さを手に入れましたね。それは、今の職場などでも役に立っていますか。

 大いに役立っています。例えば、会議で自分の意見が通らなかったときでも落ち込むことなく、「明日になれば、違う風も吹いてくる」と冷静でいられるようになりました。


Q47.大学時代は充実していましたか。

 充実していました。学校とバイトを両立させながら過ごしました。


Q48.大学卒業後について教えてください。

 大学を出て1年間、就職浪人しましたが、その後、国家公務員になりました(残念ながら気象庁ではありません)。現在は、独立行政法人に出向しています(公務員に復帰予定)。今年、勤続20年で表彰を受ける予定です。よくここまで来たと思います。高3のときに同じクラスだった女子が、同じ省庁の別の局で働いているのを知って驚いたことがあります。彼女は現在もそこで働いています。


Q49.「あの時死なないで良かった…!」と思える瞬間は、どんな時でしょうか。

 常に思っていますが、一番それを実感するのは、妻と食事をしているときでしょうか。なにしろ、あの時死んでいたら、妻とは出会えなかったのですから。


Q50.もし当時に戻れるとしたら、影の実力者と思われるY子さんと、どのように仲よくしていこうと思いますか。

 当時は今と違って、ケータイなどない時代でした。こっちは男子、相手は女子で、おおっぴらに会ったら色々言われそうなので(例えば「お前、あいつのこと好きなの?」とか)、Y子さんの机か下駄箱に「会ってほしい」という手紙を入れ、どこかで会うと思います。会ったら、「僕へのいじめをやめるよう、あいつらに言って」とお願いするでしょう。「どうすれば引っ込み思案で言いたいことも言えない性格が直るか」も教えてほしいです。

 いま思えば、女の子に向かって「組長」なんて、ずいぶん失礼だと思いますが(実際に暴力団組長の娘だったわけではありません。あくまで本人が醸し出す雰囲気からそう呼ばれていました)、私に暴力を振るい、パシリにしていた男子のいじめっ子グループが、Y子さんの言うことは素直に聞いているのを知ったときは驚きでした。

 Y子さんが「影の実力者」であることを物語るエピソードがあります。Y子さんと仲のいい女子が話をしているのが、ある日、偶然、聞こえました。ある女子がY子さんに「あんた、男子から『組長』って言われてるよ」と教えてあげていました。それに対するY子さんの答えは「別に。言いたい奴には言わせておけば?」でした。自分で自分の行動を決めることができるY子さんには、他人の評価などどうでもよかったのだと思います。


Q51.どうして、このHPに克服体験談を送ってみようと思われたんでしょうか。

 以前、大津市でいじめ自殺事件が起きたことが、検索してみようと思ったきっかけでした。ケータイやネットが普及し、いじめの構図は同じでも、ツールは変化していて、現状はどのようになっているのか知りたかったからです。検索の結果、このサイトを知りました。

 克服体験談を送ってみようと思ったのは、つい先日のことです。当時を思い出すことは、自分の心の古傷をえぐるに等しく、つい最近までずっといじめのことは封印してきました。しかし、今、この瞬間も、誰かが自殺をしようと思っているかもしれないと考えると、そろそろ封印を解くべき時が来たと思ったのです。


Q52.奥様には、いじめのことについて話されましたか。

 いじめの事実は、思い出すにはあまりにつらく封印していました。妻にさえいまだ話せずにいます。ただ、結婚して間もない頃、一度だけ妻に「あなた、過去にいじめられていたこと、ある?」と聞かれたことがあります。思い出すのがつらかったので「ないよ」と答え、そのままになっています。でも、妻は察しのいい人なので、気づかれているのではないかと思います(だからこそ、あんな質問を私にしたのでしょう)。

 このサイトに体験を書いたことで気持ちの整理ができつつあります。近いうちに話してみようと思っています。


Q53.女性不信に苦しまれていましたね。奥様のどんなところを見て、「この女性は信じられる」と思ったんでしょうか。

 かつて、愛知県で働いていた頃、仕事が忙しく、毎日、帰りが終電という時期がありました。彼女からの電話に出るのすらおっくうで、家に帰ったら散らかったままの部屋で寝て、翌朝はそのまま出勤という生活を続けていたとき、心配した彼女が突然家を訪ねてきました。彼女は、私の部屋を片付け、掃除してくれたり、忙しい私を励ましてくれたりしました。自分が最も苦しかったときに、献身的に助けてくれる彼女を見て、この人なら信じられると思いました。私の中に15年以上沈殿していた女性不信が解けていったのは、このときでした。

 優柔不断な私は、お礼こそ言ったものの、彼女とはその後もダラダラと「友達以上、恋人未満」の関係を続けていました。変化が訪れたのは、私が千葉県に転勤することが決まったときです。「私のことが本当に好きなら、千葉までついて行く。好きじゃないなら、愛知県にとどまる。はっきりさせてほしい」と迫られ、好きなので一緒についてきてほしい、と告げました。その後、千葉県勤務当時に結婚し、現在に至ります。

 「自分のどこが好きになったのか」と彼女に聞いてみると、「いつでも弱い人のことを考え、思いやれるあなたの優しさが好き」だといわれました。弱い立場に置かれている人たちの気持ちを私が想像できるようになったのは、自分も「地獄の底」にいたからです。自分がいじめられ、地獄の底を経験したことが結婚のきっかけになるとは夢にも思いませんでした。いじめっ子たちには感謝!ですね。

 誰が真の友人か見分けるには、「自分が一番苦しいとき、悩んでいるとき、岐路に立っているとき」にその人がどのような態度を取るかでわかります。そのようなときに助けてくれる人か、逃げていく人かによって、自然に見極められるはずです。


Q54.最後に、いじめで苦しんでいる子どもたちにメッセージをお願いします。

(1)いじめられているあなたへ
 人生は長いです。今、あなたが負けていても、最終的に負けたままで終わるか逆転勝利できるかは、これからのあなた次第です。私は42歳ですが、人生80年と言われる現在、今の私でも野球にたとえれば5回裏が終わったくらいです。皆さんにはこれからすばらしい未来が待っています。どうかあきらめないで、逆転勝利の可能性を信じてください。

(2)いじめているあなたへ
 数年前、中学校時代の同窓会を開きたいとの案内が、私のところに来ました。もう卒業から20年以上経ち、「かつてのいじめっ子たちに会っても、もう許してやろう」と思い、会場に行きました。着いてみると、いじめっ子グループはひとりも来ていませんでした。「失業していて、みんなに合わせる顔がないから来たくない」と欠席したのだと聞きました。
 あなたにとって、たとえ遊びであっても、いじめられた子がどんなに傷つくか。そのことに想像力が及ばないような人は、大人になって社会に出ても一人前の人間としては認められません。私が就職、結婚できたのに、彼らが失業中なのは、やっぱり「世の中の人たちはちゃんと見ている」のです。
 どうか、遊びでも人を傷つけることは絶対にやめてください。いじめに向けるエネルギーがあるなら、自分を磨き、成長させることに向けてください。最も弱い立場にいる人たちのことを想像し、思いやれる、温かい大人になってください。

(3)いじめを傍観しているあなたへ
 私の尊敬するマザー・テレサという人が、「愛の反対は無関心である」という、有名な言葉を残しています。いじめは無関心に乗って始まり、拡大します。私の経験から言えば、いじめっ子はたいてい、親や先生などの大人が介入してくれば、あっさり引き下がることも多いです。

 いじめへの執着心は決して強くありません。世の中にいじめよりももっと面白いことがあるとわかれば、驚くほどあっさりといじめが収まるというのがこの間の経験からわかったことです。


 どうか、傍観せず、勇気を出してください。まわりがみんな傍観している中、自分ひとり勇気を出すのが怖いと思うのではなく、あなたが最初に勇気を出す人になってください。



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