いじめと戦おう!〜対策と克服法〜
90.中1男子・・・学校でのいじめ(現在、21歳)

 ご本人からのメール

〔いつごろ?〕
 中1

〔いじめグループは何人?〕
 同じクラスの特定メンバー(男子5〜6人)+聴衆


〔いじめのくわしい内容〕

 からかいでした。学用品や身回品にいたずらをされることが多かった。

(1)ある地方都市の地元中学(公立)に入学直後、同じクラスの男子(小学校時代から僕のことをとかく、からかおうとする男子)が、公然と僕を馬鹿にするような言葉を発して、クラスのみんながウケるのを楽しんでいた。


(2)僕がからかいのターゲットにできると気づいた他の男子からも、僕に対してからかいの言葉を発したり、わざと仲間はずれにしたり、僕を困らせて喜ぶようなクラスの雰囲気があった。
 いたずらも起こるようになり、たとえば、机に掛けていた僕の通学用の肩掛けカバンを、わざと床に落としたり、落としたカバンの上に上履きのまま乗りかかり、靴底で踏みつけたりして、僕の困った様子を見て喜んではしゃぐ男子が増えていった。


(3)最初は、僕のカバンを踏んで汚す程度のいたずらだったが、だんだんとエスカレートした。机の上に通学カバンを横置きにおいておくと、前に座っていた男子が僕の方に振り向いて、突然、ペン先や自転車のカギなどの鋭利なもので僕のカバンの表面に一筋の傷つけた。

 また、その通学カバンを僕の机に掛けておくと、ある男子は、そのままカバンの上に脚を掛け、カバンの上に乗って体重をガンガンかけた(こうすると、カバン本体から肩掛けベルトのベルトがちぎれて、みじめなカバンになることを狙ったいたずらだったが、このときは、カバンは壊れなかった)。

 また、別の日には、掃除が終わり僕がクラスに戻ってくると、通学カバンの肩掛けベルトが最長または最短に再調整されいて、僕が下校しようとカバンを掛けたとき、「不良! 不良!」と叫び声が上がり、恥ずかしい思いをした。


(4)わずか1人または数人の男子から、僕のの通学用の肩掛けカバンがいたずらされるのが日常化してくると、それまで、いたずらに関わっていなかった他の男子4〜5人もいわずらに加わるようになった。

 掃除の時間、僕のカバンの中から教科書やノートなどを全部、取り出して、僕の引き出しの中に放り込むと、逆に僕の体操服をカバンの中に詰め込んで、4〜5人の男子のグループで、僕の肩掛けカバンをボールのようにして、サッカー遊びを教室でしていた。

 女子は、それと取り巻いて見ていたが、ボール、いや僕のカバンが教室の隅の方に蹴り上げると、そこにいた女子の前に着地。その女子は、一瞬、迷惑そうな顔をしたが、勇気を出して、僕のカバンを蹴り返した。僕は、この状態の一部始終を見ていなかったが、僕が教室に戻って、慌ててカバンを回収し、その後、ある男子から、顛末を面白おかしく聞かされたのだった。

 また、別の日のこと。集会などに行くため、教室から体育館にクラスみんなで移動するとき、僕の前に座っている男子が僕の机に掛けていた肩掛けカバンを床に落とす。僕は、そのときには、もう教室から出ているから、落とされたカバンを掛け直す余裕もない。
 しかし、僕の落とされたカバンを振り返ってみると、その後に続いてきた男子の数人は、、床に落とされた僕のカバンの上に立ち止まり、大声を上げて飛び跳ねたり、踏みにじったりして、騒いでいた。集会が終わり、教室に戻って、僕のカバンを床から引き上げると、紺色のカバンの表面には、大きな足跡が2つ、くっきりと付いていた。
 それは、手で払いのければ消えてしまったが、内側の白い布の部分の汚れは、手で払っても消えることはなかった。

 夏休みに入る前であったが、みんなの肩掛けカバンは、まだ白く、カバンの角は、折り目だたしく角が立っていた。けれども、僕の肩掛けカバンは、新入生とは思われないほど、一部、汚れが目立ち、また一部は使い古しのように傷だらけになり変色した状態になっていた。

 カバンの表側は、紺色のナイロン素地だったが、みんなのはツルツル。僕のは所々に白い擦れ傷。内側は白い布製だったが、みんなのは、生地が白くきれいだったが、僕のは底部の縫い糸はほつれ、所々に泥ぼこりのようなうす汚いよごれが沈着していた。


(5)ある日の休み時間に「上履きを忘れたからトイレに行くときだけ、お前の上履きを貸してほしい。」とある男子から言われたので、仕方がなく貸してあげたことがある。でも、10分後、僕の上履きを返されたときには、上履きの側面やつま先は、それまではなかった、床に擦りつけて、付けたかのような汚れが付着していた。


(6)廊下などで、ある男子とすれ違うとき、その男子は僕の目の前の突然、至近距離で立ち止まった。彼は、僕の顔をじっと睨みつけ、同時に僕の上履きのつま先を踏んだ。
 彼の上履きに踏まれた状態になった僕は身動きが取れず困った顔をしていると、その男子は、僕の股間を僕の体操着の上から、わしづかみにして立ち去った。少し距離が離れると、その男子は、「アイツの、でっかい!でっかい!」と騒ぎ立てられた。


(7)あるとき、僕とある男子でいざこざが起きて、僕が劣勢になると、その男子は僕にあることをかんかにまけた制裁に要求してきた。僕の冬の体操着(上着)のファスナーをあごのすぐ下の最上部まで引き上げて、「今日1日、ずっとこの格好でいたら許してやる。」と言うのだった。それに従わなければ、次にはひどい目に遭わせると言われた。

 そのような格好は、当時、上級生の特定グループだけに認められた特権的なファッション・スタイルだったから、僕はそれに従うのが嫌だったので、すぐには従わず、下向き加減でモジモジしていた。
 すると、彼の方から、僕の体操着のファスナーに手が伸び、あごの下まで引き上げられた。彼の顔は、勝者が敗者を支配するかのような、勝ち誇った顔つきで、僕は、やられるがままに従った。

 そのようなスタイルで、僕は、クラス全員の目だけでなく、他のクラスの人からも、奇異な目で見られたが、僕に命令した男子は、そんな僕の困った様子を、勝者の目線で見て、喜んでいた。


(8)学校では、体操着姿で過ごす時間が多かった。このころの中学生ではよくあることかもしれないが、そういう体操服姿でりるとき、突然、背後からズボンを思いっきり上に引き上げて、半ば中刷り状態にして、ふざけるということがあった。そのいたずらは、僕にも襲いかかった。同じクラスメートのある男子は、僕の背後に知らないうちに回り込み、僕に対しそういういたずらをたびたびするのだった。股間がもっこりと体操服のズボンから浮き出るのを、周囲にいた男女に見られた僕はとても恥ずかしかった。


(9)1年生はやってはいけないファッション状の暗黙のルールのようなものがあった。体操服の着こなしもその一つだった。体操服は、大きすぎるサイズをだらしなく着こなすのが当時の流行の定番だった。体操服のファスナーを最上部まで引き上げたり(これは主に男子上級生)、逆に、ファフナーを前回にして胸を見えそうにしたり(これは主に女子上級生)するのが流行っていた。
 また、体操服の長めのズボンを買って、ズボン長い裾をカッターナイフで切り落とすというやり方もあった(主に女子)。裾を切り落とさず、長いままの裾を地面に引きずりながら歩くというスタイルもあった(これは男女共通)。

 しかし、1年のときは、クラスの誰も、そうした最新の流行ファッションはしてはいけないことになっていた。その掟は、部活動や兄弟姉妹などを通じて知る暗黙のルールである。 でも、ある男子は、僕に度々、そのようなファッションを強要した。禁断のスタイルをわざとさせて、僕が困るような境地に落として楽しもうというのだ。

 僕がやられたのは、ズボンの裾を床に引きずるようにして歩くこと、そして、上着の体操服の袖を腕まくりのような恰好にさせられた(正確には腕まくりとは違う、もっと粋がかったまくり方)。

 次に、上履きのかかとをわざと踏みつぶして、スリッパのような音を立てて歩くこと。1年の1学期には早くも踏みつぶして履いている男子もいたが、一般的ではなかった。

 そして、かかと潰し履きだけではない。上履きのつま先には、学年色の色ゴムが巻かれているが、この色ゴムの一部を剥ぎ取ってしまって、白い布地を露出するのが上級生の一部で流行っていた。それで、手始めに、僕の上履きの前ゴムにカッターナイフで1筋、2筋、切れ込みを入れられた。こうしておいて履き続けると、自然に前ゴムが切れ込みのあたりでパッカリと裂け、前ゴムをむきやすくできるのだった。

 そして、肩掛けカバンの肩ベルトを最短にするか最長にするか、極端な長さにして掛けること。不良になればなるほど、極端に短く調節して掛けるというのが当時のお決まりのスタイルだった。肩掛けカバンというのは、ふつう腰あたりに掛けるものだが、不良たちは、まるでハンドバッグのようにした肩掛けカバンをボディバッグのように、背中か胸の辺りに位置するように掛けていた。

 これらの上級生のファッション・スタイル(というよりも「不良」上級生ファッション)をする1年は、1学期ではさすがに誰もいない。でも、僕の場合は、クラスの誰かといざこざが起き、僕がけんかに負けるたびに、そうしたファッションのどれかを強要され、見世物にされるのだった。そうした格好を強制されて、「上級生がたむろする中を通過して来い。」と命令され、度胸だめしのようなことをさせられたこともある。

 下校中は、5、6人の男子で歩いて帰るのだが、僕だけみんなと違う恰好をさせられ、3年の先輩の前を堂々とすれ違いざま、ちょっと立ち止まるように命令されることもあった。


(10)学用品・身回品を隠されるいたずらを結構、受けた。僕の場合は、隠されても、すぐに見つかるケースが大半だった。たとえば、朝、登校したときに、玄関の靴入れに入っているはずの上履き。置き場所を勝手に変えられていたり、一番上の段に逆さまに置いてあったり、2足とも床に落とされていたり。

 掃除の時間の前は、自分の机に掛けてあった肩掛けの通学カバンが、掃除が終わって教室に戻ってくると、どこかに隠されることも多かった。でも、最悪、教室の隅、ごみ箱の中、2階の窓の外(1階の地面)、トイレの中を探せば、どこかにあった。だいたいは放置されているだけだったが、ときには、「サッカー遊び」のような結末だったこともある。

 2学期には、上履きを隠されて全然見つからず、仕方がなく、卒業生が履き捨てた上履きを借りて過ごしたこともあった。いじめっ子の男子は、サイズも違い黄ばんだボロボロの上履きを履いている僕の姿を見て「ドロボー」と小声でささやいた。掃除が終わってから、クラスの誰かが「お前の上履き、トイレにあったぞ。」と言うので見に行くと、小便器にも大便器にもなく、諦めかけて掃除用具入れのドアを開けると、用具の下にありました。掃除後だったので、濡れていて、とても嫌な気分だった。


(11)殴る、蹴るなどの暴行まではいかないけど、ふざけた行いはあった。けがをするような暴行ざたではなく、たとえば、教室へ戻るときや下校中に、いじめっ子の男子が背後にいると、蹴り上げられたり、靴底を僕のお尻に押し当てるように蹴とばして、何度も足跡をつけられたりしたことがある。ちょっと隙を見せると、回し蹴りをしかけてきた。理由もなく突然、胸ぐらをきつく掴まれ、僕が背後の壁で身動きとれなくなって許しを得るまで静止状態にされる。こんな悪ぶざけは日常茶飯事だった。


(12)入学当初から執拗なほどに僕を困らせてきた男子からは、性的なちょっとした辱めを受けた。身体検査の時やプールの授業ときに、僕の股間を触ってきたり掴んできたりした。背後から股の下に手を回し、僕の急所を思いっきり掴んでは、騒ぎ立てられたこともある。

 他のクラスの粗暴かつエロで有名な男子と偶然、廊下で鉢合わせしたときに、近くの図書室の奥に連れ込まれ、数人がかりでやられたことがある。僕を床に仰向けにさせ、両手、両足を押さえ付け、体操服姿だった僕のズボンに手をかけ引きずり下ろそうとした。

 下着のパンツにも手をかけられたので、僕は、必死に体操着のズボンとパンツを引き上げたが、数人がかりでは無力で、ついに僕のパンツは、縄のようになった。僕は、心の中で「まだ見られていない。」と信じていたが、薄気味悪い興味本位に喜ぶ彼らの声。絶体絶命のピンチだった。そこへ、悪いことに、小学校時代には僕より「格下」だった男子が行ったり来たり。そんな「格下」にも僕の情けないところを見られたことが最大の屈辱だった。

 その後、ある下校時にも、このグループに追いかけられことがあるが、もちろん、必死に逃げて助かった。僕は、部活の先輩たちから性的なしごきを受けたこともあるが、同じ学年から、僕の性が見世物にされるというのは、違った意味で理不尽さを感じた。


(13)特定の男子は、教室や授業以外で、僕をおかずにしてバカにされることがあった。悪口といえば、悪口ですが、とにかく僕を下げすませた言い方で得意にしゃべっていた。授業中、僕が答えを間違うと、大声でからかうように笑う。授業以外では、僕をバカにした話が大声でされているのを僕自身が聞いたことも。
 僕は、確かにバカでした。でも、「あいつさえ同じクラスにいなれば、」と何度も思った。でも、学校内の活動でも教室内の力関係においても、彼の方が「実力」があるのは事実だったので、僕は、何を言われても黙って耐えるしかなかった。


(14)1年には、僕よりもひどい目に遭っている人もいて、みんなから「奴隷」と言われていた。その通り、その男子の上履きなんて見るも無残だったし、彼の通学カバンは、1年というのに、表面の紺色の生地が半分くらい破られ、中の白い布地が遠くから見えるほどだったし、目の周囲に青あざさえあるのを見たことがある。

 彼に比べれば、ずっとマシな方だと思って、僕は自分を慰めていた。

 部活動とは別に、毎週水曜日の午後、クラブ活動があった。梅雨の雨上がり。みんな帰宅の準備をして校庭に集合し、濡れない場所にカバンなどを置く。このとき、僕は、同じ部活の同級生から、「お前のカバンの上に置かせろ。」と言われ、僕は、自分のカバンの蓋を開けて、地面の上に置き、3、4人の男子のカバンがその上に置かれた。

 僕に命令した男子は、違うクラスだったが、部活動でも僕のことを「おい、くそっ小僧!」なんて呼ぶ奴だった。その男子とは2学年になっても同じクラスになり、下校時に校庭で集会があり、全員が校庭に座ったときも、彼から「お前のカバンを貸せ。」と言われ、僕が差し出すと、彼は僕のカバンを尻に敷いて、その上に座った。

 こんなことをされても僕のカバンが汚れたり、傷ついたりするわけではないけど、「同級生なのにどうして偉そうにするのか?」と思ったが、どうすることもできなかった。

 僕は、部活動がないときは、5、6人のクラスの男子たちといっしょに下校していた。僕の家は学校から500mくらいだったが、他の人はもっと遠い。僕は、よく彼らの通学の肩掛けカバンを持たされた。右肩から1つ、左肩から1つ、首から前の方へ3つ。それぞれ3人分のカバンだ。僕は、通学カバンの中には何も入れていないから軽い。僕のカバンは、カバンを掛けていない男子の誰かが持って歩く。僕は、一番遠くの男子の家の近くまで、彼のカバンを掛けたまま行って、そのときカバンを渡すと、僕のカバンが返された。

 僕は、再び同じ道を戻る。逆方向に進む僕をみた他の生徒や先輩から、いつも不思議に見られた。そんな生活を1年の3学期まで続けていた。
 途中、公園などで4、5人がたむろして、時間を過ごすこともあった。言うことに従わないと、「お前のカバンをカッコよくしてやるぜ!」「カバンに小便かけるぞ!」「池に沈めてやる!」なんて脅される。しかし、しぶしぶ従っていても、公園で遊んでいるとき、僕の肩掛けカバンは、野球の1塁ベースにされたり、高いところに吊るしサウンドバッグならぬ脚蹴りバッグにされたりして、せいぜい彼らのストレス解消のための道具とされた。



【耐えるために、どう自分を励ましたか】

 1年生のときは、もうやられっぱなしで、耐えるしかありませんでした。やられっぱなしといっても、抵抗するときには抵抗しました。相手の挑発に乗って、けんかにになったこともあります。でもけんかに負けたら、その制裁を甘受するしかありません。

 2学期くらいからは、もう諦めモードで、それまで優等生だと自分自身を思い込んでいましたが、そのプライドは捨てました。
 だから、小学校時代から僕を知る友達は、きっと「あいつは、不良化したな。」と内心、見下して揶揄していたに違いありません。小学校のときはずっと良いの仲でいたのに、僕がやれれている様子を見て、次第に距離を置かれるようになっていたのを、僕自身ひしひしと感じていました。

 もちろん、学校の成績はどんどん下がりました。 中学になったら、1学期から3学期までに、平均3、平均2.5、平均2というありさまになっていきました。

 でも、それでもいいと思っていました。小学校までは無遅刻・無欠席の美少年(これは言い過ぎ?)と思っていた僕が、中学に入った途端、いじめのターゲットになりましたが、2学期、3学期となると、自分の方から授業をさぼるようになったり、まっすぐ部活や家に帰らず、フラフラと俳諧していたり、全然違う人格になったのでは、と自分で思うくらいでした。違う人格になったというよりは、もともとの本当の自分に戻ったのかもしれません。

 どれが本当の自分なのかは分かりませんが、開き直りに似た姿勢が僕を救ったのかもしれません無理して、優等生でい続けたいと思えば思うほど、自分が苦しいし、そういうところを見透かされると、いじわるな男子から、また見世物にしてやろうと、からかわれる。

 それならいっそのこと、不良になってしまえ!というふてくされた気持ちに、浸りきってしまいました。

 ちなみに、3学期になると、クラスメートから強要されるまでもなく、少し不良がかった男子といっしょに時間を過ごすことが多くなりました。

 さっきの上履きの話を例にすると、休み時間、そういう奴とたわいもない話をしているとき、僕の上履きの前ゴムがほころんでいるのを見てた仲間が、赤い学年色の色ゴムを剥きながら話をしてしました。
 僕は、脚を彼の前の前に差し出すようにして座り、何の抵抗もなく、やられるがままにしていました。1学期のときには、こんなことをされれば、必死に抵抗していたのに、うそのようです。

 休み時間が終わって授業時間になっても、しばらくそのままでいたて、後から遅れて教室に戻るということも多くなっていきました。この頃になると、自分から不良的なスタイルを好むようになっていきました。

 肩掛けカバンに開けられた小さな穴は、自分で大きく引き裂き、中の白い布地を露出させたうえ、白い布地をポスカで真っ黒に塗りつぶしたり、肩ベルトの縫い糸は根気よく全部抜き取りました。

 カバンを汚れたものの上に置いても平気。 自分のカバンをきれいに使うとか、大事に使うという意識は全くなくなっていました。むしろ、自分で椅子や机の脚の下にカバンを敷いて、机や椅子の上に、数人で乗り掛かって、バタバタ振動を加えると、僕のカバンの表面は「いいカンジで」擦り切れるのを僕自身が楽しんでいました。

 橋の下で、みんなで、瓶に入ったポスカを、僕の開いたカバンめがけて、投げつけて、中に入った油性の絵具が無残に飛び散るさまを、僕と彼らでいっしょになって喜んで遊んだこともあります。

 冬の体操服の上着のファスナーは、工具で破壊。これも自宅で自分でやりました。

 上履きは、わざと自分の靴底で真っ黒に汚してネームが読めないほど汚し、決して洗わず、つま先の前ゴムは、結局、自分で全部剥ぎ取りました。

 1年のときに一部の男子から、さんざん、いたずらされたので、そういうことを自分ですることに罪悪感がなくなっていました。自分でやった悪事なのか、クラスメートにいじめられた痕跡なのか、その区別さえつかなくなっていました。いや、正確に言うと、自分でやってしまった悪事の方が、圧倒的に大きかったと思う。

 だから、他人からは、「(不思議そうな顔つきで)きみの通学カバンってこれ?」とか「(ニヤニヤしながら)上履きカッコいいね。」とか、「(体操着姿の僕を見て)なんだあの1年は!」と言われることもありました。

 でも、僕は、そんなことは気にしませんでした。そうなると何をやっても大したことはないな、と妙な自信が湧いてきて、むしろ、自分のそうした悪事を他人に堂々とさらけ出して、いい意味でも悪い意味でも、他人の反応を見るのが愉快とさえ感じるようになりました。

 もちろん、そうすることで、知らない先輩から目をつけられたり、他校生からボコボコにされそうになったこともありましたが、もう元の僕には戻れませんでした。




【いじめられなくなるために、何をしたか】

 2年のときクラス替えがあって、一番のいじめっ子とは別のクラスになり、ほとんどの不良っぽい男子とクラスが別々になりました。僕が何かしたということはありません。部活も違っていたので、行動をともにするということが極端に少なくなったのです。

 その後も、知らない男子の集団に廊下ですれ違ったときに、プロレス技を掛けられてひどい目に遭ったこともありますが、1年のときのようなことは少なくなりました。

 でも、その時には、僕は、かつてのような優等生ではなくなっていました。ある種の開き直りです。

 2年になってからは、クラスの誰かといざこざを起こさないように、協調するという態度に変えました。1年のときには、からかわれると、すぐ挑発に乗って、やり返したりしていましたが、無気力を決めて込んで、あまり抵抗しないように心掛けました。

 それに、僕が1年のときに強要されたファッションですが、2年、3年と学年が上がるにしたがって、他のクラスメートも男女を問わず、僕が1年のときにさせられたようなスタイルを楽しむ人が増えていきました。
 だから、僕が特別に見世物にさせられているというクラスの意識もだんだんと薄れていったことも理由だと思います。今になってみれば、不良上級生スタイルを1年のときに堪能できたのは、僕にとってはむしろ自慢話です。もっと堂々とやって、イケてる自分をみんなに見せつけてやればよかったのに、と思うくらいです。
 おっと、いけません。また僕の生意気さが出てしまいました。



【今、どう思うか】

 時間がたってしまったし、今、彼らと会うこともなく、ふつうに暮らしているので、もうどうでもいいことだと思っています。
 でも、同じような目に遭っている人は、たぶん今の時代にもいると思います。そうした人は、苦しく辛いと思うけど、僕のように耐え抜いた人もいると思って、その辛い時を克服してほしいです。






 いくつか質問させていただきました。ご回答、ありがとうございました。

Q1.中1の何月ぐらいから、いじめが始まりましたか。また、「一番ひどかったのは何月」くらいでしょうか。

 4月下旬の入学早々から始まりました。一番ひどかったのは、6月の中旬から夏休みを挟んで、2学期いっぱいでした。


Q2.部活には入っていましたか。

 男子バスケ部でした。


Q3.親や先生はみるみる汚れていくあなたの姿を見て、変に思いませんでしたか。

 入学早々、通学カバンに目立つ傷がつけられたとき、母親にすぐに気づかれました。 しかし、僕は「ドアにカバンが挟まって、」とウソをついて、ごまかしました。その後、カバンがひどく汚れているのを見られて、母親に注意されたことはあります。でも、そのときに「うるせえなー。」と反抗したら、それ以来、カバンに何をされても、また、自分で何をやっても、親は何も言わなくなりました。たぶん、僕が、乱雑にカバンを扱い、カバンに小細工したのも全部、僕の仕業と思われていたに違いありません。

 学校の先生は、そんなに細かいことまで関心を寄せる余裕がなかったのかもしれません。気づいていても、たぶん、僕がだらしがないから、とくらいにしか思っていなかったのだと思います。生活指導というものはありましたが、「完全な」不良行為が指導の中心だったような気がします。


Q4.親や先生に相談しようとは思いませんでしたか。

 親になんて、とても相談できませんでした。

 先生に相談したら、クラスのみんなを敵に回してしまうことになるので、できませんでした。僕だって、一応は、クラスの一員という認識はあったし、僕が一部のクラスメートから冷やかされたり、いたずらをされても、クラス全員が僕をシカトしたり、ひどいいじめをしたりしていたわけではありません。

 僕をコケにしたがる男子はいても、休み時間には、クラス全員の男子でサッカーをして遊んだり、下校途中、そういう男子も交えていっしょに帰っていました。
 僕を恥ずかしい目に遭わせようとした特定の男子でも、そうした人たちの交友関係も広く、少なくとも彼らの友達の大半は、僕にとって有害ではありませんでした。だから、僕は、少しくらい嫌なことがあっても、それを先生に告発するようなことはできませんでした。


Q5.休み時間は、どのように過ごしていましたか。

 午前中の長い休み時間や給食後の昼休みには、男子は外でサッカーをして遊んでいました。これは、サッカー好きでなくても、同じです。
 授業の間の短い休み時間には、前後、左右の人とおしゃべりをしたり、ふざけたことをしてみせたりする人が多い中、僕も椅子に座って、適当に時間を過ごしていました。


Q6.辛かったころ、家でしていた趣味はありますか。

 趣味かどうかはわかりませんが、音楽を聴いていました。
 大音量で曲をかけて、スカーッと発散していた、という方が正確かもしれません。むしゃくしゃしていたときには、それこそ、学校シーンなんかを思い出しちゃって、カバンに思いっきり八つ当たり、なんていう行動もしばしばありました。


Q7.カバンなどへのからかいに対して、どのくらいの期間でふっきれましたか。

 入学したときは、僕だって、きれいに使おうと思っていました。しかし、何度も何度も、汚されたり、傷つけられたりして、そのうち、もう元には戻せないと諦めたのが2学期の中頃でした。この頃、中間テストはガタ落ち、数学や英語の授業には付いていけない、という状態だったので、僕自身が「よい子でいたい」という演技を止めて、自暴自棄になり始めた時期と重なります。

 冬休みになってからは、カバンの内側(要するに他人からあまり見えない部分に)自分から平気に改造やら落書きをしていました。

 3学期も終わりになると、もうすぐ2年ということで、クラスメートの一部も、そうした悪趣味のファッションになろうとする人が増えてきます。そうすると、僕がある意味「先進的」な分、もう、何の抵抗感もなくなり、カバンの表面の人の目につきやすい場所で、そうした小細工をするようになっていました。


Q8.もし、目の前に、一番苦しんでいるときの自分がいたら、何と言ってアドバイスしますか。

 (いじめられた日には)「今が辛抱だ。これがずっと一生続くわけではない。」
 (悶々と鬱積しているとき)「今、やりたいと思っていることは、遠慮なくやってみろ!」



Q9.もし、今の知識と経験を持って、中1からやり直すとしたら、どのように行動しますか。

 いじわるな奴はどこにもいるので、やり直しても、同じ結果だったかもしれません。
 最初から極悪の不良になって、僕をコケにした男子を完全成敗!なんてマンガのようなわけにはいきませんよね。現実には。


Q10.高校時代を振り返って、一番楽しかったことについて教えてください。

 部活を3年間続けました。他の仲間といっしょに過ごすことができたことです。


Q11.現在は大学生でしょうか。今、充実していること、夢中になっていることを教えてください。

 中学のとき、みんなから「あいつはバカだ」と言われていた僕のような学力でも、なんとか1浪して大学に入ることができました。今は、サークル活動、バイトなどに夢中です。やっぱり、みんなと仲良く楽しく過ごせることはいいことだと痛感します。


Q12.このホームページを見たきっかけを教えてください。

 いじめ問題とかに関心があって、「いじめ」「体験談」などと検索していたら偶然ヒットしました。 


Q13.いじめっ子のその後や、現在について何か知っていたら教えてください。

 県外に出てきてしまったので、中学時代のほとんどの人とは交流がありません。だから、僕をいじめていた男子たちが、今、どうなっているのかは分かりません。


Q14.将来、こんな仕事に就きたい!など、夢があったら教えてください。

 福祉の仕事に興味があります。だから、今、福祉系の大学に通っているのですが、僕のような人が学校のスクールカウンセラーになれたら面白いと思っています。


Q15.最後に、いじめられっ子に向けてメッセージをお願いします。

 今は、とても辛いけど、いつかは打開できる日が来ると信じて、今を生き抜いてください。人は人、自分は自分だと思って、今のみじめな状態を恨んだり、他人と自分を比べて悲観したりしないで、強くしなやかな気持ちを持つことが大切です。




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