いじめと戦おう!~対策と克服法~
82.小5~中1女子・・・学校、部活でのいじめ(現在、21歳)

 ご本人からのメール

〔いつごろから?〕
 小5~中1

〔いじめグループは何人?〕
 始めは活発な男子3~5人、その後クラス全体的に、中学ではクラスの中心的な女子

〔どんな悪口を言われていたか〕
 暗い、汚い、うざい

〔いじめのくわしい内容〕
 経験談をお伝えします。

【小5】
 始まったきっかけはハッキリとは思い出せません。しかし牛乳アレルギー持ちで、クラスで1人だけ給食の牛乳を止めてもらっていたり、肌に掻き傷があったりなどいじめやすい要因はありました。

 いじめられているとはっきり自覚したのは、鼻水が止まらず思わず手でぬぐってしまった(これもアレルギー性鼻炎)のをクラスの人気者の男子に「きたねぇ(笑)ほらみろよこれ」と仕草を真似されながらバカにされた時です。読書好きで大人数でわいわいすることが苦手で、元からクラスから浮いていたのでこれが決定的になりました。正義感も強い方であり、掃除をしない男子に「先生に言いつけるよ」などと言っては煙たがられていたので、男子にいじめられるのは速かったです。

 その後男子に同調しやすい女子にもいじめられ、クラス全体の雰囲気が私をいじめるようになっていました。菌が移る、と言われつつ物をとられ、それをいじめっ子同士でのじりあい、遊ばれていました。私に触ることが罰ゲームとしてクラスに定着していました。今思えば暴力などはなく、実害もほぼなかったので、比較的軽いいじめではあったと思います。しかし精神的には辛かったです。

 このころは死んでしまおうかと思ったこともありましたが、実行する勇気もなく、なされるがままでした。一度だけ休み時間に教室で泣きましたが、だれも見向きしませんでした。



【小6】
 いじめは小学校6年生になったとき、一旦おさまります。帰り道で男子が遊びながら投げた帽子が私の目にあたり、痛みと怒りに泣きながら走って帰ったことがありました(幸いケガはなかったです)。これをクラスのしっかりした女子(このサイトでいう影の実力者)が見ており、先生にいじめのことを含め報告、次の日に私以外のクラスメイトと先生で話し合いがあり(内容は知りません)、いじめはおさまりました。

 このときいじめの主犯格の男子たちは謝罪反省文を書かされたようで、それを先生から渡されました。解決して下さった先生には感謝していますが、このとき謝罪反省文を読んでもドロドロとした怒り・憎しみしか感じなかったので、さっさと捨てました(今思えばとっておけばよかったかもしれません)。私は怒りを忘れられず、クラス全員を敵だと思ったまま卒業しました。



【中1―いじめを一喝してくれた先輩たち―】
 私は地元の中学校に入学し、一応環境は変わりましたが、小学校の同級生がほぼ一緒の学校なので、周囲への敵意を持ったままの暗い子でした。次はその暗さでクラス・部活の女子からいじめられました。

 部活は吹奏楽で、全国大会常連の厳しいものだったので、部活もいじめも辛くてこのときも死んでしまおうかと考えました。しかし充実感もありなんとかやっていました。
 そのうちいじめが先輩方に知られ、そんなことをやっていて全国大会が目指せると思うのか、と私を含め1年生全員が叱られました。他にも仲間外れの人が何人かいたので、泣きながら1年生全員でどうしたら良いか話し合い、言いたいことは直接言う、チームの和を大切にする、などのことを決め、いじめはおさまりました。

 初めはギクシャクしていましたが、全員で全国大会を目指して頑張れた事、実際に大会で金賞をとり、感動を共有し合えたことで、いじめっ子も含め部活の同級生はとても大切な仲間になりました。



【中2】
 中学校2年生でクラス変えをすると、クラスメイトとも自然に仲良くできるようになり、いじめられることもなくなりました。友達と趣味の話をしたり、部活に燃えていたりと充実した中学校生活だったと思います。



【今思うこと】
 いじめられたことは成人してからも時折思い出します。今では冷静に話すことができますが、このとき感じた怒りや憎しみ、悲しみ、辛さは忘れられません。しかし同時に、それが今の自分を構成する要素として受け入れることで、辛いことを耐え、乗り切った自信になっています。
いじめは許せませんが、いじめがあったからこそ今の自分があるとも思います。

 長くなりましたが、私の経験が今辛い思いをしている人々の役に立てば、と思います。読んでくださりありがとうございました。




たくさん質問させていただきました。本当にありがとうございました。


【小5のときについて】
Q1.いじめてきた男子は、どういう性格でしたか。

 足が速くてクラスの人気者でした。周りを明るくさせるような活発な子で、冬でも半袖半ズボンで過ごしていた印象が強いです。


Q2.いじめてきた男子は、中学などではどういう様子でしたか。

 バスケ部(厳しい部と聞いています)をやっていました。活発で人気者だったことは変わらなかったと思いますが、あまり関わらないようにしていたのではっきりとはわかりません。成人式で会ったときはおしゃれ風な大学生?だったと思います。


Q3.肌の疾患があったんでしょうか。

 アトピーでした。肌を掻きすぎて血だらけになっていましたね。


Q4.いじめがひどかったころ、休み時間はどんな風にすごしていましたか。

 教室や図書室で読書でした。あと生き物係でチャボやウサギのところへ行ったり、放送委員で放送室にいたりしました。


Q5.どんなジャンルの本が好きでしたか。

 ファンタジーが好きだったと思います。ハリー・ポッターなど。あと歴史の人物の漫画も好きでした。


Q6.もし、お勧めの小説などあったら教えてください。

 小学生には難しいかもしれませんが、小野不由美さんの「十二国記シリーズ」がお勧めです。
 さねゆきさまも小野不由美さんがお好きなようなのでご存知かもしれませんが、「月の影 影の海」の巻で、主人公がどん底まで落ちて親切にしてくれた人を裏切りそうになったとき、それを踏みとどまったシーンで涙が止まりませんでした。この本はいじめがなかった高校生で読みましたが、心を強く持てるきっかけだったと思います。純粋にファンタジーとしても好きです。
 マンガですが、「聲の形」もおすすめです。いじめを題材にしている部分があり、とても心に残りました。ぜひとも読んで欲しいです。


Q7.ある意味、いじめっ子より同調する連中のほうが腹が立つんですよね。いじめっ子に同調した女子は、どんな性格でしたか。

 本当にそうでした!正直同調してくる連中が一番嫌いでした(笑)
 同調する女子は流行り物が好きで、私とは正反対なよく話す子だった気がします。


Q8.同調した女子は、中学などではどういう様子でしたか。

 人気者でも不良でもなく、委員長などもやるような子ではなかった気がします。そのためあまり記憶にありません。


Q9.ばい菌扱いされて辛かったとき、どのようにして自分を励ましていましたか。

 励ますというより、「体質なんだから仕方ないだろうが!」という怒りと、それを言えない悔しさに満ちてたと思います。


Q10.そのいじめに参加しない子もいましたか。

 いじめに参加せず、変わらず接してくれる人もいました。ほんわかした子、しっかりした子など数名でしたが、関わりは少なかったです。優しい…という印象はなかったです。


Q11.裏切ったひどい子はいましたか。

 いなかったです。2つ上の兄にくっついてばかりで、友人も兄の友人が多かったです。そのため同じ学年に裏切られるほどの親しい友人がいなかったんだと思います。


Q12.もし、今のあかりさんの「こころ」と、小5のときの自分が入れ替わったら、どのように対応しますか。

 いじめに辛いと思う暇があったらもっと楽しいことや打ち込めることを探します。今だったらスケート選手とか目指したかもしれませんね。


Q13.親や先生に相談しようとは思いませんでしたか。

 相談しようと思うこともありましたが、当時は「他の人に相談」=「いじめっ子への負け」と考えていたので、負けたくなくて相談はしませんでした。


Q14.ご両親は、どういう性格の方ですか。

 躾はしっかりしていましたが、厳しくはありませんでした。反対にポジティブで明るい方だと思います。ただ両親とも仕事は忙しい方で迷惑はかけたくないと思っていましたし、家の会話は愚痴が少なく楽しいことを多く話していたので、自然と私も楽しいことだけ話すようにしていたかもしれません。


Q15.学校に行くのが辛い朝、どのように考えて出かけていましたか。

 1度いじめ期間に酷い頭痛で「学校に行きたくない」と母に言ったことがあります。母は熱がないのを確認すると、「学校に行けば治る!」と私を送り出しました。「なんて酷い母親なんだ!」と思いながら過ごしていたら、いじめも頭痛も気にならないまま下校になり、本当に頭痛は治っていました。母の言うとおりになったことを不満に思いつつ、気の持ち様で気分も体調も変わること、本当に体調が悪いときは母も休んで良いと言ってくれるだろうということ、体調以外で休むときは本当の理由(いじめ)を母に伝え、相談しなければいけないことなどを考えました。

 Q13の通り「相談」=「負け」という思考もあり、「負けたくない」=「相談したくない」=「相談したくないから休めない」という悪循環?で、休んだら負けだと思って学校に行っていました。(まるで背水の陣のよう)


Q16.休み時間に泣いたというのは、どういうことがきっかけだったんでしょうか。

 あまり覚えていません。誰も助けてくれない、周りの全員が敵だ、でもそれは自分が悪いからだろう、どうしようもできない、といった感情が渦巻いて溢れ出してしまった覚えはあります。



【小6のときについて】
Q17.クラス替えはありましたか?

 2学年ごとにクラス替えだったので、小5から小6ではありませんでした。


Q18.あなたがいじめられていることを先生に伝えてくれた子とは、仲が良かったんでしょうか。

 転校生だった気がします。あまり仲良くしていた気はしません。


Q19.助けてくれた子は、どんな性格でしたか。

 勉強ができるしっかりもので、その場に合わせた気遣いもできる子でした。


Q20.助けてくれた子の「その後」を、もし知っていたら教えてください。

 中学では委員長とかやってたかもしれないです。あまり知りません 。


Q21.クラスメイトと先生がいじめについて話し合ったとき、あなたは学校を休んでいたんでしょうか。

 学校は休みませんでした。学校に行ったら急遽「話し合いをします」と言われて、話し合いの間は自習室にいました。


Q22.その対応をしてくださった先生について教えてください。

 40歳代ぐらいの女性です。厳しい先生でした。近寄りがたいわけではありませんでしたが、怒ると怖かったです。


Q23.その先生の授業中、生徒は真面目に聴いていましたか。

 真面目だったと思います。


Q24.「クラス全員敵だと思ったまま卒業した」ということですが、先生に言ってくれた女の子に対しては、どう思っていましたか。

 先生に相談=負けだったので、最初はなんで言ったんだと怒った気持ちでした。また、今まで傍観していたのに今更善人ぶらないでくれ、とも思いました。
 今ではいじめから助けるという難しいことをしてくれたんだと感じるようになり、感謝はしています。


Q25.クラスに仲の良い子はいましたか。

 今の私は「小学生のころ友達はいなかった」と思っています。一緒にプリクラを撮ったり、委員会を仲良くやっていた子もいたはずなのに、いじめにあっていたこと、周りは皆傍観していたこと、それを助けたのが(最終的に)先生だったことで、「もう友達はできない」と思ってしまいました。表面上はいたかもしれませんが、仲の良かった子が思いつきません。



【中1のときについて】
Q26.中学に入ったあと、休み時間などはどのようにしてすごしていましたか。

 中1のときも読書していたと思います。あと絵を描いたり。


Q27.いじめてきた子は、同じ小学校の子ですか。

 違う小学校の子でした。


Q28.なぜ、吹奏楽をやろうと思ったんでしょうか。

 吹奏楽部は正確に言うと「マーチングバンド部」でした。小学校に演奏・演技をしに来てくれたとき、とてもカッコ良くて感動したからです。私もやりたい、でもできなさそう、と当時は言っていたそうで、母に「とりあえずやってみれば?」と背中を押してもらい入部しました。(ちなみに母の母校でもあり、母も吹奏楽部だったというのもあります)


Q29.どのくらいハードな練習だったんでしょうか。

 運動部と同じぐらい運動してたと思います。土日も必ず練習がありましたし、大会前の朝練習、昼休みの自主練習、放課後の延長練習、夜間練習は当たり前でした。朝9時〜夜9時までの練習もありましたね。


Q30.担当していた楽器はなんですか。また、その楽しさも教えてください。

 カラーガードという旗を振る担当でした。(座って演奏するときはクラリネットもしてました)
 マーチングでは音と動作を一体化させ、全身の力を振り絞って一つの作品を表現します。それを数十人が同時にできるように何度も練習します。とても難しいですが全員の息がピッタリ合ったときは心の底から感動が立ち昇ってきます。


Q31.部活で仲の良い子はいましたか。

 はじめのうちはいませんでした。気が付いたら孤立していました。


Q32.いじめのことを一喝してくれた先輩は、「いじめなんかしてる暇があったら、練習しろ!」というようなことを言ったんでしょうか。

 そうですねそれは言われました(笑)私には「いじめられて落ち込む暇があるなら練習しろ!」と聞こえましたね。
 Q31のように部員全員の心を合わせることができないとより良い作品にならないので、いじめが起こってみんなバラバラだったら部活の意味がない、全国を目指せない!と叱られました。


Q33.マーチングバンド部の1年生は何人くらいでしたか。また、2年生は何人くらいでしたか。

 1年生25人、2年生は13人?ほどだったと思います。


Q34.先輩から一喝された後、何時間くらい話し合ったんでしょうか。

 あまり覚えていませんが…叱られていた時間を含めて4時間ぐらいでしょうか…。


Q35.その話し合いに顧問の先生は参加しましたか。

 参加していなかった気がします。


Q36.その話し合いのとき、どのように考えていましたか。

 みんなで号泣してたので確実にいじめはなくなると思っていました。それよりみんなと馴染むにはどうしたら良いか、いじめっ子だけではなく周囲に敵意を持ったままの自分もダメだったんだと考え始めました。


Q37.そのとき、あなたはどんな発言をしましたか。

 「分かり合えない話をすることもあるかもしれないけれど、ちゃんと話して欲しいし、自分でも話すようにしたい。最初から弾き出すのはやめよう」というような事を話した気がします。


Q38.あなた以外に、仲間はずれの子は何人くらいいましたか。

 3人ほどでしょうか。


Q39.その子たちとは仲は良かったですか。

 いじめられているうちはあまり親しくなかったです。省かれている同士仲良くすると更にいじめられるのではないかと思っていました。今ではまだ会い続けている親友になっています。


Q40.全国大会で金賞を取って感動を共有した後は、いじめについてどのように考えられるようになりましたか。

 中学のときのいじめは、私にも悪いところがあったんだ、とわかったことで、逆に心が軽くなりました。いじめっ子は「相手のことを考えずに酷いことを言ったり、いじめていたこと」が悪かったし、私は「周りの人を敵としか見ておらず、仲良くしようともしなかった」事が悪かったのです。お互い様だったから一緒に悪いところを治そうとしつつ、受け入れることもできたと思っています。
 小学校のいじめは、何度振り返っても私の悪いところが思い当たらず、冷静に考えようとする度に結局腹が立っていました。


Q41.いじめていた連中と笑って話せるようになりましたか。

 最初はギクシャクしていたと思いますが、気が付いたら普通に話せるようになりました。


Q42.「ああ、これが仲間なんだな…」と実感した瞬間について教えてください。

 お互いに間違っている所を言い合えたこと、同じ事に悩んだこと、感動を共感し会えたことなど、多々あります。気が付いたら中学3年間家族よりも長い時間一緒にいました。


Q43.現在でも、同じ部の人たちと連絡を取り合っていたりしますか。

 中学の後輩を一緒に指導したり、大会を見に行ったりしています。特に仲のいい子とは今でも遊んでます。



【中2のときについて】
Q44.中2になって、中1のときとはどのように変わりましたか。

 周囲の人を始めから敵だと思わないように気をつけました。またクラスでは「次の授業なんだっけ?」など簡単な会話を誰とでもするようにしており、クラス全員と普通に話せるようにしました。


Q45.もし、今の知識・経験を持って中1からやり直すとしたら、どのようにふるまいますか。

 真意が知れないのに人を敵だ・嫌いだと決めつけないこと、誰にでも明るく声をかけること、自分の主張と相手の主張を同等に考えつつも自分を見失わないこと…ですかね。あと、どうにもできないネガティブなことを考える暇があったらポジティブなことをする。


Q46.中学のころは、どんな趣味でしたか。

 漫画・アニメ・本が好きでした。絵も書いてました。部活でほとんど趣味の時間もありませんでしたが、小学生から趣味はあまり変わりませんね。


Q47.話し合った後は、部活でいじめはありませんでしたか。

 ありませんでした。私の同期は特に仲のいい学年だったと思います。



【その後について】
Q48.高校でもマーチングバンド部に入ったんでしょうか。

 高校時代はマーチングバンド部に入ろうと思ったのですが、気風に合わず体験入部だけで終わりました。すでに看護科という特殊なところで勉強や実習も多かったので、その後は帰宅部です。


Q49.その後のことで、印象に残っていることはありますか。

 実は後日談?がありまして、終わってしまった事に怒りや憎しみを持ち続けても、自分の得にならないし、暗い感情は結構疲れるので、小学校のころのいじめを自分の心で消化しないといけないな、と考えていました。

 そこで、行こうか迷った成人式(小学校区なので最初はあまり行きたくありませんでした)に、精一杯綺麗になって、振袖を着て行くことにしました。いじめっ子と会ったとき「お久しぶり」って1番いい笑顔で言って、心の中で「こんな美人で立派になった人間をいじめてたんだぞお前ら!精々後悔しやがれざまーみろ!」って好きなだけ罵って、帰ってきました。実際には美人でもないし、いじめっ子はそんなこと感じてもないだろうとは思いますが、すっきりはしました。

 いじめっ子以外にも傍観者、同調していた女子などの顔を見ましたが、みんな普通の大人になっていて、普通の人でした。そんな姿を見たことで、「みんな子どもだったんだなぁ」と、ストンと気持ちがおさまりました。一方的にいじめられていたと思っている私ですが、その頃の私も子どもで、人付き合いがうまくなかったのかもしれません。誰かを凄く傷付けていたかもしれません。いじめへの恨みも、「いじめっ子がいた」という認識もなくなることはないですが、こういう心のモヤモヤもお互い様なんだろうな、と受け入れることができました。


Q50.社会人一年生ということですが、どんなお仕事をされているんでしょうか。

 今は看護師です。4月で2年目になったばかりなのでまだまだ覚えることが多いです。


Q51.今、燃えている、充実していることはなんですか。

 日々仕事に気力を使ってますが、お金は貯まってきたので(笑)、画材を好きなだけ買って、時間を忘れるぐらい絵を描いています。


Q52.「あのとき自殺しないで、生きててよかったな…」と思うのは、どんな時ですか。

 中学以降新しく友達になった人と過ごしているとき、今でも中学の部活を応援しに行っているとき、とても素敵な本や漫画・映画に出会えたとき、親に子供のころの話を聞いているときなど。


Q53.このホームページに克服体験談を送ってみようと思ったきっかけは何ですか。

 TVでいじめのことを放送していて、「私にとってのいじめはそんなに薄っぺらいものではない」と思い、他の人はどうなんだろう?とネットを開きました。

 「いじめと戦おう!」という言葉は、いじめに負けたくなかったけど戦い方がわからなかった昔の私が欲しかった言葉です。実際どう戦えばいいのかの方法も書いてあり、「まずは先生や親・いじめ窓口に相談」と言われるより、「あなたは今戦えている」「こんな戦術があるよ」「【いじめ】ってこういう構造だから、ここを崩せばいいんだよ」とわかりやすく書いてあるサイトがとても凄いと思いました。

 確かに被害者は守られるべき存在ですが、私の場合は守られ方ばかり教わるより、戦い方を教わった方が気持ちの支えになります。自分の戦いの一端として、そして誰かの戦いの一端を担えたらという思いで投稿させていただきました。


Q54.もし、目の前に、いじめで苦しんでいる頃の小5の自分、中1の自分がいたら、なんと言って励ましますか。

 ネガティブ人生なんてもったいない!私の楽しい将来は私が保証するから大丈夫。むしろ自分から楽しいことを掴みにいけ!


Q55.いじめという経験をして、良かったと思うことがあったら教えてください。

 悪口は気にしないようになりましたね。気にしないというか、面と向かってダメなことを言えない人のことを気にしてもしょうがないし、面と向かって言える人がいたら「正々堂々としてなんて凄い人だ!」と尊敬の意をもって、自分のダメなところを無理のない範囲で直すようになりました。

 自分も悪口を言うことはなくなりました。直してほしいところをさりげなく伝える技術も得ました。あと「あの時死のうと思ったことに比べればなんでもない」と困難なことにも開き直れるようになりました。


Q56.最後に、いじめで苦しんでいる子に向けてメッセージをお願いします。

 たぶん、いじめられている人みんなが、悲しくて辛くて恐ろしい感情を持て余すんじゃないかな、と思います。その感情はずっと消えないかもしれません。でも、それよりもっと単純な、楽しかったり、すごいって思ったり、やった!って思えることを大切にしてください。

 暗い感情はいつでも勝手についてきます。だから、明るい感情を意識して追いかけていれば、今より生きてることが楽しいんじゃないかな、と思います。少し意識して、今日の空は綺麗だな、とか、給食好きな物だったな、とか、TVに出てる人がかっこよかったな、とか、どんなことでもいいです。プロのスポーツ選手になりたい!とか大きいことでもいいです。そういう感情が少しでもあれば、あなはそれで生きている意味を持っています。

 そして大きくなるにつれ、素敵なことに出会う機会も多くなります。どうか、その機会を失わないように、暗い感情ばかりでなく、明るい感情を探してください。



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